●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
私が背負った昭和の業(731部隊員の父と過ごした戦後)
ひとさらい(731部隊員の父と過ごした戦後 野崎忠郎)
父は獣医師だった
日本語版ウィキペディアでは、日本人にとって不都合な情報や 居 心 地 の 悪い内容は省略されていたり、故意 に曖昧になっている!!
(日本語版ウキペディア)
「731部隊」についてウキペディアで調べると最初に以下の様の書いてある。
「満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった[1]。そのために人体実験[2][3][4]や実戦テストを行っていたという意見もあるが、実際の文書の形での記録証拠は現在までのところ発見されていない。細菌戦研究機関だったとする論者の中でも、その中核的存在であったとする見方がある一方で、陸軍軍医学校を中核とし、登戸研究所等の周辺研究機関をネットワーク化した特殊兵器の研究・開発のための実験・実戦部門の一部であったという見方も存在する。」
と書いてあるが、実際はこうではないか。
関東軍防疫給水部(731部隊)は表向きは、防疫給水業務を任務に掲げたが、実際は、人体実験により、細菌兵器を研究し、製造する工場であった。支部は5つあり、林口、ハイラル、牡丹江、孫呉、大連にあった。指揮系統は、陸軍参謀本部(昭和天皇も関与)の元に、新宿の陸軍軍医学校が中核となって、指示を与えていた。物資(鼠・標本等)等の輸送で、日本と中国を頻繁に往復していた。731部隊で作られた細菌兵器は、実際中国各地で使用された。
人体実験のデータ等の細菌兵器の研究成果は、戦後アメリカに渡り、その見返りとして、部隊員は全員戦犯免責された。それは、全て極秘にされた。1980年代アメリカの公聴会で、米陸軍記録管理局長が、1950年代後半か60年代初めにその資料を日本に返還したと証言しているが、日本政府はその資料がどこにあるのか明らかにしていない。
(日本政府は731部隊の資料をずっと隠し続けている!!)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
犯人像
・毒物の取り扱いに慣れていた人物
・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?)
・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?
・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。
・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!
戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答
蓮舫氏、領収書再び提示拒否の安倍前首相に「小さい判断ですね。やましいのですか?」
リニア反対!!
調布の道路陥没、リニアでも同じ不安 沿線住民が要望書
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。