細菌戦の系譜!!

2022-07-03 11:09:23 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 



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ウクライナ破壊は「途方もない間違い」 ロシア富豪が非難

日本は、なぜ、核兵器禁止条約締約国会議に参加しない??

 

戦前・戦後直後と同じ、トップは無責任!!

国が原発推進していて、事故があったら責任ないなんて全くおかしい??
責任を全部下に押し付けるのは、BC級戦犯裁判、226事件と酷似だ!!

 

226事件は憲兵隊も陸・海軍も事件が起る前から情報を得ていた。なぜ事件を止めなかった??

全貌226事件

2.26事件

 
何をやっているのかさっぱり分からない??
 

 

それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
 
 

ウイグルで何が起こっているのか?

 
ウイグル抑圧継続と中国非難 年次報告「AIで市民監視」―米長官

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた

 


 

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。


731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か

 
 
戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ

 
 

 


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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 11:08:26 | Weblog
 

「戦争の加害展」プレ企画

 

 

 


 


 
*7月18日(月)の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。


関連パネル展



731部隊全景

731部隊の真実

東京ブラックホールー戦後0年

 

戦争を停止する道を探れないのか??
 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
 

国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 


 
 

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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 11:06:56 | Weblog

「中国は敵ではない。東アジアは平和と繫栄の基礎。東アジアで2度と戦争を起こさない」

 

 

 
森友記録を開示せよ!!
 

 

 
 
 
 

ソニアの日記

 

コタバル 伝えられなかった戦争(2011)

 

セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)

 

開戦ー前編ー

 

 

 
 
 

推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない

 
 
反原発!!

 

 
 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

 

 
 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分

 

マギーフィルム(字幕付き)

 
 
政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 11:05:22 | Weblog

「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を

 
 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月16日(火)
(加藤哲郎講演)
・731部隊について数年前に武蔵小金井で講演を聞き、その後何回か、講演・NHKスペシャルなどで個別に勉強してきました。本日改めて、全体像の説明を受け、少しずつ、頭の整理ができました。ありがとうございます。
アミダステーション展示・ビデオのアンケートにも記しましたが、731部隊に関係したNHKBSのドキュメント番組一般公開してほしいと思います。NHKに対しても無償公開、自由アクセス可能なよう要求したい。
中学生・高校生・大人(戦後世代)の勉強材料としたいと思います。本日先生の紹介のあった本・議事録を一覧公開をお願いします。
(70代、市外)
 
 


 
 
 

 



 



原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 

                



 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 11:04:09 | Weblog

第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった

 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8

 

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

生物兵器、脅威に懸念 防御後手   (The Economist)2020.5.5


(写真は、ドイツが実施したバイオ攻撃に対応するための訓練)=AP

■ゲノム編集可能になり生物兵器も新世代に
11年、日本(編集注、東京大学医科学研究所の河岡義裕教授)とオランダ・エラスムス医療センターの研究者がそれぞれ、鳥インフルエンザウイルスを遺伝子操作で改変し、哺乳類の間で呼吸器経由で感染しえることを確認したと発表した。オランダ政府はこれに関連する論文を同国の輸出管理法の対象にした(編集注、同技術が生物テロに悪用されかねないとの懸念が浮上したため)。




 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 11:02:20 | Weblog

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 

 

戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
 

(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 この事件は、冤罪の可能性が高いことが長らく多くの識者によって指摘されてきたが、現在でも再審請求を続けている平沢弁護団が所蔵する捜査資料『甲斐捜査手記』の分析から、非常に重要なことが浮かび上がってきた。
 それは、帝銀事件捜査陣は、旧日本陸軍の秘密戦部隊(731部隊・登戸研究所、毒ガス研究をしていた六研、中野学校など)の実態を詳細に明らかにしていたが、米軍はそれらの部隊が行なった人体実験データを入手するために、731部隊をはじめとする部隊関係者の多くを免責・保護し、さらには関係者に捜査当局にも旧軍の秘密を話さないように約束させたということである。

  

 

 
 
 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 
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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 10:32:57 | Weblog

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

 

 

実験医学雑報19巻 第11号(1935年)

 

学術集談会

去る10月24日(木)午後1時から所内講堂に於て学術集談会が開催され、演題は次の如くであるが、第2席の報告は、本年1月神奈川県川崎市に赤痢の爆発的大流行があった際、当所職員の大半を挙げて同市に於ける保菌者の検出に従事し、引き続きそれに関連して詳細なる学術的研究を行なった成績を、各担当部分の代表者によって、それぞれ演述されたものである。

 

演題

1、ParatyphusB型菌の変異に関する研究殊にModificationに就いて  早川清君

2、昭和10年川崎市赤痢流行時に於ける保菌者検索報告 小島三郎君、矢追秀武君

   A.保菌者の検出

   B.保菌者の菌保有持続検索

   C.保菌者株の細菌学的検索

   D.保菌者の統計的観察

        附.赤痢血清に高度に凝集する大腸菌群に就いて

 

3.放射線によるタンパク質の変化(総説〉         八田善之進君

 

 

 

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑


大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

大牟田「爆発赤痢」事件

北宏一郎



 

 


