細菌戦の系譜!!

2021-05-23 08:58:48 | Weblog

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月3日(月)

12、事実に圧倒された。過去をきちんと見て未来を考えていきたい。戦争の悲惨さは伝え続けるべきであり、知ることができて良かった。

(女性、40代、市外(藤沢)、友人)

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 

 

 

 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

 

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


 
 

 

 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2021-05-23 08:57:20 | Weblog

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 



 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

 

1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その2)

                             栗原 敦

研究史の概要

194年11月発生の京都・島根ジフテリア予防接種禍事件は,84名の死亡を含んで約千名の被害を生んだ世界史上最大の予防接種事故でした。ワクチン製造上、無毒化におけるミスとロット管理の誤り、また国家検定のための試験品抜取りの誤り、被害発生後の対応の誤りが錯綜した事件でした。厚生省の意向をうけた京都府が、刑事訴訟進行中に編集刊行してしまった『京都ジフテリア予防接種禍記録』(京都府衛生部1950.3、以後「記録」という)が公式記録としてこの事件の真実を伝えたかのようにみえます。また国会会議録にも相当量の記述があります。しかし、京都府の記録が作成されるときに参照されたはずの京都府・京都市の公文書や厚生省(当時)に残された文書は、その後の誰によっても検証されていないのです。


 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-05-23 08:54:33 | Weblog

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)

 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 31部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

志賀赤痢菌毒素及び抗毒素の研究

第1報   細谷省吾

        岸野茂樹

         寺尾秀三

第2報   細谷省吾

        寺尾秀三

 


本実験は数頭の家兎を以てせる実験にして、剖検上著明なる盲腸の変化を現はせるものを以て毒素作用陽性とせり。
以下精製毒(Ⅰ)を以てせる本毒素の性状に関する業劇を挙げれば
 
8)本毒素50㏄を20㏄に濃縮しDigitonin(0.1g)の木精3㏄)溶液を加え1日放置する時は有効成分
は沈殿の濾液中に存在す。
9)本毒素9㏄に過酸化水素(三共:オキシフル)を1㏄を加え、37℃1時間し馬鈴薯1カタラーゼを以てH₂O₂を分解後家兎に注射すれば毒性は稍々減少を示したるに過ぎず。
10)本毒素にフォルマリンを0.4%の割に加え37℃3日間放置したれ共毒力の減退を見ず。

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 埋もれた細菌戦調査書

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)


「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

過去の清算なくして正義は主張できない

 

篠塚良雄(元731部隊員)

現在、黒龍江省ハルビン市郊外の平房にある731部隊本部跡地では、生体実験中の人を監禁していた7棟と細菌を製造した3棟の一部(7,8棟の入口に近い部分と思いましたが)が、証拠隠滅の為に爆破した瓦礫と土砂の中から、中国の政府機関によって掘り出されています。

 私は最近731部隊本部跡地の発掘中の現場を視察してきました。私が見たところ、発掘された7棟の現場からは、はっきりと7棟の廊下の部分が確認できました。し、また生体実験の材料にされた中国や朝鮮の人達を監禁していた小さい室もはっきりと確認できました。

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-05-23 08:52:31 | Weblog

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二五日

 

競争は益々激しくなってきた ところが、思い出したように時々曇っては雨が少しずつ降りだした 朝の内は非常に良い日であったが。奥さん連中は大きな荷物を持って段々見物に来た 晴の着物の模様も見事(荷物はご馳走らしい)一回終わるたびに歌う応援歌 上図な手拍子 中々洗練された態度だ 大人の憩える為に小学生の方は付け足しのごとく 可愛そうな位に気合がかからない。

小さい生徒の面白い競争は多くの見物人を喜ばしている。

 

 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

 

ところが、広島に原爆を投下するかぎり、そのようにまで最悪の事は起こらない。広島の人々は、徹底的に壊滅され尽くし、その市街全体が一個の巨大で醜悪なガス室と化すことによって、それをそうあらしめた者ら、原爆の投下者達に、彼らが一体どのように恐怖に満ちた悪をなしたのかを、骨身に徹して理解させるという事はしなかった。広島の人々は、被爆以後すぐさま、自ら回復するために闘い始めた。それは、勿論広島の人々自身のための努力であったが、同時に、原爆投下者たちの良心の負担を軽減させるための努力でもあった。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事

 

溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部

 

〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。

 

昭和20(1945)年8月9日

 

一方、安達演習場の施設を破壊する班が、石川曹長の指揮の元に、貨物自動車何台かで出発したようだった。安達演習場には細菌爆弾の効力試験を行う設備があり、監視小屋、演習用具(布団、棒杭、“マルタ”を縛る縄)などがあり、それを処理しなければならなかった。ここの破壊作業は、8月14日までかかったという。

 
 
 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

3 731部隊に関する戦争犯罪裁判

 

かつて、60頁の英文レポートが未発見であることをもって「フェル・レポート」は未発見であると誤解し、それが発見されない限り人体実験を示すアメリカ側資料はないとする見解が示されたことがあるが、これはアメリカの4次にわたる報告書の形式が、まず「総論」がきてそれに続く「各論」を要約しているという事を理解していないことによるものである。その意味で、「フェル・レポート」は「各論」に未発見や未提出のものがあるが、「総論」は提出されているのである。

 
 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用

 

徐州会戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの初使用

1938年2月、大本営はこれ以上戦線を拡大しないという方針を決定し、中支那方面軍を廃止して新たに中支那派遣軍(軍司令官・畑俊六大将)を設置した。ところが、大本営の方針を無視して侵攻した北支那方面軍の部隊が、山東省の台児荘で中国軍から撃退されるという事件が4月に起きると、陸軍中央は不拡大方針を覆し、北支那方面軍と中支那派遣軍が合同で中国軍主力を徐州付近で包囲殲滅しようとすr徐州会戦を行った。この年の日本軍は、大規模軍事攻勢で蒋介石政権(中国国民政府)の屈服を計ろうと、徐州・武漢。広東を攻略する大作戦を連続して実施したが、この時からくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用が始まっていった。

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

残酷な軍事演習

  第1段階の演習中に防毒マスクを外してしまって3人は、宿舎に戻ると顔が赤く腫れ上がり、その上だんだんひどくなってきたので、やはり第1陸軍病院へ送られた。和田の目は腫れて開かなくなり、医師は彼が失明するのではないかと心配した。進藤と村田は肺炎に似た症状を起こし命旦夕に迫った。6日後、村田は永眠し、他の両名は数か月の治療で幸いに助かったが、体が毒剤に接触した部分は黒褐色に変色してしまった。しかし、日本の毒ガス兵器研究に従事した人に言わせれば、この人々の受傷を通してかえって意外な「収穫」を得たとする。つまり、糜爛性の毒ガスは液体のときに人体に重大な傷害があるばかりでなく、気体状あるいは霧状のときにも人体に明らかな傷害があるということだ。これより、日本の兵士の生命と引き換えに得た結論は、日本の化学戦の規則のなかに厳粛に書き入れられた。

 



 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-05-23 08:50:05 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使

 

大西馨(おおにしかおる)

大尉

 

〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳

 

「先頭車から出発!!」先頭車の4人は枠に手をかけ、不規則に曲がった軌道に気を配りながらおしていった、そこから急傾斜で台車は矢のように飛ぶ、長浜上等兵は、「おい、ここからは1人で舵を取って下るのだぞ、うまくブレーキをかけんと脱線して車を壊してしまうから気を付けろ、ええか、わかったか!!」

4人の捕虜は心配そうに見ていたが、≪なるほどこれは殺人道だ、ひどいことをさせやがる≫と憤りの眼で睨んでいたが、やがて1人の青年を選んで3人ははらはらしながら振り返り振り返り歩いていった。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

3 「機密」概念の曖昧性

権力のほしいままに    

「明文上は表われていないが、合衆国軍隊において、機密として取り扱わていない事項で、そのことが明らかにされたものは、事柄の性質上当然合衆国軍隊の機密の範疇から除外されるものと解している。合衆国軍隊の機密には、その種類として重要度の高い順に挙ると

(イ)トップ・シークレット(Top Secret)

(ロ) シークレット(Secret)

  (ハ)コンフィデンシャル(Confidential)

〔ニ)レストリクテッド(Restricted)

の四種がある由で、この分類のいずれかに該当するもののみが、ここにいう合衆国軍隊の機密に当るわけである」(同書54~5ページ) 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

5 生物・化学戦における被害想定

仮定生物剤風下危険距離

第2表の有効時間は、散布後の死傷発生能力維持時間を示す。故に、風下危険距離は次式で求められる。

風速(km/時)×有効時間(時)=距離(km)

目標地域に剤雲の無くなる時間は、目標の風向長を風速で除し、その商に、安全係数10分加える。

 また、その剤雲は、弾着地域の風下方向両側に、約20度ずつの範囲内に拡がることが考えられる。

 次式は、生物剤雲が無くなる時間を計算するために使用する。

目標の風向長(㎞)/風速(㎞/時)=移動所要時間(時)

移動所要時間+10分(安全係数)=剤雲の無くなる時間

 

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



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細菌戦の系譜!!

2021-05-23 08:48:43 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 検察陣はおよそ8ヵ月近くにわたつて各段階の諸事件を立証していくのであるが、それは6月4日に行われたキーナンの劇的な冒頭陳述によって開始された。キーナンによれば、東京裁判は「文明に対し宣戦を布告し」た人間を裁き、それゆえに、「全世界を破滅から救ふ為」の「文明の断乎たる闘争」の一部と見なされるべきものであった。キーナンは続いて検察側の立論の概要を説明していった。その後、検察官は、アメリカと日本の外交政策が実際にどのようなものであったかを立証するために、連日、条約や協定その他の文書を提示した。検察側は109人の証人を召喚して口頭で証言させ、また561人の書面による証言(陳述や宣誓供述書、尋間調書などの形態で)も提出した。被告たちに不利な証拠が着実に積み重ねられていった。最初に浮かび上がったテーマは、宣伝や検閲、教育教化の中央集権化など日本側の戦争準備に関わるものである。続いて、帝国軍隊がさまざまな国で行った戦争犯罪に焦点を当てながら、侵略戦争の実態に関する物語が組み立てられていった。

 

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験の禁止

大気圏内で行う核実験は、大気中に放射性物質が飛散することになるため、これを禁止する国際条約が締結されることになった。1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT) が締結され、同年中に発効した。この条約には100ヶ国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。フランスや中華人民共和国は署名していないが、後には大気圏内核実験を取りやめた。PTBT自体は、実験の規模や回数を制限していない。アメリカ合衆国とソ連は1974年に地下核実験制限条約(TTBT)を締結、1976年には平和目的地下核爆発制限条約を締結し、地下核実験における核出力を150ktに制限し、相互に検証することに合意したが、これらの条約の発効は冷戦終結後の1990年までずれ込んだ。

地下核実験も禁止対象とする包括的核実験禁止条約 (CTBT) が提案され、1996年より署名が開始された。この条約は、発効の条件とされた特定の44カ国全てにおける批准が実現されておらず、2011年時点では有効な条約にはなっていない。また、臨界前核実験も CTBT では禁止されていない。

 
 
 
 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
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