細菌戦の系譜!!

2020-01-15 16:22:27 | Weblog

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
にほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へ
にほんブログ村


映画「ひろしま」
知っていますか?「731部隊」
ABC企画委員会パネル展2019中野
第5回三多摩平和交流会2019
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展



{731部隊展}中国ハルピン(西里扶甬子さん)
http://dw.chinanews.com/chinanews/content.jsp?id=9033541&classify=sp&


日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

犯罪摘発の原理を考えてみればよい。二酸化炭素の冤罪事件であれば、凶器を持った真犯人が逃げおおせるという危ないことになる。今の人類は、NHKを筆頭とするテレビ番組、テレビコマーシャルが示す通り、CO₂を減らせば環境を守れるという幼稚園レベルの知能しかない。ヒートアイランド、原発の放射能災害発電所の温排水、砂漠化、野生生物危機、大気汚染、水質汚染、酸性雨、熱帯雨林の破壊、遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、食品添加物、農薬、ダイオキシン汚染、増え続けるゴミ、大地震の脅威、戦争など、ありとあらゆる環境破壊と毒物生産を放任して、全て無実のCO₂にその罪をなすりつけ、人類が大規模な環境破壊に踏み出し始めた。

●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験

歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日           名称(実験名)      核出力 (kt)                    実施国 重要性
1955年11月22日 RDS-37           1,600  ソビエト連邦 水爆(ソビエト連邦による初の多段階、実用兵器)
1957年11月8日 グラップル X         1,800  イギリス 水爆(イギリスによる初めて成功した多段階)
1960年2月13日 ジェルボアーズ・ブルー 70  フランス フランスによる初の原子爆弾
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000  ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596                 22   中国         中国による初の原子爆弾実験
1967年6月17日 実験 No. 6         3,300   中国         中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス         2,600  フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ         12  インド         インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I         43  インド         インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)
1998年5月11日 シャクティ II         12  インド         インドによる初の原子爆弾実験
1998年5月28日 チャガイ-I         9-12?  パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年) 1.5-15?  北朝鮮         北朝鮮による初の原子爆弾実験


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
野党、菅長官に辞任要求 桜見る会の公文書管理問題「看過できず」

憲法学者ら、首相を背任の疑いで告発 桜を見る会めぐり

桜を見る会 「謝らない」姿勢崩さぬ安倍官邸、その心は…

自民内からも夫妻の説明責任要求 中谷元防衛相「潔白証明を」

東大「反日勢力に支配されているかのような印象を与えた」特任准教授を懲戒解雇

伊方原発「MOX燃料」取り出し 再利用めどなし


[金子勝]今年も言いたい放題!公正なルールが破壊された社会だから倫理もモラルも経済も壊れる


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ


JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


●読者から寄せられた記事

タイトル:
ロシアは、日本が人工地震を繰り返している事を 知っているのです。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
2016年04月14日21時26分頃、地震がありました。
04月14日 → 18→ 666
21時26分 → 11 テロの刻印

2018-09-06
北海道地震に被災された皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
https://ameblo.jp/64152966/entry-12403074496.html
2018年9月6日3時08分
2018年 → 11 テロの刻印
9月6日 → 足して15→ 6=666
3時08分 → 11 テロの刻印

管理人
人工地震は悪魔教の教義から
全て、数字をもとに決行日時が決められる。
ここまでの5つの大地震の日時には
全て、11 と 6 = 666 だけが出て来る。
このような偶然は絶対に有り得ない。
これをまだ偶然だと信じて疑わない人は
もはや、覚醒することをあきらめたほうがよい。
米国の植民地である日本が核保有を許されることは
絶対に有り得ない。
そもそも、日本の原発行政は米国の下請けを
請け負っているだけなのだ。
つまり、ほとんど全てを米国が支配している。
米国の核ミサイルに必要な新鮮なプルトニゥウムの
供給が主な目的であろう。
事実、原子力発電所の近くには
必ず、米軍基地がある。
こういった一連の真相を知らなければ
日本の自主独立を訴えたところで全く説得力をもたない。
米国の世界戦略と安全保障の枠組みの中に
日本はガッチリ組み込まれているのだ。
それだけではない。
日本は核の廃棄場と化している。
是非、以下の動画を見て欲しい。
2011年の日本の地震 分布図
↓↓↓必見
https://www.youtube.com/watch?time_continue=65&v=eKp5cA2sM28&feature=emb_logo

2011年は、大きな地震発生が
圧倒的に三陸沖に集中している。
ほとんど大部分といってよい。
311の少し前からと、311当日、
そして、それ以降に非常に多くの核が
三陸沖で爆破処理された可能性が疑われる。
このような自然地震がある訳がない。
何故、三陸沖なのか???
答えは簡単!!
黒潮と親潮が銚子沖でぶつかり、
汚染物質を含む海水のほとんどが
太平洋に向って拡散されるのだ。
つまり、証拠隠滅が出来る。
https://ameblo.jp/bokeneko22/entry-12520154648.html
https://www.youtube.com/watch?v=iPJNZFW9YCQ
https://matome.naver.jp/odai/2157536988825998301
https://blog.goo.ne.jp/the_worst_rotten_jap/e/5744703584579b12e748c685c84ccafc
********************



