細菌戦の系譜!!

2021-01-03 07:55:09 | Weblog

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中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

米中の生物兵器開発?

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―

 
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん
 
これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

リニア反対!!

 
自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
 
敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本

 

終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』

 

「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー

中国侵略史から学ぶもの

『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??

 

PTSDの日本兵と家族の交流館

黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館

 
 



パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-01-03 07:53:14 | Weblog

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

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 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報

 

雑報

第67回講習(第1回公衆衛生学講習)

自昭和4年9月21日至12月21日

 

細菌学、免疫学、原虫学、寄生虫学実習

 

9、 課外講義  数回

◎見学 午後

栄養研究所(講話)

内務省栄養研究所(実地講話)

警視庁細菌検査所(実地講話)

東京市衛生試験所(実地講話)

文部省体育研究所(講話)

聖路加病院公衆衛生部(実地講話)

学校衛生の実際(麹町区、実地講話岡田道一氏)

松沢病院(精神衛生講話 杉田直樹氏)

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

埋もれた細菌戦調査書

 

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●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

3章 細菌戦裁判弁護団から

過去の戦争の反省が不可欠

丸井秀弘(弁護士)

 細菌戦裁判を通して、中国の各地を訪れ色々な人に出会いました。言葉は違いますが、外見は日本人と同じで親類の人に会ったような印象でした。また、農村の風景も、昔の日本に戻ったような感覚を覚えました。まさに、中国人と日本人は同じアジアに住む兄弟のような関係であると実感しました。

 戦争と環境破壊の20世紀も終わり、21世紀になったのですから、本当の意味での世界平和を実現して、地上天国を実現したいと思います。その為には、過去の戦争の反省をきちんとすることが不可欠と思います。

 一審判決の成果は、細菌戦の被害を認めた事と国際法違反を認定したところにあります。今後はこの成果を手掛かりにしながら、具体的な損害の回復を目指し、それを通じて中国と日本の平和的な共存と繁栄を実現したいと思います。控訴審の勝利を目指して共に闘いましょう。

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

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細菌戦の系譜!!

2021-01-03 07:50:24 | Weblog



2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 ●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 三月二十四日

 午後五時五拾分整列をするのを承知で 入浴に行きスピードで中隊に帰り 各班に大声かけつつ駆け回る 本当にせわしい 夕食もろくろく食べられないくらい忙しい

第一五列車で首山に行くこの前の服務と同じことだ

食い残りのような月が足元を非常に明るく巡察兵を助けてくれる 丁度二中隊の巡察と一緒になり二中隊は首山より立山に 私達は首山より遼陽に分かれて走った 午後一一時半寝に着いた 足が疲れた故か くたびれた為に痛いようだ。一日中立っていたからね 今日の行程は射場二往復にて約五里余りも歩いた。

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 原水爆禁止の国民運動の本質的な効用の一つは、この種の最悪の頽廃に警告を発する事だった筈だし、その効用は十分に成果を上げて来たというべきであろう。少なくとも、今日、広島の盲目の被爆者に、ベトナムで数発の核爆発物を用いれば、戦争は片が付くと思うが、君はどう思うかね?と訊ねる新聞記者はいないだろう。そしてそれはこの9年間の原水爆禁止運動が、成し遂げてきたところの荒廃の治療の結実である。

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

解説ーノモンハン事件 (西野留美子)

戦闘は、9月までの約4か月間に及んだが、ヒトラー軍のポーランド侵攻によりソ連軍は欧州戦の事態を憂慮し、その戦闘の終結を固めた。9月15日に、モロトフ外相と東郷駐ソ大使の間で、停戦協定が結ばれ、事件は終止符を打った。この戦闘は、日本軍に約17000余名の死傷者を出し、日本軍の惨憺たる敗北で終結した。

 

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

六 第731部隊の各支隊

 

榊原秀夫供述書(1955年5月17日)

 

問:日本降伏の際、162支隊の生産設備、器材、文書類はどのように処理したのか。

答:1945年8月9日、日ソ開戦の知らせを受け取った後、支隊の保存していた細菌、動物を、部下に命じて731部隊本部へ運ばせた。また200名ほどの隊員を率いて、50台の車に防疫医极2組を積んで牡丹江へ向かった。その他の設備、器材は、残してきた25名の隊員に命じて、藁を被せ、ガソリンを用意して、焼却の準備を整えさせた。731部隊の命令を受けるか緊急事態が発生するかした場合には焼却せよ、と命じたのである。その後、部下らは私の命令を執行し全てを焼却した。私は牡丹江へ向かう途中、事態が急を告げていたため、七星付近で車と医极を全て焼却した。

(1)119-2、8,1、第4号

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

砒素鉱山の被害

政府が土呂久の慢性砒素中毒を公害病に認定したは1973(昭和48)年だが(笹ヶ谷はその翌年認定)、戦後、この公害が中々社会問題にならなかった点については、「軍国主義化していく日本資本主義の中で、化学兵器としての重要性と秘密性が圧殺の権力構造を作ってきた。たかが山村の一集落という意識が、化学兵器生産の重要性から生まれて来た。被害者の叫びは、その圧殺の壁の中に閉じ込められた」という指摘がある(土呂久を記録する会編『記録・土呂久』)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-01-03 07:48:04 | Weblog

