細菌戦の系譜!!

2021-05-28 14:09:02 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

 

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月4日(火)
17、加害を知っているつもりでいましたが初めてのことが多く情けない人間だなあと思いました。子どもの頃は戦争に批判的なメディアや言論は(加害を言わないにしても)それなりにあったと思うのですが、否定論者やメディアが取り上げないことで増々軍国主義に親和性が生まれてきつつあり、意外と洗脳されてきてる自分に気が付きました。やはり被害を言う前に何をしたか、はっきりさせる必要がありますね。ホントに村山は社会党の恥です。共産党も軍拡を批判しない昨今に全体主義(軍国主義)が完成しつつある恐ろしさを感じつつあります。
(男性、50代、市外、チラシ)
 

 
 

 

 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-05-28 14:05:23 | Weblog

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 
 
自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 

パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その2)

                             栗原 敦

 1972(昭和47)年6月30日京都府議会(質問 松尾孝議員、答弁 蜷川知事と矢野衛生部長)(昭和47年6月京都府議会定例会会議録 第4号) 

松尾議員は予防接種による被害の全般についてとりあげ、そのひとつとしてジフテリア事件に も言及しました。昭和45年春期種痘後の事故多発(いわゆる種痘禍として社会問題化)、同年6月被害者の親の会が東京で予防接種事故防止推進会を結成、同7月京都でも予防接種被害児を助ける会が発足。伝病予防調査会の答申をうけ、同年7月31日予防接種事故に対する救済措置が閣議決定されるまでの経過と、救済措置の問題点や課題を指摘し、4点にわたり知事の見解を求めました。また、国の救済を補う意味で府独自の措置を求め、その中に救済措置から除外されたジフテリア禍の被害者救済を位置付け、救済措置に準じた手当てを京都府から政府に要求するよう知事、衛生部長に求めました。前年の府・市双方の議会での質問同様、松尾議員も「和解」は一方的に認めさせられたものとしました。その理由として、被害者を支援しようとした労働組合に占領軍から直接に攻撃がかけられるという状況があったことをあげています。昭和45年救済措置の閣議決定を知ったジフテリア禍被害者が真の補償を要求して再び立ち上がることは当然のこととしました。同議員は当時の和解が裁判所におけるものでもなく、厚生省(当時)に和解の文書なども存在しないことを指摘し、「国の責任が終わっていないということは明らか」だと主張しました。また、京都市が46年7月、11月に行った追跡調査にも触れ、回答221件中82件がなお異常があると訴えているとし、具体的に被害者安田隆さんの状況を紹介して、府の見解を求めました。これに対し、蜷川知事は次のように答弁しました。(注ジフテリア禍の件のみ紹介) 府として責任のある問題は、責任をもって解決に努力したい。結局後遺症の残っている方々をどうするかということ、十分部内で検討したい。(衛生部長はジフテリア禍については答弁していない) 

 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



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細菌戦の系譜!!

2021-05-28 14:03:32 | Weblog

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)


 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

志賀赤痢菌毒素及び抗毒素の研究

第1報   細谷省吾

        岸野茂樹

         寺尾秀三

第2報   細谷省吾

        寺尾秀三

 


終りに志賀菌培養より精製せる本毒素がBiuret反応、Nintydrin反応を呈せず。
Trypsinに消化せられず免疫学的に沈降素(本抗原に対する)産生能力なき事は本毒素が蛋白質に属せざる事を思わしむるに拘わらず抗毒素産生能力を有する事は免疫学的に興味ある事実を論じたり。
 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

戦争の惨禍の現場検証を

 

西川重則(731・細菌戦展示会実行委員会代表)

 

 今も尚、中国に対して、侵略・加害をくり返した歴史の事実を学ぶ事無く、多くの日本人は毎日を過ごしている。日本は、中国を初め、アジア太平洋地域の国々・人々に対して何をしたのかを教えられることなく、戦後57年を経過した。司法の世界も例外ではない。侵略・加害の歴史の事実を主体的に学ぼうとしない点では、裁判官も同じではないかと思われる。

 多くの裁判官は、裁判官である前に、ひとりの人間として、どのように生きているのであろうか。裁判官として、「良心に従ひ独立してその職権を行なっているのであろうか(日本国憲法76条)。

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-05-28 14:01:38 | Weblog

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二八日

 