●横浜「戦争の加害展」感想

2月16日

100.あらゆる事がつながって、加害をしたこと、反省も謝罪もなくここまで来てしまって、加害をし続けていることを感じ、とても重い内容の数々でした。自からが何をして何をしないべきなのかが、考えられる良い機会になりました。右翼の暴力の中、無事開催されて良かったです、勝利!これからもこの素晴らしい取り組みが継続されますよう、みなさまお体を大切に。お疲れさまでした。ここからまた共に頑張りましょう。ミニ講演、毎回「男性」がしゃべるのが気になっています。「男性」ではないひとの講演もあってほしいと思います。ぜひ。前段の映画上映も良かったです。「鬼郷」の上映会をしてほしいです。(どちらでもない、)

●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
12月14日(金)の感想
・大久野島へは3回訪れました。訪れる度に資料館が充実しているので驚いてます。本日の山内講演を拝聴して、もし再訪のチャンネルがあればまた大久野島を見る目が、変わると思います。終戦と同時に消された資料の中には大久野島、陸軍登戸研究所、中野学校、731・・・などのつながりがもっと明確にできるものがあったのかもしれないと、思うことしきりです。(女性、60代、登戸)

●【真相】(unit731) 
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K

写真班の向う隣りに電報室があった。8月8日、佐藤駐ソ大使(戦後参議院議長をされた佐藤尚武氏)からの電報で「『日本軍は満州から撤退せよ』と通告を受けたが、大使は、日本政府の指示を待って回答する」ということであったが、この回答を待たずに、8月9日早朝には、ソ連軍は3方面から満州に侵入した。
私は、当時は毎朝、ラジオのニュースをよく聞いていた。
昭和20年8月9日朝6時。ラジオから臨時ニュースがとび込んできた。関東軍軍歌が流されたあと、「本日午前零時を期してソ連軍が満州に侵入。わが軍は各所においてソ連軍と交戦中なり。必勝の信念で事態に対処せられたい」という内容のものだった。
私は、この年の1月下旬に、ソ連が日ソ不可侵条約の廃棄を通告してきた時から、密かにこの日のあることを覚悟していた。といっても「死に方」の問題としてである。

 


●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第9章 戦犯の証言

戦犯たちの戦後50年

表健治さんの証言は、1954年8月15日、中国で供述したものと同じであった。以下に引用する。

「1941年2月、山東省堂邑県の県城の西約10㎞の某村において、32師団210連隊第1大隊長、土田少佐の指揮で兵士300名は野砲3門を携え、国民党軍保安第4師団、斉子修部隊の約500名を包囲攻撃し、野砲30発(うち催涙、窒息ガス弾約10発)を放ち、兵士約100名及び民衆約200名を爆殺或いは毒殺しました、私は当時、重機分隊3号の射手で、分隊長、二見兵長の指揮の下、村の後方約600mの畑に30発を打ち込み、抗日軍兵士10名を射殺しました」




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況

5、石井四郎という人物

彼は従来と同じような研究方法を用いていることだろう。確か、ソ連で読んだ日本の新聞では、石井が満洲を離れる際、実験用に収容していた人間を全員殺したことは明らかにされていなかったと思う。しかし、敗戦当時もまだ数十名、あるいはもっと多くの人が収容されていたのであり、この人たちが間違いなく殺害されたことは想像にかたくない。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■ヘルマン・フォスの日記
「すばらしいドイツの春がまたやってきた。〈緑に彩られた冬〉とH.ハイネとかいうペンネームの、ハイム・ビュッケンブルフもしくはその他の本名をもつ詩人が的確にいっている、春がやってきた。」(1935年4月19日)

「ポーランドの国民はドイツ人の倍の割合で人口を増加させている。これが決定的な問題だ。ドイツ民族よりもずっと原始的な諸民族が、決して十分に人口が増加しないドイツ民族を呑み込んでしまうのだ。」(1935年6月23日)



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

装備・訓練の実体は

ところで、自衛隊の治安出動訓練に催涙兵器が登場してくることは既に知られているけれども、どのような種類のものが使われているかは一度も明らかにされたことがない、
九州小倉や静岡県富士演習場での治安出動訓練もその実態が国民に紹介されることが稀である。陸上自衛隊富士学校で行われた大がかりな治安出動訓練に参加した自衛隊員の1人が、使用する武器の余りにも威力の大きいのに驚いてN国会議員に対して「容易なことではない」と訴え出たとも言われている。機動隊の催涙ガス弾と比べて自衛隊の生物・化学兵器は、全く別の意味を持っているのである。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)

 


イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

 

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第11章 真珠湾への道

永野の理屈に納得していなかった近衛は、方針を改訂するための最後の機会を天皇に申し出ていた。それにもかかわらず永野や杉山の強硬派の主張に説得されて、昭和天皇はこれを却下したのだった。
日本降伏後、間もなく、永野は戦中の同僚たちとの座談会で、このときの拝謁を回想している。永野はその晩、昭和天皇が「いつになく御気色が強かった」ことを想起し、天皇は「国策」の基本方針〔帝国国策遂行要領〕を裁可するよう求められていたわけではないと示唆している。さらに「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」〔期限付きの戦争決意と戦争準備を述べた第一項の「対米[英蘭戦争を辞せぎる決意」を、第二項の「米、英に対し外交の手段を尽し」と順番を入れ替えることで、外交を主とし戦争を従とするものに変えるという提案]と質問したものは、外でもない、近衛ではなく永野だった。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

 


憲法9条を生かそう!!

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする