首相の伊勢神宮参拝反対!!
虐殺は、その前後で行われた!!
首相の伊勢神宮参拝反対!!
14日(日)
・素晴らしい展示です。特に731部隊の加害者の実名が明らかになっているのがよい。
(70代、市外)
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻11号(1934年)
学部と業務担任の変更
今回新館移転と阿部技師の満洲国衛生技術廠長就任に伴い学部及び業務担任の変更が
去る11月1日付を以て次の如く発表された。
検査部(代用消毒薬検定、梅毒血清診断、血清、病的組織、喀痰、糞尿、膿その他臨床診断学的検査、消毒薬その他水質空気等衛生検査、消毒機械検査、細菌学的製剤検査)
主任 助教授 小島三郎
診察部(付属医院)
主任(院長) 教授 宮川米次
培養基製造部
主任 助教授 小島三郎
血清検定部
主任 教授 佐藤秀三
講習
主任 教授 佐藤秀三
写真室
監督 技師 城井尚義
記念室
監督 技師 山田信一郎
冷蔵庫
(地階)監督 助教授 細谷省吾
(1階) 監督 技師 城井尚義
(2階) 監督 助教授 小島三郎
(3階) 監督 技師 遠山祐三
中動物室
主任 技師 城井尚義
小動物室
主任 技師 城井尚義
図書及び編纂出版室
主任 教授 佐藤秀三
事務部
主任 事務官 檜山兼次郎
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
当事者目録(別紙1)
原告ら訴訟代理人
弁護士 空野佳弘
同 高階叙男
同 竹下政行
同 段林和江
同 富崎正人
同 豊川義明
同 丹波雅雄
同 増田健郎
同 松本剛
同 山下潔
同 養父知美
同 赤松範夫
同 小沢秀造
同 北山六郎
同 高橋敬
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
四月二五日
だから話は横道にそれたが 今服部の此の公論雑誌でも(四月号)此の意味は少しも包まれていない事は誰が知らなくてもよい 私は十分承知し考えているんだから
来年の正月頃から概求式にと云っては大げさに聞こえるが 真面目に進歩について行こう思っている。それまでは人が何といっても、勿論云ひっこないが すべての雑誌に随所を拾う位の無心さで時間つぶしに読むこと心に画いている。
恋愛についてももう少し考へねばならなくなるー何分弐拾四歳になるんだから一ヶ年弱を山間で 終りの一ヶ年を街なれど主として野原だー終れた人間が進みつつある世界に向かって進むには 並大抵の努力では覚束ないと自覚している。洋服着て満期だの支那服だのと騒ぐがいい 社会に出たが最後 新聞も時間も公論雑誌も上の空式では何の効果もないばかりでなく、東西南北いずれを向いても恥ずかしくて立っていられないような羽目に陥る事は 火の如しだー之は僕自身の事だ。恐るべきしか でも慌ててはいけない 軍人生活中だもの。
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
香港難民の大量虐殺
ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・
丸山茂
8604部隊
(経歴)
1917年生まれ
1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集
1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属
1943年3月 除隊。帰国
1945年 再召集
1945年8月 朝鮮で除隊
1945年10月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
4 山西
中村三郎供述書(1954年8月21日)
問:中国で人民に危害を与えるどのような罪行を行ったか、具体的に述べよ。
答:1945年7月上旬、惇(忄が山偏)県原平鎮独立混成第3旅団独立歩兵第7大隊において高級医官・軍医中尉であった時、原平鎮陸軍病院での軍医の集中訓練に参加し、2名の中国人捕虜を使って生体解剖の実習を行った。訓練参加者は2組に分かれ、原平鎮陸軍病院外科医官の新谷見習士官が指導した。2組は一斉に虫垂切除、糞漏形成、気管切開、動脈結紮、四肢切断などの手術を行った。手術後、捕虜がまだ生きていたため、石灰酸5㏄脳脊髄内に注射してこれを殺害した。
(1)119ー2,1105、1、第4号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦
日中戦争の勃発と不拡大方針の設定
1938年2月16日の大本営御前会議では、「自昭和13年至同年夏季 支那事変帝国陸軍作戦指導要綱」が採用されて、当面の戦面不拡大が決定された。これを起草した参謀本部作戦課長・河辺虎四郎大佐は「兎に角私等の方針として8月迄絶対に新作戦をしないと云ふのを原則」としたとしている(参謀本部作成「河辺虎四郎少将回想応答録」小林龍夫/稲葉正夫/島田俊彦/臼井勝美解説『現代史史料』第12巻<日中戦争4>)。戦争のとめどない拡大が、対ソ戦準備の遅れと国力の消耗をもたらすことを恐れ、これ以上戦線を拡大しないことを決定したのである。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
廉坡村の崔鳳安の妻、馬喜鳳は12歳の娘を連れ牛の囲いに隠れていた。母子は毒ガスにむせて息がつけなくなり、湿った牛糞で鼻を防ぐしかなかった。これを見つけた日本兵は憎々しげに2人を足蹴にし、さらに銃床で殴りつけ、牛糞を放せとと脅した。必死に抵抗する馬喜鳳を日本兵は3度続けざまに銃剣で刺し、さらに娘の腹にも剣を突き立てた。娘は一声絶叫し血の海の中に倒れた。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
1 軍令事項
開ざされた用兵面
軍事力の建設と使用は、不可分の関係にある。自衛隊の軍事理論では、この両側面について決定するものを軍事政策または防衛政策と呼ぶ。それは国防政策の一部であって、防衛力の造成、維持ならびにその運用などに関する政策である。軍事政策は、①国家活動によって追求される基本的な目標である国家目的、②これを達成するため当面、国の努力を指向すべきところをしめす国家目標、③これを達成するため国の政治、経済、社会、軍事、その他各般にわたる国力を発展させ、これを運用することについて定めた国家政策というように順次導き出されてくるとされている。これらがどのように策定さているのか。公表されたものとしては57年5月20日、国防会議で決定された「国防の基本方針」が主なもので、国防政策といえるほの内容は含まれていない。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
監修者あとがき 2002年10月 吉田裕
もう1つは、ビックスが、昭和天皇のある意味では矛盾に満ちた意識のありようを、特定の理論的枠組みによって裁断してしまうことを、慎重に回避しようとしていることである。この点に関しては、従来の日本側の研究には、私自身のそれを含めて、昭和天皇の意識や行動の一貫性を強調しすぎる嫌いがあったように思う。戦後の日本社会において、昭和天皇の歴史的評価について何らかの形で発言しようとする人は、戦争責任の有無という問題を避けて通るはできず、昭和天皇に対するその人の態度がどうであれ、ある意味では、戦争責任という枠組みの下でしか、昭和天皇を論じる事が出来なかったからである。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国
中国初の核爆弾(模型)
1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。
1967年6月17日 初の水爆実験。
詳細は「中国の核実験」を参照
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!