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●八王子市長選挙 白神(しらが)ゆりこさん
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●知っていますか?「731部隊」
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
IPCCとは、自分たちが物言えば世界中が動く、と信じて来た天動説の集団だったのである。しかし正しく地動説に従って日本を除く世界中のメディアが動き出すと、狸の尻尾が見え、化けの皮が剥がれて、冥王星と同じように「惑星ではない」と断定され、、今では6等星の輝きもない。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
・1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。
・1967年6月17日 初の水爆実験。
詳細は「中国の核実験」を参照
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの国がこんなウィルスを開発しているだろうか?細菌戦は今でも続いている??
中国 海外旅行商品の販売と団体旅行などを中止(20/01/25)
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-24)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●読者から寄せられた記事
タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
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バビロンスタイルのBISタワーのあるバーゼルは、第二次世界大戦中にナチスが出会った場所で、盗まれたユダヤの金を取引していた。
BISは、世界中の他の全ての金融機関に指示を発行する。
3番目の階層では、BISの直ぐ下にロスチャイルド所有のIMF(国際通貨基金)と世界銀行がある。
IRS及び他の国の同様の徴税機関はIMFの外国の民間企業として構成されており
連邦準備制度(FRB)及びその他全ての中央銀行の民間「軍隊」を形成している。
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
1.このようなお働きは貴重で大事なことだと思います。感謝します。加害の歴史を正しく知ることから敗戦后出発すべきだったと思います。(70代市内男性)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
6、10年ほど前にも見たので2度目になりますが、改めて戦争に対する決意のようなものを持ちました。
「継続は力なり」ということを改めて思います。この上映を計画された方々に心から敬意を表します。
(男性・70代・市内・新社会)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
「丸太」がすでに運命を決せられた死刑囚である、という説明は、「丸太」自身の態度をみていても、うなずけるものだった。彼らは、前に述べた暴動や少数の自殺者を除けば、ほとんど自らの運命を受け入れているように見えた。
私の体験で言えば、「丸太」はギラギラした憎しみの目よりも、観念しきったようなおとなしい目をしていた。だから、私たちは、お互いの関係や立場を暗黙裡に諒解しあった上で、言葉をかわすことができたように思うのだ。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
「戦犯管理所」からの証言
まもなく、偽皇帝溥儀を含む58名の偽満洲国の大臣たちもここに移された。重い鉄の門が音を立てて閉じられた時、戦犯たちの思想改造の日々が始まったのである。
これら日本人戦犯たちの中には、長城の両側に「無住地帯」を作り出した117師団長鈴木啓久、中国で多くの惨禍を引き起こした59師団長藤田茂、偽満洲国の「上皇」、総務庁長式部六蔵、次長古海忠行がおり、また731細菌部隊の支隊長榊原秀夫及び、様々なランクの官僚や憲兵らがいた。また、日本軍の中国に於ける化学戦に自ら加わった者、自ら毒ガスを使用して中国の軍人や罪なき民を殺害した者もたくさんいた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
上野某自筆供述書(1951年5月8日)
2、林口支部
原注:上野の名前は不詳。1942年3月から43年1月まで、731部隊教育隊で細菌学の訓練を受け、演習に2度参加した。1943年1月から731部隊林口支隊に移り、日本降伏まで勤務した。
※訳注:上野某―本書がその証言を収録している日本人捕虜(戦犯)は、1956年、45名有罪判決を受けたほかは1017名が免訴となって釈放されたが、『人民日報』に発表された彼らの名簿に上野某を見ることはできない(『人民日報』1956年6月23日、7月21日、8月22日)。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
後書きに代えて
アレクサンダー・ミッチャーリヒ/フレート・ミールケ
これはアレクサンダー・ミッチャーリヒとフレート・ミールケがまだ裁判が行われている最中に『人間軽蔑の独裁』というタイトルで編集した「ニュルンベルグ医師裁判」の最初のドキュメンテーションの序文である。このドキュメントは、ミッチャーリヒが「とりわけ医師の読者たちに裁判の理解を可能にするための情報源」として刊行したものである。初版刊行部数は25000を数えたというが、このドキュメントがどれだけ多くの医師によって読まれたかは明らかでない。
クリスチアン・ブロス/ゲッツ・アリ
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
M25A1型CN内乱鎮圧用手榴弾
〔応急手当〕
M’7A1型擲弾に対する応急手当処置と同じである。
不戦屈敵戦略
(昨日の記事の訂正)
まず第1は、後に指摘する様に「公害調査」という見せかけの“支援協力”が実は最も非人道的な細菌・毒ガス作戦の総合演習にほかならないということであろう。
そして第2には、自衛隊の生物・化学作戦の実態が想像以上に進歩しているということが明らかにされたことであろう。
さらに重要なことは、自衛隊の生物・化学兵器による作戦訓練は機動隊の催涙ガス弾訓練のそれとは全然別の意味をもってくることである。自衛隊の基本戦略が「不戦屈敵戦略」(抑止戦略)を建前としていることから、核兵器の製造と保有を認められない自衛隊は、生物・化学兵器の開発と装備に、異状な熱意を持ち続けていることを裏付けることになるからである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●宮川正
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
翌日、杉山は再び天皇に上奏し、再度、南進作戦の動員について下問を受けた。
御上 動員をやつて宜しい
而し近衛、「ルーズベルト」の話がまとまれば止めるだらう
総長 仰せの通りです
御上 又聞くのであるが南をやつて居る時北は出て来ることがないか
総長 絶対とは申上げられませんが季節の関係上大きなものと出て来るとは考へられません
●福沢諭吉