 
1988(昭和63)年8月21日(日) 朝日新聞
旧陸軍の細菌兵器開発
東京の防疫研究室が中枢
軍医学校の極秘報告書が見つかる
 
作家の山中氏が入手
 
 また
①関東軍防疫給水部は220人の将校、技師を含む1836人の組織で、他の固定期間も600人から1200人規模の組織だった
②各225人で構成されていた師団防疫給水部などを加え、15年当時までの日中戦争に陸軍防疫機関全体で、将校、技師、下士官、技手、兵、雇員合わせて延べ10045人が動員された、
なども分かった。
 
 
 
 
 
 
科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)
 
 
 
 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 10:30:25 | Weblog
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)

3 ヘーグ陸戦条約3条が認める賠償請求権の帰属主体

(6)第1文は個人に対し賠償請求権を付与し、第2文に於て同請求権に実効性を与えようとしたものである。

(7)以上の通り、条約法に関するウィーン条約31条の条約解釈に関する一般原則に従ってヘーグ陸戦条約3条を解釈すれば、同条が被害者個人に加害国に対する損害賠償請求権を認めた規定であることは明らかである。

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 



二月十五日

大連の港・・・これが私には一番意義深く思われた。異国?二頭立ての馬車にも、鐘の音に大陸的情緒を忍ぶ汽車の声 未だ見ぬ奉天に憧れたり 安東の鴨緑江の水に引き付けられたりして暮らした一ヵ年が過ぎた。

内地の不景気を知らぬ気に 呑気に暮らす軍隊生活の中にも決して私は忘れはしない。

 

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 

 

炎の季節

 

FLASH!

全市が

()きこめられた

マグネシュームのなかで

影絵のように崩れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 10:24:47 | Weblog

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

 

BCG注射という人体実験
中国で日本人学童に行なわれた人体実験
 
内海寿子(うつみとしこ)
吉林市在住国民学校児童
〈経歴〉
1932年生まれ
1944~1945年 “満洲国”吉林市在住
1946年帰国
■この証言は1993年7月の聞き取りをまとめたもの。
 
BCG注射
私は1944(昭和19)年当時“満洲国”吉林市の蓮花泡に両親と兄2人(ひとりの兄は定山へ)と妹と住んでいました。父は“満鉄”〔南満洲鉄道株式会社〕に勤め、私はその頃陽明国民学校に通っていました。
 
 
 

戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)

 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
はじめに
●明らかにされた悪魔の飽食の事実●
 
―戦後、冷戦の開始と共にアメリカが731部隊の人体実験を含む全ての研究成果を根こそぎ入手し、それを引き換えに部隊の関係者を戦犯免責するという政策を貫いたために、極東国際軍事法廷(東京裁判)で731部隊は全く問題にされなかった。この点が、ニュールンベルグ裁判で明るみに出されて裁かれたドイツの強制収容所と異なるもう1つの点である。

 





 

 

 

 

 



 

 

                     

 

 

 

 

 

 

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

 
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細菌戦の系譜!!

2022-07-03 10:20:56 | Weblog

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

はじめに

 
その後、私は粟屋教授と共に研究を進め、翌年に共同で「毒ガス作戦の真実」(『世界』9月号)を執筆し、1989年に『毒ガス戦関係資料』(不二出版)を編纂した。又、松野誠也氏(現明治大学大学院生)と共に、1997年に『毒ガス戦関係資料』Ⅱ(同)を刊行した。この間、多くの資料が発掘され、日本軍の毒ガス戦の解明は大幅に進んだ。しかし、その実態は現在でもよく知られているとは言えない。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
 

 

 

日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!

碑文

ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。
 
建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春

 

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
 

 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷

 

毒ガス島最期の日々

13,4歳と言えばちょうど好奇心が盛んな年頃である。しかし、缶の中に一体何が入っているのか、軍人や工場の労働者たちは女学生たちに対して固く口を閉ざし、生徒たちは疑問を胸いっぱいに抱えながら働くしかなかった。けれども、仕事を監視する軍人は、その缶にみだりに触ったり動かしたりしないよう再三にわたって警告し、仕事を終えたら中和剤で手を洗うよう命じ、一層女の子たちを不審がらせた。あの鉄の缶の外側の中ほどには赤か黄色のペンキで塗った標識が付いており、少し口が開いている缶もあって、中から黄色や褐色の液体が流れ出していたこと、しかも刺激性の臭いがあった事を岡田さんは今でも覚えている。多くの女学生達は刺激の為に涙や鼻水が出て、身体に水泡や湿疹ができた。



 



 
 
 

 

 

 

 

 
 
●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎

分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

 

「おい隊長殿いるか」「おおいるよ、お前達が帰って来るのを待っていたんだ。今 中庭でこれだぞ」手を首に当て、今から斬首をやるというのである。首を斬ると言った言葉に思わず三人は顔を見合わせた。「おい、行こう」大下は顎を上げ、3人に合図した。4人の補助憲兵は受付室を飛び出し、中庭に走って行った。中庭に来てみると、高田上等兵が盛んに中庭の片隅に穴を掘っている。穴は高田の腰もとくらいも掘られ、盛んにシャベルを振っていた。周りには高さ3メートルのコンクリートの壁で囲まれ、壁に沿って煉瓦造りの大きな家屋が立っている。

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 
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