晴 非常に天気よし 一日中寝て暮らす 体操30分 射撃予行演習20分 非常演習闇の中で武装したのが六部たいして早くもなし。

今日は本当によく寝た、少しばかり予行演習をやったばかりにして 午前中二時間午後5時間計七時間 夜は消灯による非常演習が午前一時にあったが 午前一時より七時迄寝てしまった。久しぶりに洗濯したなら手に豆ができて仕舞った、公用兵が持ってきた鼠捕りに見事二匹がかかった、本当に心持がよい 今まで随分荒らされたからな。柄にもないが清原班長殿と此の見事に咲き誇ったアカシアの花の下で俳句と和歌の競作をやった、

 

 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

 僕は聖書について殆ど何も知らないが、あの大洪水をもたらした神は、洪水後ノアが、再び人間世界を作り直すことを十分に信頼して、永い永い雨を振らせたわけであろう。もしノアが怠け者であるかヒステリックな絶望屋でその再建能力がなく、人間世界が洪水の後いつまでも荒野であり続ける事になったとしたら、天上には、神の狼狽があった事であろう。ノアが幸にも能力を備えていたので、大洪水は、神の期待より以上に暴威を振るうことなく、人間と神の秩序の枠内で役割を果たした、それは神が予め予定調和を信じた通りだった。しかし、こうした神とは卑劣な神ではなかったか?

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事

 

溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部

 

〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。

8月12日

昼過ぎに、ロ号棟の内部に作業していた者たちが外に出てきた。西山伍長は作業完了の報告をする為、ハルピン本部総指揮所の大田大佐のところへ出かけた。報告を終えた西山伍長の顔はゲッソリ痩せ、目は窪み顔色は悪く、どう見ても病み上がりの病人のようであった。わけを聞くと、「3日間、何も食べてない。飯が喉を通らなかった」という。“マルタ”の焼却にあたったのだが、目をむいている者やまだ息をしている者を構わず2階から投げ落とし、ガソリンをかけて焼いたという。

 

 
 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

3 731部隊に関する戦争犯罪裁判

 

 

 このように、本書に収録された731部隊。100部隊関係者の供述調書は、ソ連やアメリカによる尋問・調査が終わった後、1953年~55年頃に集中することになるが、ソ連が戦犯を裁くために尋問し、アメリカが戦犯を裁かずに細菌・化学実験の成果を入手するために尋問したのとは性格を異にしている。例えばアメリカの資料が、国防の為に、即ち次の戦争に利用するという観点から極めて生物・化学実験の技術的内容を聴取し報告しているのと対照的である。

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用

 

山西省南部でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの大規模使用

そして、参謀本部は同日に北支那方面軍に「軽迫撃砲あか弾」1万5千発・「あか筒」4万本を、駐蒙兵団には「あか筒」1万本を交付したが、今後は「あか弾」を特種発煙弾、「あか筒」を特種発煙筒と呼ぶように指示している(参謀総長閑院宮載仁「大陸指第109号」同前資料37-7)。これを受けて第1軍では毒ガス戦教育が始まったが、そこでは、使用の秘匿と、使った場合は中国兵をできるだけ「殲滅」して証拠を残さないようにすること、状況や効果を報告する事などが示された(第1群参謀部「機密作戦日誌」同前資料43)。内陸部で山地の多い山西省での使用は目立たないだろうと判断していたと思われるが、国際法違反の指摘や非難を浴びる事を意識してその使用を秘匿している事がよくわかる。

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

毒ガス鎮圧、危うく発生

 

 日本軍からすれば、当時の実戦レベルの演習の多くの重大な技術的問題を解決した他、特に、当時の多くの日本軍人の化学戦の威力に対する認識不足の問題を解決した。当時、多くの日本軍人は化学薬品を操作する方法を一顧だにせず、それは武勇ある軍人の使用すべきものではないと考えていた。

 しかしこの演習を通して彼らは、化学兵器の人体に及ぼす障害が通常兵器に比べはるかに重大であることを発見し、それからは心から喜んで化学戦の訓練を受けるようになり、同時に習志野学校の存在価値も重要視されるようになった。



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-05-28 14:00:16 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使

 

大西馨(おおにしかおる)

大尉

 

〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳

「おい、食い終わった者は明日の炊事の野草を刈れ」下村曹長は飯を口いっぱいほおばってむしゃむしゃさせ乍ら怒鳴りつけた、≪この野郎、どれほど俺たちをこき使えば気が済むのだ≫と、捕虜たちは憤りの視線を下村曹長の面上に投げつけては、鎌をとって湿地の中の野草を刈りに立って行った。こうして吹雪に追い立てられ、疲れた仲間と野草を積んで、長屋に帰ったのはもう夕方であった。だが、空缶一杯の高粱飯は、空腹を満たすにはあまりにも少なかった。

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第 回) 6月23日(水)15:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第 回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

3 「機密」概念の曖昧性

憲法違反の機密保持

 その一例としては、札幌地裁におけるいわゆる恵庭裁判(自衛隊法違反)がある。66年2月26日、防衛庁長官は、証人として出廷した田中義男元統幕事務局長が職務上の秘密であるとして証言を避けた9項目について、わずか2項目の尋間を承諾しただけで、のこり7項目は「国の重大な利益に反する」として承諾を拒否したのである(参考資料5)。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

 

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

 

神経ガスの出現まで

 

 また、本格的な初期の化学兵器として最も代表的なものは、“ギリシャ火薬”といわれる強力な焼夷剤で、窒息性の煙を生ずる兵器であった。兵器の化学的組成などは分っていないが、硫黄、石油、ロジン、れきせい、生石灰及び多分硝石を含んでいたと思われる。

 インディアンは、有毒なつたに魚油をしみ込ませたものを燃やして毒ガスを発生させたことが記録されている。

 しかし、何と言っても化学兵器が飛躍的に開発されたのは、第1次世界大戦を契機としてであった。化学兵器の草分けともいうべき塩素ガスは、今では主として訓練用として毒ガスの末席にとどまっているにすぎないが、それは毒性のより強い化学剤が開発されたためであって、塩素ガスそのものが毒ガスの看板を下ろしたわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



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細菌戦の系譜!!

2021-05-28 13:58:34 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 弁護側は、各被告の無罪を立証するために11ヵ月という時間を費やした。その大半が1947年中に行われたが、期間それ自体はニュルンベルグ裁判の全期間よりも長かった。被告たちに加えて、310人の証人が法廷に立ち、214人の書面による証言が提出された。なぜ日本が米英との戦争に至ったかを説明する際、弁護側はおおむね戦争中の日本の宣伝を繰り返し、ルーズベルトの外交政策を批判した戦後の膨大な文献を多用した。弁護側が、中国と太平洋における日本の行動の正当化に集中したのに対し、検察側は、弁護側の立証には事実関係に多くの誤りがあると指摘した。裁判所はしばしば弁護側資料の大部分が無関係、もしくは重要ないと裁定した。却下された文書には、アジアにおけるソ連の共産主義に対抗した日本の努力の詳細や、真珠湾攻撃に関するアメリカ議会の調査も含まれていた。ブレイクニ弁護人が、日本への原爆投下の決定に関するスティムソン前陸軍長官の言明の要約を提出しようとしたとき、裁判所はこれについても多数決で却下した。1948年の冬から春にかけて、検察側・弁護側双方の反証と最終弁論が行われた。

 

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
 
歴史
1997年11月、mNWC(UN Doc. A/C.1/52/7)がコスタリカ政府により国際連合事務総長に届けられ、国際連合の加盟国に配布された。
2007年4月、mNWCはNGOコンソーシアムを招集した核政策に関する法律家委員会(Lawyers' Committee on Nuclear Policy, LCNP)を通じ、コスタリカ及びマレーシア両政府の共同提案として、国際連合の核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会(Preparatory Committee for the 2010 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)に改訂版の「NWC」(UN Doc. A/62/650)として提出された。NWCは、以下の項目について核の取扱いを禁止している。
1.開発(development)
2.実験(testing)
3.製造(production)
4.備蓄(stockpiling)
5.移譲(transfer)
6.使用(use)
7.威嚇としての使用(threat of use)
2011年10月26日〜31日、国連総会で軍縮・国際安全保障問題を扱う第一委員会が52の決議を採択した。このうちマレーシアなどが提出した核兵器禁止条約の交渉開始を求めた決議が127か国(昨年より6か国多い)の賛成で採択された。
2016年10月28日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案“Taking forward multilateral nuclear disarmament negotiations”(document A/C.1/71/L.41)が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中国は棄権した。
 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
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