藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第3章 防衛力整備
2、年度業務計画と予算
業務計画の作成手順
業務計画の作成手順について述べておこう。運営の標準周期が、各自衛隊等達に定められている。対象年度をX年度とすると、着手されるのはXマイナス2年度、つまり前々年度である。まず各幕僚長が計画見積書を作成して長官に提出し、部隊に配布する(9月~12月)。部隊は要望事項を上申する(翌年1月)。長官は2~3月の間に、一般情勢に関する判断、業務の指針となる主要目標をしめして作成を指示する。各幕は計画指針を作成し、部隊へ配布する(3月)。前年度に入って4~5月の間に、方針および主要基本計画案が作成され、長官の承認を受ける。これと併行して業務別計画案が作成される。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
石井部隊と細菌戦
この部隊の所在地は、ハルピン南方20㎞、さらに昭和14年6月には、中支を拠点として南東に、石井部隊同様の業務を遂行する多摩部隊が創設された。初代部長は関東軍防疫給水部第2部長大田軍医大佐で、定員は1100名であったが、その後間もなく、この部隊は紫部隊と呼ばれ、12の支隊ができた。
又昭和10年、長春南方10㎞の地点にある孟家屯に、関東軍軍馬防疫廠という、若松獣医中将の率いる定員800名の部隊があった。
この部隊は謀略兵器の研究、使用面を担当しており、特に対家畜用の病原性微生物の開発に力を注いだ。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第2章 天皇に育てる
Ⅲ
若き皇太子に影響を及ぼしたもうひとりの人物は、日本と西洋の歴史を担当した白鳥庫吉である。彼はドイツに学んだ。1909年に雑誌『東洋時報』に寄せた一文で、彼は中国で哲人王とされる尭(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)は、儒教の伝説にすぎず、実在の人物ではないことを論証し、それによって中国文化の非合理性に照明を当てた。白鳥の中国観は、明治の高名な教育者福沢諭吉が主張した非寛容な「脱亜」的思考と、日清戦争後白鳥らの世代に台頭した他者に対する軽蔑的態度とが結合したものといってよい。19世紀ドイツのレオポルド・フォンランケの流れをくむ自由主義的な実証史家、誰しも認める東洋史・西洋史の専門家として、白鳥は50歳のときに宮内省に招かれ、御学問所の教務主任を務める一方、歴史を講じたのである。
皇太子と5人の学友に教えるに当たって、彼は簡明に『国史』と題された全5巻に及ぶ国の歴史を著した。『国史』巻1の第1章は「総説」として、日本人の民族的起源を説明し、白鳥の国家イデオロギー観の骨子から説き始めている。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.