核・戦争のない世界!!

2025-03-12 12:29:30 | Weblog

志賀原発 “活断層連動”範囲 長さ1.8倍に見直しへ 北陸電力

 

 
 
 
 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第115回八王子アクション

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.3.6 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!(西八王子駅前)

「日本人は戦時中、ひどいことをさんざんしました。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません」

 

平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!

 

2024 11 16平頂山集会

 

2024 11 16平頂山集会 纐纈講演





 
















平頂山事件92年「歴史を学び合い、不再戦を誓う」集会 アンケート集計

 

  (集会をどこで知ったか)(記入者年代)

10、友人知人から、記入なし

・纐纈講演

歴史を正しく勉強することは非常に大切な事だと感じました。正しい歴史を学ぶこと、戦争はいかに愚かなことだと分かります。

 

 

作品によせて

 

1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。

疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。

 居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。

本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。


 

 

 

 

 










 

12、「八路軍」

ソ連軍の撤退と同時に市街戦(国民政府軍と八路軍との内戦)が、始まり、町角に土嚢が積まれた。好奇心の強い私は、友人数人で、様子を見に行った。

八路軍の整然とした行進を垣間見て不思議な気がした。幸運にも市街戦はなかった。

 

1946年1月

少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。

9・29アミダステーション(八王子)

近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)

上記のDVD完成上映会には、近藤仁子さんの「満州引き揚げ 絵に遺した夫」の記事(9/15「赤旗」)もあり、予想を遥かに上回る70余名の参加がありました。遠くは長野県飯田市からもお越しくださいました。故近藤滿さんは、1945年の8月の敗戦直後から翌年の8月に日本に帰還するまでの体験を、紙芝居にしていました。滿さんの体験を是非多くの方に知ってもらいたいと、パートナーである仁子さんが朗読した紙芝居のDVDを、この日、お披露目しました。

 

2024.9.29  少年Mの記憶ー「満州」からの帰還  感想

2、この集会を何で知りましたか? 赤旗、知人

(感想)仁子先生ご無沙汰しています。40年前に浅川小でお世話になりました。30年位前に、お宅に招いていただいて、満さんにオペラのビデオを見せていただいたことを鮮明に覚えています。

「満洲」で生まれ育った「満洲」の体験は終生満さんの中で熟成され、絵という表現方法で、描かざる得なかったのではないかと感じました。仁子先生の満さんに対する尊敬と愛情を強く感じました。今日は来てよかったです。私の住む隣村にある満蒙開拓平和記念館にDVDを持ち込みたいと思います。けがが早く治りますように。

 

*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。

 

 

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