●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第15章東京裁判
Ⅳ
検察陣はおよそ8ヵ月近くにわたつて各段階の諸事件を立証していくのであるが、それは6月4日に行われたキーナンの劇的な冒頭陳述によって開始された。キーナンによれば、東京裁判は「文明に対し宣戦を布告し」た人間を裁き、それゆえに、「全世界を破滅から救ふ為」の「文明の断乎たる闘争」の一部と見なされるべきものであった。キーナンは続いて検察側の立論の概要を説明していった。その後、検察官は、アメリカと日本の外交政策が実際にどのようなものであったかを立証するために、連日、条約や協定その他の文書を提示した。検察側は109人の証人を召喚して口頭で証言させ、また561人の書面による証言(陳述や宣誓供述書、尋間調書などの形態で)も提出した。被告たちに不利な証拠が着実に積み重ねられていった。最初に浮かび上がったテーマは、宣伝や検閲、教育教化の中央集権化など日本側の戦争準備に関わるものである。続いて、帝国軍隊がさまざまな国で行った戦争犯罪に焦点を当てながら、侵略戦争の実態に関する物語が組み立てられていった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験の禁止
大気圏内で行う核実験は、大気中に放射性物質が飛散することになるため、これを禁止する国際条約が締結されることになった。1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT) が締結され、同年中に発効した。この条約には100ヶ国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。フランスや中華人民共和国は署名していないが、後には大気圏内核実験を取りやめた。PTBT自体は、実験の規模や回数を制限していない。アメリカ合衆国とソ連は1974年に地下核実験制限条約(TTBT)を締結、1976年には平和目的地下核爆発制限条約を締結し、地下核実験における核出力を150ktに制限し、相互に検証することに合意したが、これらの条約の発効は冷戦終結後の1990年までずれ込んだ。
地下核実験も禁止対象とする包括的核実験禁止条約 (CTBT) が提案され、1996年より署名が開始された。この条約は、発効の条件とされた特定の44カ国全てにおける批准が実現されておらず、2011年時点では有効な条約にはなっていない。また、臨界前核実験も CTBT では禁止されていない。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した