核・戦争のない世界!!

2025-01-16 11:05:48 | Weblog

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

  平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問
   題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き
   誠実に対応してまいります。

 
 

 

南京大虐殺
南京大虐殺

南京大虐殺(マギーフィルム)
パネー号撃沈

 

 

重慶爆撃
第58号 重慶爆撃
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦干(重慶無差別爆撃)

731部隊
731部隊





















[中国新闻]日本学者向浙江义乌捐赠近千件细菌战重要史料
 
 

原爆
ニュース257号

 



日航123便の怪(1985年8月12日)
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実



●東京帝国大学伝染病研究所

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?



実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??

実験医学雑報24巻12号で、三田村が伝研の所長に任命されて、挨拶を書いているが、宮川米次がなぜ、伝研を去ったのかに全く触れていない!!

 

宮川は、どんな不祥事をしでかしたのか?その後、伝研には姿を見せていない。

 

実験医学雑誌25巻(1941年)

雑法2号 

学術集談会

去る1月21日(木)午後1時から本所講堂に於いて学術集談会が催され、演題は次の通りであった。

1、Azin,Ozazin系に属する二三色素の実験的結核に及ぼす影響について

           須貝井忠男君、大林啓二君、諏訪紀夫君

2、Indigo sulfonatの実験的結核に及ぼす影響について

           須貝井忠男君、大林啓二君、諏訪紀夫君、野上鉄雄君

3、日本流行性脳炎病毒で人工的に感染せしめた「シナハマダラ」蚊(Anopheles hyrcanus sinensis)の伝播力について

         三田村篤志郎君、北岡正見君、中里朝雄君、清水盈行君

4、日本流行性脳炎病毒で人工的に感染せしめた蚊の伝播力に及ぼす飼育温度の影響について

     三田村篤志郎君、北岡正見君、渡邊漸君、水原敬介君、中里朝雄君、清水盈行君

 
 
 
 
 

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

 

第9章 聖戦

 日本では、通州大虐殺が激しい怒りと好戦的な雰囲気をつくりだした。新聞は「第2の尼港」〔ニコラエフスク事件=1920年2月から5月、シベリア出兵時、黒竜江ニコラエフスク[尼港]の日本守備隊・居留民がロシアのパルチザンにより包囲され、全滅した事件〕と報じたが、日本の華北侵略が非武装地帯から行われていること、そこで日本人や朝鮮人が華北の諸省へ密輸するヘロインや阿片を作っていたことに言及することはなかった。中国人による蛮行の真相を正しく伝えることをしなかったのである。木戸は、おそらくもっとも政策に影響力を持つ者としてこれまでと同様、深い憤りとともにニュ スを受け止めた。高松宮は、8月2日、通州事件について参内して天皇と会談し、陸軍の不拡大主義の意見は、陸軍全体の代表ではないことをお忘れなくと警告していた。高松宮は日記に次のように記していたが、その内容を天皇に話した可能性がある。「今や陸軍内では、コノ際支那を夕ヽイて、10年位も立てぬやうにせうと云ふ意見が、再び強硬になつてゐる際であるから、その点をはつきりする必要あるべし」。

 
 
 
 
 





























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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