“泣きながら生きてきた” 被爆者たちの切なる願い
米軍ヘリコプター田んぼに不時着 米軍側が海老名市に謝罪
東京女子医大 同窓会組織めぐる問題 理事長辞任迫る意見相次ぐ
水俣病患者団体求める認定制度見直し 熊本県側 直接的回答せず
宮崎 基地の騒音 2審も国に賠償命令 飛行差し止めは認めず
紅麹成分含むサプリ 入院492人・医療機関受診2221人に 6月30日時点
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
以来、10年間、原爆ドーム前は、中核派と極右と右翼と広島市職員と警察官が制圧する異様な場になりました。ついに2023年8月6日早朝6時に、極右、右翼、中核派の場所取り合いによるもみ合いがあり、広島市が言うところの「衝突事故」(事故から半年以上経った2024 年2月28日に中核派5人を不当逮捕)なるものがありました。
広島市はこの事件を唯一の口実にして、この事件とまったく関係のない市民の表現の自由を圧殺しようとしています。パレスチナ•ガザへのジェノサイドを続けるイスラエルに対し国際司法裁判所が暫定措置を命じ、国際社会の目が厳しくなるなか、広島市は今年の式典にイスラエルを招待しました。これに対する日本中からの抗議の声も封じようとするのであれば、広島市はジェノサイドに加担することになります。とうてい許されません。
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日初版発行:アテネ出版(3000円+税)
第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!
靖国神社を廃止し、国立の戦没者追悼施設の建設を!!
珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!!
福島原発事故の写
◆8月27日(日)
39, 日本の加害の歴史がよく分かりました。展示も分かりやすかったです。
(60代・大磯町・友人)
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
満州事変期、昭和天皇の私生活を伝える公刊文献は、河井弥八日記のなかの二頁にわたる記述と、非公式に天皇と会い、宮中の文書を見たと称する小説家小山いと子による秘話以外はほとんどない。
1932年、昭和天皇と良子皇后は結婚して八年になっていた。皇后は4人の内親王をもうけたが、無事に育ったのは3名だった。そして、当時5番めの子どもを懐妊していた。この夏、彼らは満州情勢の緊迫化のため葉山御用邸への避暑旅行を取りやめ、東京に留まることを余儀なくされた。天皇夫妻は日々長時間、それぞれの側近と念入りに整えられた日々の仕事をこなしていた。天皇は、規則正しく7時半に、皇后はそれよりも少し早く起きていた。天皇夫妻は召使の手を借りずに着替えをし、通常、ふたりの女官により用意された食事をミルクとともにとった。食事が終わると、侍女のひとりがベルを鳴らし、当直の侍従に、部屋に入り挨拶をしてもよいことを知らせた。