「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
1995年8月15日
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹
とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
南京大虐殺
南京大虐殺
南京大虐殺(マギーフィルム)
パネー号撃沈
重慶爆撃
第58号 重慶爆撃
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
731部隊
731部隊
[中国新闻]日本学者向浙江义乌捐赠近千件细菌战重要史料
全球连线|日本学者来华披露731部队罪证档案
実験医学雑誌25巻(1941年)雑法2号
佐藤教授送別会
興亜建設の非常時に当り上海自然科学研究所所長として重要地位に栄転される佐藤秀三教授の送別会が1月16日伝研地階食堂において開催された。先ず佐藤教授から悲壮とも申し上ぐべき決意のもとに赴任する旨のお話があり、講堂寂として声なく之を傾聴した。長與前所長、二木、石原、両先輩始め多数の先輩が出席され盛会であった。同教授は19日東京駅から富士号で赴任された。
第9章 style="color: #20124d;"> 日本軍の総攻撃は、天皇の裁可を受け、中央から出た命令に厳格に従っていた。戦闘のわずか2日後には、日本軍は北京と天津を占領することとなった。そこにはイギリスとフランスの租界が含まれていた。支那駐屯軍の任務を在留邦人保護から中国領土の占拠へ変更したことで、昭和天皇は事件のエスカレーションに拍車をかけ、華北に新たな事態を招いたのだった。
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