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者

 

1974年、既に80歳の吉村一二三さんは、「私は1937年8月~1945年8月まで、毎日4時に起床して忠海から30分船に乗って通勤し、島で仕事をした。私は直接毒ガスの製造に携わったわけではなく建設現場にいたのだが、手の掌のようなあの島では、どこに行っても毒ガスがいっぱいで、島の人々はほとんど肺を侵されていた。しかし、当時は誰も私たちに島の工場で何を作っていたかを話してくれなかったし、私たちも島のことを話すことを禁じられていたから原因が何かはわからなかった」と回想した。

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

強姦

赤ん坊を殺し母親を犯す

 

石田幹雄

兵長

〈略歴〉

1913年 山梨県の中農の家に生まれ、

1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、

1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。

1942年5月末 中国に侵略し、

1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。

 

中国に初年兵として上陸以来、いまだ半年にも満たないのに、私は擲弾筒手として、4回もの「討伐」行動に加わっていた。戦闘をやることよりも、行く先々の農家に踏み込んで牛、豚、鶏を殺して、腰かけ、又は農具等、時によっては棺桶までも焚き物にして、かき集めた油や粉で「野戦料理」をこしらえて食うのが『討伐』だと思うようになっていった。古年兵たちは「『討伐』に行けば酒も女も付いて回るし、賭博の“もとで”も転がっているもんだ、員数(生命の意)さえ飛ばぬように気を付けりゃ、討伐様様だ」と口癖のように言っていた。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??

 

次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(2)CBRN対応に関係する教範

これらの教範は各部隊の化学担当幕僚(一部衛生担当幕僚)の教範として作成された。その目的は部隊運用を専門的な観点から支えることである。当然前提となる部隊の運用に関しても原則、教範が作成されなければならない。この部隊運用に関係するものは以下の通りである。
・「野外令大部隊(第1次案)」陸上自衛隊幹部学校
(幹部学校で演習を実施しつつまとめ始めていた野外令の初期の案であり、教範作成開始の頃の案である。
・「野外令の解説」陸戦学会 1986年5月 1956年5月

 

 

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

メインテナンス職場の病気

ところが相模原労管などの調査でも、溶接に使用する材料などからは、カドミウムらしいものは検出されないということで原因不明のままになっているというものである。

 これに対して全駐労は、症状が神経ガスまたはその他の化学剤による中毒症状ではないかとして、さらに精密な調査を進めている。このメンテナンスの職場は、人肉の付着したM-113型戦車の修理をして話題を撒いた通り、ベトナム戦争で毒ガスに汚染した戦車がそのまま運び込まれていないという保障はない。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



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細菌戦の系譜!!

2021-01-03 07:43:30 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     

4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 

逐語的な記録が存在しないという事情もあって〔200210月、外務省と宮内庁は第1回会談の記録を初めて公開した〕、この秘密会談の内容をめぐっては、のちにマッカーサーをはじめ、天皇とマッカーサーヘのインタビューをもとに文章をまとめたアメリカのジャーナリスト、さらには日本側の政府関係者や歴史学者たちによって、さまざまに矛盾した説明がなされた。おそらく、彼らの第1回目の会談についてせいぜい言えることといえば、天皇とマッカーサーの両人とも、それぞれの立場がまだ不安定で、再調整を図っていた時期に会談に臨んだということであり、またふたりとも会談が成功裡に終わったとの感触を得ていたということくらいだろう。裕仁は、マッカーサーが自分を利用しようとしており、戦争責任の問題を追及しなかったことを知って、ホッと胸をなでおろした。一方、マッカーサーの方では、天皇が彼の占領遂行を高く評価し、協力を約束してくれたことに感動を覚えた。なお、推測ではあるが、ふたりとも自分たちの部下すでに手がけていた天皇を犯訴追から守る努力については言も触れなかった。

小泉親彦と昭和天皇

 

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

 

あとがきにかえてー自然エネルギーの展望

 自然エネルギ―の代表だった水力発電は、今やそのダム建設が、コンクリート工事による環境破壊のシンボルと認識されるようになった。ところがエコキュートなる商品を普及させた電力会社は、それでも原発の電気が夜間に余ってしょうがないので、何を企んだかかと言えば、深夜の電力を使って、下の貯水池から上の貯水池に水を汲み上げる「揚水ダム」という巨大で無駄なダムの建設に熱中してきた。そうして「最大ピーク電力の時に、このダムの水を落として、最大電力需要に対応するのです」とのたまう。

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 ●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

 

歴史的重要度の高い核爆発・核実験

年月日           名称(実験名)            核出力 (kt)     実施国 重要性

1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000  ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験

1964年10月16日 596 22  中国 中国による初の原子爆弾実験

1967年6月17日 実験 No. 6 3,300  中国 中国による初の水爆実験

1968年8月24日 カノープス 2,600  フランス フランスによる初の水爆実験

1974年5月18日 微笑むブッダ 12  インド インドによる初の核分裂爆発実験

1998年5月11日 シャクティ I 43  インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)

 

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書


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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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