細菌戦の系譜!!

2021-05-21 11:39:53 | Weblog

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 
 
自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

「731部隊と大連黒石礁事件」(お話:根岸恵子さん)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回

パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

1948 年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1)

栗原 敦

知られざる戦後薬害第1号事件 

 

■「埋もれた薬害,国の「隠ぺい」判明」2005/08/11 放送(MBS毎日放送 VOICE 特集)  歴史に埋もれようとしていた、ある予防接種をめぐる薬害事件にスポットをあてます。 

<田井中克人さん>

「人間、歳をとると色んな人に『生かされている』感覚。亡くなった子どもの犠牲の上に今の我々の生がある、という思いだけで行動している」 田井中さんが予防接種を受けたのは、1歳2 ヶ月の時でした。 意識を失い、マヒが残るほどの重症でしたが、回復してからは、あえて家族も話題にすることはなく、そのまま歳を重ねました。ところが、数年前、父親の遺品の中にある書き込みを見つけ、改めて意識するようになったのです。

~田井中克人さんの父親の「備忘録」より~ 

『克人ジフテリア注射』

「幼子の予防ジフテリア注射の時、ワクチンに何か混じっていたのか、不明な液が注射され、 小児マヒ状態のようになり…。危篤状態は再々あったが…、命は取り替し…。その時の父母の 喜びは言語では表わす事は出来ない」 

<田井中克人さん>

「これを読むと、自分が思っていた以上に大がかりな事件だと感じたんです。自分も『本来ならば死んでたのではないか』という思いですね」 

新聞記事を集め、文献を読みあさるうちに事件の姿が見えてきました。被害の原因は、消毒(無毒化のことです─引用者注)が不十分でジフテリア菌が残ったままのワクチンが、ズサンな検査をすり抜けていたことでした。まず、汚染されたワクチンが使われた京都府で子どもが次々にジフテリアを発症し、その後も注射を継続した島根県で被害が拡大しました。ところが、裁判では製薬メーカーの社員だけが有罪になり、検査の責任を負うべき厚生省への追及がなされないまま、事件の幕引きが図られていたのです。

隠された毒ガス兵器

小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 


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