核時代39年(1984年)5月初版発行
戦争に正義はない
森村誠一
侵略戦争の場合は、戦争目的すら国民に知らされない。本当は何のために戦っているのか知らされないまま、多くの国民が生命が失われるのである。
紛れもない侵略を「進出」という言葉に置き換えて、歴史的事実を糊塗しようとする発想にも国家の独善性がある。自国にとって都合の悪い事実は全て隠したがる心底に、黒を白と言いくるめ、かつて国が犯した過誤を認めず、同じことを繰り返す危険性が潜んでいる。その危険性こそ、戦争の根源なのである。
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
基礎研究―4 別冊第2
作戦行動について
4 両者のボーダー・ラインとして考えられるもの
(ハ)空中または提供施設及び区域以外での燃料補給は、その基地を使用するものは補給艦艇又は給油機であるので、これを戦闘行動用の使用と言えるかは疑問であるが、この活動が戦闘行動の1段階として又は不可欠な措置として認められる時は、戦闘行動のため基地使用と言える。(空中給油、軍港外での給油)
(ニ)偵察又は哨戒は主たる戦闘行動と直接不可分の関係にある場合は、それらの 偵察又は哨戒行動は戦闘行動と言える。但し、単なる警戒行動の場合は戦闘行動と言えない。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。