●「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 ●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 職種不明の軍属 その夜、浅い眠りの中にあった私の口に、林田は無言のままブドウ糖のかたまりを押し込みにやって来た。びっくりする私に笑いかけている彼の、しのびやかな笑顔が、私の心をなごめた。 それ以来、2人はにわかに親しい仲となったのである。 船は2昼夜停泊して3日目の午前10時頃、突如動き出した。敵潜水艦のすきをついての航行であろう、釜山までわずか5時間で突っ切ったのだった。 行先を明かされぬまま、私達は釜山から、新京行きの急行列車に乗った。朝鮮半島を一路北上し、一旦、新京で汽車を降りた。1日、関東軍司令部、新京神社、児玉公園などを見物し、その夜再び乗車してハルピンに向かった。 朝露に包まれたハルピンの風景は、私に、はっきりと異国を思わせた。朱色のレンガの建物の上に乳色にかすむ木立が見え、静かな音楽が流れている。小鳥のさえずりも聞こえた。 駅を出てしばらく行き、吉林街の一角で私達は停止した。レンガ造りだが、日本風の屋根を持つ2階建で、ことさら戸口の小さい建物である。 「ここだろうか?」 「そうだろう」 などと、私達はささやきをかわした。ようやく目的地に着いたという安堵の表情が皆の顔に流れている。誰もが寝不足で疲れていた。 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 記録1 今日の大久野島 島に上がってまず感じたことは、なんと「静か」だということだ。都市の喧騒を遠く離れれると、海辺の砂地に生えているシュロの高い木々が、まるで並んだ衛兵のよう。広い海原を背景に、熱帯の風光を思わせた。島の中央にある展望台に登ると、紺碧の海と空が1つに解け合って、一望の彼方は果てしがない。何と広大な景色だろう。この紺碧の中に身を置いてみると、一切は生気に満ち、活力があふれて来るのを感じ、自分にも羽が生えてあの美しい世界へ飛んで行けそうな気さえなる。 ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 5、いまどんな議論が必要か ■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪 ―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。 第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会が、2007年4月に国際シンポジウムを主催した際に、招いた米国の生命倫理学者は「過去の世代の不正は、それがとりわけ隠蔽された場合には、現在の世代の重荷としてそのまま残されると言えます。731部隊の場合、米国が一度日本の科学者たちとこのような取引をしたために、日本が抱えていた秘密が、我々の抱える秘密にもなってしまいました」「調査を行い、過去に何が起こったのかを誠実に、率直に、正確に報告することによって、そして過去と対峙することによって、我々は常々持ちたいと望んできた価値観を肯定するのです。最も重要なのは、そうすることによって、過去との共犯関係から若い世代を解放し、過去の不正に対する責任を負う必要をなくすことです。隠蔽や共犯の伝統を保持するよう若い世代に求めるのではなく、代わりに彼らをこの責任から完全に解放することです」と述べました。 戦争医学犯罪の検証について国際的な連携・協力をするための議論が必要だと思います。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■ヘルマン・フォスの日記 ローバート・ヘルリンガー(1914-1968)はフォスのポーゼン時代の助手だった。1947年、ベルリンガーはイェーナの『解剖学報』に、一抹の良心も見せることなく、「8人の男の死体」におこなった「自分の調査」について書いている。男たちは、18歳から48歳までで、健康であった。彼ら「死後40秒から60秒後に採血され、開腹された。」つまり、カニューレと解剖器具を持った2人の医師がポーゼンのゲシュタポのギロチンの横に立っていたというのである。ヘルリンガーは彼の論文で、切り離された首を「手術の対象領域」と書いているが、斧がいくぶん大きな手術器具で、死刑執行吏が手術の助手だったはずである。「まず真っ赤な血の採取が、しかも脈打っている頚動脈から行われた。」採血は「ふつうのやり方で」、「カウンター付きのピペットを使って」行われた。 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 辺野古土砂投入 「構造的差別」変わらず 「埋め立てやめろ」「あきらめない」辺野古で1千人抗議 ゴッドマザー「孫を養子に」で安倍昭恵夫人の居場所なし 移動“貸し切りしない” 皇太子さまが検討 日韓議連会長らに文氏「司法の判決なので尊重」 憲法9条を守れ!! 「空母化」ありき 現場困惑 政府、違憲否定「F35B常時は搭載せず」 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 11月23日、幣原はニューヨークのAP通信に虚偽の声明を送り、事変勃発の責任のみならず、満州北部斉斉哈爾(チチハル)、哈爾濱(ハルピン)占領も責任は中国側にあるときっぱり表明した。「日本軍は鉄道周辺の単なる飾り物ではない」と彼は宣言し、「中国軍が攻撃して来た時、日本軍は彼らが当地で与えられた職務を遂行せざるを得ない、つまり、攻撃に反撃し、敵の反撃を防ぐ」と言明した。 錦州事件を乗り切ると、宮中グループの関心は国内の政治危機に向けられた。参謀本部の急進派、橋本欣五郎大佐の秘密結社桜会は1931年3月、そして10月にもう一度、政権転覆により一挙に問題を解決することを決定した。橋本の3月の計画は露見し、共謀者は逮捕された。原田男爵は3月事件のことを知り、満州の危機は「陸軍のクーデタの序幕」であり、それは「一部の軍人に、満洲で成功したから必ずまた内地でもうまく行く、との確信を固めさせた」と語った。陸軍が10月の陰謀を隠蔽しようとしていたとき、奈良、鈴木そして金谷参謀総長は事件を天皇に奏上していた。11月2日、金谷は天皇にふたたび拝謁し、「支那事情及不軍紀事件の始末を奏上」した。しかし、天皇も、軍上層部も、陰謀者を罰することを求めなかった。結局、彼らは寛大に扱われ、拘禁を解かれると、その罪はすぐに忘れられたのである。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |