●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
WTO最終審、日本が逆転敗訴=韓国の水産物禁輸を容認
「1型糖尿病」で国の対応は違法
F35墜落、原因究明を阻む「日米間のブラックボックス」の実態
空自のF35墜落 操縦士の捜索続く、米駆逐艦も協力
派閥偏重が生んだ失言大臣 安倍首相、問われる任命責任
ひきこもる就職氷河期世代。ひきこもり100万人時代、中心は40代。家族が苦悩する「お金問題」
“アッキード”安倍昭恵さんは名誉校長を辞めたくなかった
真理を追究すると食えない社会!!
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死
原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ
【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い
過去を反省しない日本??
渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった…「恥辱」「歴史修正主義」韓国メディアが痛烈批判
医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導
4/5/19 金子勝
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
●北京にも細菌部隊(1950年1月10日 AKAHATA)
終戦後ノミ入り石油缶1万個持ち去る
当時の衛生兵松井寛治氏語る
同部隊は北京本部の他に開封、天津、石家庄、張家口、青島、太原などに支所を持ち部隊は総員1000名以上だった。
第3課の作業内容は(1)ノミの大量生産(2)ペスト菌の大量生産(3)ノミとペストの結合(4)航空機上からの撒布などだった。
ここの隊長は篠田統で京大教授理学博士で大佐待遇の軍属だった。下には軍医将校2名、将校待遇軍属3名、衛生下士官6名、衛生兵45名、女子軍属3名、下士官3名、中国人苦力5名、その他北京高女の邦人少女10名が働いていた。建物の地下室は細菌培養室、動物室、ハエ培養室、マラリア研究所があり、2階全部はノミ培養室だった。第3課は作業内容により第1業室(ノミの生産)第2業室(ハエの生産、マラリア研究)第3業室(ペスト菌の生産)小動物室(ねずみ)等に分かれ、作業中は内部からカギがかけられ常に当直者がおかれていた。
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・事実を語り継ぐことの大切さをパネルを見ながら再確認しました。右傾化がひどくなるなか、毎年この催しを継続されていることに敬意を表します。(男性、60代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
控室や研究室から聞こえてくる言葉の断片を総合して、私は、満人にペストが発生したのだと知った。あの饅頭をくれるときの、佐川技手のどこかぎこちない笑顔を、私はかすかな身震いとともに思い起こした。
遠足の目的は、謀略班と同じ手口の伝播実験だったのである。
研究員たちが代わる代わるへ車を飛ばして、伝播状態や治療薬の効果などを調べるのにまじって、私も一度、助手となって現場に行ってみた。
かんかん照り付ける陽の下では、ゴムの予防服は、蒸し風呂のように暑苦しかった。戸外に民の姿は見えず、部隊員が厳しく警備についている。患者の出た家には、蠅の媒介を防ぐために、すっぽり丸ごと、大きな白い金網を蚊帳のようにかぶせてある。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
重要な実験場
以後この地位はずっと習志野学校の職員が担当することになった。まもなく、陸軍部と関東軍は化学戦の教育と訓練をさらに強化しなければならないと考え、関東軍のなかにこれを司る専門の機構を設けることを決定した。これが1937年8月、つまり「盧溝橋事件」発生1か月後、関東軍の中に設立された技術部である。この技術部はチチハル市の東側に建設され、その中核成員は日本陸軍技術本部から派遣された。技術部の中に化学班を設け、化学兵器の研究と訓練等の責任を負った。1939年8月には、技術部は長春に移転、化学班は独立した化学部に拡大、技術部の全分野と建物を統括管理して、外部に対し「516部隊」と称した。このようにして、関東軍の中に特殊兵器に従事する2つの部隊が設立されたのである。
化学兵器部隊(516部隊)チチハル市東側
細菌兵器部隊(731部隊)ハルピン市平房
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
毒物兵器
第二科の毒物兵器の研究開発で成果が上がったのが青酸ニトリル(アセトンシアンヒドリン)の開発でした。青酸ニトリルは無色・無味・無臭・水溶性で、さらに兵器として使いやすい遅効性の猛毒として開発されました。第二科で勤務していた伴繁雄の手記には、自らが中国で関わった青酸ニトリルの人体実験の事実やその時の心境が記されています。開発に成功した青酸ニトリルはアンプルに封入されて低温保存され、国外にある陸軍部隊の司令部や特務機関に送られたとされています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■世界と日本での議論の進展
―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。
明らかになったのは、国会のような議事録がないため、議事詳細は議事速記録を通じてしか知ることができないこと、学術会議総会議事速記録は図書館に収蔵されているが図書館所蔵でないため、日本学術会議事務局に閲覧許可申請をしなければならないこと、他方、学術会議の運営審議会資料などは図書館所蔵のため日本学術会議図書館利用規程に基づき、閲覧許可申請をしなければならないこと、日本学術会議図書館は国立国会図書館の支部であるにもかかわらず、「一般公衆」などについては「館長が特に承認した者」でないと利用できないとされるなど著しく利用が制限されていること、複写サービスは、原則として行わない。 ただし、館長の許可を得たときは、利用者において複写又は撮影を行うことは妨げないことなどです。これらの制度は国立国会図書館制度の趣旨や国立公文書館の制度に合うように見直されないままでは、検証は困難です。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『金原節三目録』の「発刊の辞」は衛生学校長 波多野裕敏が書いている。
発刊の辞
このような観点から、先生の御事跡顕彰ののため、基礎資料の整備が第一ということで、去る52年10月以来、諸資料の渉猟を始め、幸いにも先生のご長男隆一氏の絶大なご理解とご協力を得て、2000有余点という貴重な文献資料の提供を受けることができました。爾来、本資料の整理を実施してまいりましたが、一応の成案を得ました現在、先生のご事跡を広く江湖に紹介するということで、「資料目録」発刊の運びとなりました。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅲ
しかし、蜂起後、数時間にして叛乱は予想外の方向へ展開した。叛乱軍将校は岡田首相の秘書を殺害したが、岡田と牧野元内大臣は難を逃れた。彼らは宮城への入口となる坂下門を確保することに失敗したため、宮中は外部と情報をやりとりすることができた。そして、叛乱軍は海軍と連携することについて何ら用意をしていなかった。横須賀鎮守府司令長官米内光政中将と井上成美参謀長は、陸戦隊に海軍省の建物を守るよう命令し、叛乱軍を鎮圧するために東京湾に軍艦を集結させた。2月28日朝、陸軍首脳中の、叛乱軍に同情的な将校を通じた交渉が失敗に終わったのち、戒厳司令官が撤収の奉勅命令を伝えた。叛乱部隊のほとんどが兵営に戻り、叛乱将校がひとり自決し、残りの指揮官たちは投降した。そして、蜂起はそれ以上流血を見ることなく失敗に終わった。しかしながら、東京の戒厳令は約5ヵ月間続いた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
事故の原因を隠蔽せず、防衛省はきちんと公表せよ!!なんでB52が出てくるのだ??
F-35戦闘機の墜落事故海域にB-52爆撃機を投入する異例の対応
最新鋭機とパイロットに何が=「ノック・イット・オフ」、最後の通信-F35墜落事故
最新鋭ステルス戦闘機のF35A墜落 実績が証明されるまで調達を急ぎ過ぎるな
桜田氏の失言「被災地を愚弄」「自らとどめ刺した」 地元・千葉からも厳しい指摘
実態は「労働者」なのに…… 「名ばかり事業主」の苦しみとは
日本は給料の低い微妙な国になる、これだけの理由
“アッキード”安倍昭恵さんは名誉校長を辞めたくなかった
ゴーン元会長妻、日本に戻る 11日に証人尋問
真理を追究すると食えない社会!!
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死
原因究明されず、ウヤムヤのまま終止符??
強制不妊救済法案、来週にも成立へ
【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い
過去を反省しない日本??
渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった…「恥辱」「歴史修正主義」韓国メディアが痛烈批判
医の倫理はどうなっているの??
東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導
4/5/19 金子勝
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
●北京にも細菌部隊(1950年1月10日 AKAHATA)
終戦後ノミ入り石油缶1万個持ち去る
当時の衛生兵松井寛治氏語る
応召になり、満州で3か月の歩兵訓練を受け、昭和20年4月に北京に回され衛生2等兵として1855部隊篠田隊に配属された。ここは細菌兵器研究所だった、ペスト菌とノミの培養を主として行い、対ソ戦の準備が行われていた。北支派遣1855部隊とは当時の北支派遣軍総司令官下村定元中将の指揮下にあり、部隊長は西村英二元軍医大尉だった。本部は北京の名所天壇のすぐそばにあって表面上の仕事は野戦給水及び伝染病予防ということになっていたが、現業部門として第1課(病理試験)、第2課(ワクチン製造)、第3課(細菌兵器研究所)があって活動していた。第1課は北京市内東南のロックフェラー医大に、第2課は北京市内の北海公園の国立博物館にあった。
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・事実を語り継ぐことの大切さをパネルを見ながら再確認しました。右傾化がひどくなるなか、毎年この催しを継続されていることに敬意を表します。(男性、60代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
「この民は、みな軍司令部の居住証明書を持っているんだ。部隊から10キロ以内だからね」
佐川技手が近くの者に説明していた。軒下で泥をこねている老人や、素足の子供たち、時おり、顔を出して引っ込む女たちを、私達は物珍しく眺めた。
日陰に陣取って、弁当を広げると、それまでものおじしていた子供たちが一斉に寄ってきた。片仮名で書いたような満語を並べて子供たちに話しかける者もいた。
佐川技手は、さすがに、満語で子供たちを手なづけ、雑嚢から饅頭を出して、一つずつ与えた。これは一見ほほえましい風景であったが、それを手渡す瞬間、佐川技手の顔が妙に硬直したように見えた。それがまさか、このあいだ映画で見たばかりの、謀略班の手口であるとは気が付かなかった。
私達は、冷たい井戸水を汲み上げて顔を拭いたり、ぬれ手拭いを帽子の下にはさんだりして間もなくを出た。
帰りは暑いせいもあって、割と足早だった。部隊が近くなってから、佐川技手の音頭で関東軍軍歌を合唱しながら、またしばらくは外出することがないであろう部隊の営門をくぐったのである。
その翌々日。朝出勤すると、雇員たちが、いつになくせかせかと廊下を行き交いしている。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
重要な実験場
この年(1935年)の年末、関東軍は「あか筒」の実験を行った。当時の実験規模は幅300mの間に、1m間隔にあか筒を1個ずつ置き、一斉に点火するもので、点火後、有毒の濃煙が天空に上って太陽を遮り、効果は十分に明らかだった。しかし、予想しなかったことに、むくむくとした濃煙は国際間協定「順守」せず、国境を越えて黒龍江対岸のソ連の都市海蘭泡(プロコペンシスク)に直行して、たくさんの人が傷害を受け、ソ連側の厳重な抗議を引き起こした。
それでも、日本側は東北における化学兵器の実験を放棄せず、研究、製造と訓練の各要所はすべて東北で展開していった。小柳津政雄の回想によると、1933年末、つまり習志野学校の設立後まもなく、職員を1名関東軍司令部に派遣した。彼は陸軍科学研究所、習志野学校と関東軍の間の連絡活動、これらの機関間の化学兵器の研究と実験など一連の活動に関する協調を遂行する職に任命され、同時に関東軍部隊が行う化学戦の訓練の責任を負うこととした。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
毒物兵器
毒物兵器の研究開発は、第二科の文書が綴られた資料である『雑書綴』(ざっしょつづり)からその研究内容をある程度は読み解くことができます。新しい毒物を開発するために、毒草や毒蛇などが国内だけでなく海外からも取り寄せられ、研究されました。『雑書綴』の中には毒物コルヒチンを取り出すためにジャワ島にある植物園にユリグルマという植物の球根を注文した記録や、台湾からアサガサヘビという毒蛇の毒を購入した記録が残されています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■世界と日本での議論の進展
―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。
その場合、今問題になっている日本学術会議がどうであったかの議論が必要だと思われます。
今、学術会議では「国民は個別的自衛権の観点から、自衛隊を容認している。大学などの研究者がその目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきではないか」に関して議論がなされています。このような問題提起が学術会議で出てくる背景には、日本学術会議の創立の頃だけでなく、その後も先の戦争中における日本の科学者の戦争加担の検証がなされていないことがあるのではないかと考え、学術会議総会の記録の調査に着手しました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『金原節三目録』の「発刊の辞」は衛生学校長 波多野裕敏が書いている。
発刊の辞
偉大なる先輩、金原節三先生が逝かれて早4歳、先生の真に救療に心を寄せる純粋な至情が時日を経るに従い、その光芒の薄れることを危惧するものであります。
自衛隊揺籃(ようらん)の時から、特に、わが衛生部と関係の深かった先生の偉業を正しく記録し、真実の姿を次の世代に継承させるのは、私どもの責務であり、先生を弔うよすがとなるものと思います。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅲ
1936年2月26日早朝5時ごろ、1935年を通じ荒れ狂った国体をめぐる非難の嵐は、叛乱へと爆発した。32名の陸軍初級将校は、第1師団麾下(きか)の3個連隊および近衛歩兵連隊に所属する1400名以上の完全武装の兵士と下士官を率いて、雪に被われた都心で叛乱を起こしたのである。彼らは陸軍省と警視庁を占拠し、政治エリートや内閣閣僚の公邸、私邸を襲撃した。1月に入営したばかりの現役兵1027名を含む叛乱軍は、斎藤実内大臣、高橋蔵相、美濃部の憲法学説の支持者として知られていた渡辺錠太郎新教育総監を殺害した。彼らはさらに5人の警察官を殺し、鈴木侍従長をも負傷させた。暗殺が行われる一方で、他の叛乱部隊は朝日新聞、東京日日新聞の社屋を襲撃した。「国賊!」と記者に怒鳴りつけ、活字棚をひっくり返すと、宙に向け拳銃を発射した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム ●武見太郎と金原節三の関係 ●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判 ●日本反戦平和記憶国際シンポジウム ●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場) ●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」 ●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956 ●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演 ●731部隊関連年表 ●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊) ●日本の核開発(加藤哲郎さん) 明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ! 又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!! ●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!! ビキニ「死の灰」世界各地へ 日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!! 平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相 ●憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】 ・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前) ・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない) 統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に 水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!! 2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影 オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!! ●ニュース 戦争を放棄した国が、なんで自衛のためと言って高い戦闘機を買うの??? 空自機F35A墜落 突発的なトラブル発生か F35A型墜落は世界初 米国など影響広がる恐れ 真理を追究すると食えない社会!! 文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死 【平成の事件】19人殺害と強制不妊手術 「善意」の暴走と「生産性」追求の果て、続く差別との闘い 過去を反省しない日本?? 渋沢栄一は韓国紙幣の顔だった…「恥辱」「歴史修正主義」韓国メディアが痛烈批判 医の倫理はどうなっているの?? 東京・公立福生病院 透析中止・非導入21人、同意書なし ずさん体制露呈 都指導 4/5/19 金子勝 元号反対!! 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない 「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃 天皇神話はいらない!! 皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式 人体実験疑い 京大調査継続せず イージス・アショア 田岡俊次 青木理 森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審 戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術 なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか?? 20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会 2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏 竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任 竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか 海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見 【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任 森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●北京にも細菌部隊(1950年1月10日 AKAHATA) 終戦後ノミ入り石油缶1万個持ち去る 当時の衛生兵松井寛治氏語る 満州で細菌兵器が使われていたことが先にソ同盟の元陸軍大将山田乙三氏らの裁判で明らかになったが、たまたま昭和20年北京に衛生兵として駐屯していた電産神奈川支部執行委員長松井寛治氏が9日代々木の党本部を訪れ、北京でも細菌兵器の培養所があったと、終戦と同時に細菌を培養したノミ入り石油缶1万個がトラックでどこかへ持ち去られたと当時の事情を次のように語った。 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に ●横浜「戦争の加害展」感想 2月11日 ・731部隊。細かく、ていねいに分析され、大変参考になり又新たな発見もありました。(男性、70代) 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 第2部 恐るべき遠足 道路でなくても、どこを歩いても平気であった。細いパリパリした野草にまじって、黄白い女郎花が小さくゆれ、五寸ほどの紫色のしょうぶや、ミカン色の、名も知らぬ花、時には、姫百合などが咲いている。 「この根は食えんだろうか?」 そういって、保坂が百合の花を2度引き抜いたが、草の根が緻密に入り交じっている固い土のために、指先では満足に掘ることができず、2度とも失敗だった。 しばらく行くと、が見えてきた。一面の平地と言っても、よく見ると波のようななだらかな丘や低地があったりして、満人の小さい家々は、見えたり隠れたりするのであった。太陽が急速に熱気を帯びてきて、私は少しばかり汗ばむのを覚えた。どこから吹くとも知れぬ乾いた微風が、時おり顔をなで、汗ばむ肌に心地よかった。気の早い奴が、水筒の水を威勢よくラッパ飲みしはじめた。 「おい、水を大事にしないと、昼飯のとき困るぞ。に行って、うっかり井戸水は飲めないからなぁ」 佐川技手が注意する。 へ着いたのは、12時近かった。は20戸ばかりもあろうか。土で塗り固めた平べったい家が軒を並べている。のびることを忘れて坐り込んでしまった様な、小さな柳の木が2、3本ある。満州に来てからは、私達にとって樹木は珍しいものの一つであった。 ・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容 (731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より) 1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り 京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。 審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。 これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。 ・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った ・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった ・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した ・死亡後の学位授与認可 ・・・・・ 人体実験疑い 京大調査継続せず 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第5章 陸軍習志野学校 重要な実験場 日本軍は人体実験に使用する対象をこの東北で自由に探し当てることができた。これは日本国内では全く実現不可能だった。この一点より見て、東北での化学兵器の実験と「731細菌部隊」設立の意図とは同じである。そしてこれが、中国東北を占領した日本の関東軍と化学兵器との間の必然的な関係を決定した。 前にも述べたが、関東軍は既に毒ガス催涙弾の使用を考えていたが、裁可は受けてなかった。しかしその後、関東軍は東北に何か所か化学兵器の実験場を設けた。孫呉県の実験場はその中の1つだ。 中国の地図を開くと、東北の辺境地区に孫呉県の位置を探すことができるが、ここは黒竜江に近く、辺界から内地に入るとき必ず通る道にある。1937年、正式に県が置かれたが、関東軍が軍事要地と見なしたのはもっと早かった。以後ここは関東軍の最も重要な軍事基地となり、日本軍隊が化学兵器と離れられない縁を結んだ。このことはまた後で述べるが、その前に、1935年にこの実験場で発生してほとんど国際衝突を起こしそうになった1事件を簡単に紹介しよう。 (広島県大久野島毒ガス工場) ●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより) 第三展示室 第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。 毒物兵器 対人間用の謀略工作(暗殺など)の目的で研究開発されたのが毒物兵器でした。この毒物兵器の研究では、飲食物に混入しても疑いをもたれない、新しいタイプの毒物(無色・無臭・無味・水溶性)の開発が目指されました。さらに、謀略兵器として使うため、保存と運搬がしやすいことが重視されていました。 毒物兵器の研究開発は、第二科の文書が綴られた資料である『雑書綴』(ざっしょつづり)からその研究内容をある程度は読み解くことができます。 ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 5、いまどんな議論が必要か ■世界と日本での議論の進展 ―今も戦争が絶えないもとで、国際的には医学界・医療界ではどんな議論が行われているでしょうか。 人体実験に関する国際規範であるヘルシンキ宣言やその源流となったニュルンべルク綱領も、医学者・医師が軍事研究に従事すること自体については踏み込んではいませんし、世界医師会や世界の医学界・医療界において国際紛争の解決に際しての「戦争と武力による威嚇又は武力の行使」 の禁止や武器生産の禁止についてはほとんど議論されていませんでした。2005年になって、世界で最もよく知られ、評価の高い医学雑誌Lan cet(ランセット) では出版社のエルゼビアの傘下に軍需産業の会社があることが明らかにされ、「兵器と健康を売る医学雑誌の偽善」の論争が起こり、国際的な運動の結果、軍需産業から一切経済的支援を受けないことになり、「生物医学研究者に対する軍需産業との関係についての提案」もなされました。この時には、最大の人為的災害は戦争であり、最も被害を受けるのは女性と子どもであり、国際的な公衆衛生上の課題であるという趣旨のWHO(世界保健機構)の報告についても議論されました。 昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版) ●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか? なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか? ・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判 1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊 第4代衛生学校長 『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか? 金原節三(1901~1976) 陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」 厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1 金原節三と細菌戦 金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。 細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。 金原節三と武見太郎 金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。 「巻頭言」 日本医師会長 武見太郎 要するに、金原先生が戦前に考えておられた防衛衛生に関することは、防衛医科大学校で後が受け継がれて大きく発展するであろうと願っている。 今回の資料目録の発刊に当たって、波多野衛生学校長をはじめ、貴重なご努力を頂いた諸先生方に、私は医師会長としても、また、個人としても、心から感謝の意を表したい。 【現住所】 〒101 東京都千代田区神田駿河台2-3 日本医師会 ※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。 第5代衛生学校長 井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身 1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。 井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。 東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。 ※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。 1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。 南方軍防疫給水部(岡9420部隊) ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く ●水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第8章 昭和維新と統制 Ⅲ 彼らは国内の多くの地域から民衆の支持を獲得しただけではなく、宮廷のような似つかわしくない所においてさえ支持を得ることができた。昭和天皇の母である貞明皇太后は、当時、非常に右翼的な見解を持った女性であり、相沢に同情していた。しかし、公判が始まらないうちに、それは首都における軍の叛乱により中断されることになった。事件前、すでに皇道派の真崎陸軍教育総監を異動させた林陸軍大臣は、第1師団全体を満州に派遣する命令を出した。これが、近代日本史上、最大の軍による叛乱の引き金となったのである。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 憲法9条を生かそう!! |
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ
●日本の核開発
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
紙幣を刷新へ 1万円渋沢栄一、5000円津田梅子、1000円北里柴三郎
豊洲市場で事故相次ぐ ターレから転落、死亡も
自民幹部が「総理、副総理」=塚田氏の面会記録公表-国交省
北朝鮮の反体制派「自由朝鮮」が独裁打倒を本格化、ビザ発給を開始
コンビニ24時間営業 不必要34% NHK世論調査
福岡県知事選敗北の責任を塚田前国交副大臣に押し付け、ほくそ笑む麻生副総理
<統一地方選>相模原市長に本村さん初当選 「対話重ねチャレンジ」
4/5/19 金子勝
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・小6の子供が社会科が得意で、戦争を学んでいるから見に行きたいと。慰安婦=売春のイメージでしたが、ひどいものなんですね。学校では教えてくれない内容で、ショックを受けました。毒ガスなどの詳細も書いてあり、読んでいるだけでも辛かったです。(女性、40代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
研究所の門を出て、しばらく待っていると、農耕に従事している同僚たちが十数人、わいわいはしゃぎながら宿舎の方から駆け出してくる。
「遠足だ、遠足だ」
「何処へ行くんだろうな?」
などと話す声が聞こえる。
「じゃ、借りて行きますよ」
と、佐川技手が教育部の大角雇員にいい、
「頼みます」
と、大角雇員が答えた。
炊事にいって弁当を作ってもらい、水筒を満たし、飴菓子などをめいめい渡されて部隊を出たのは9時頃であった。
塀の外は、視界をさえぎるものとてない一面の草原である。遠い地平線は、立ち上る陽炎のせいで、わななくように揺れている。
「目的地は、ここから2里ばかり先の満人だ。もう少し歩くと見えるだろう」
と、佐川技手が北西の方を指して言った。
平房駅の方から続く道路らしいものがあって、そこだけ、はげているのだが、私達は許しがあって、勝手に道草を食いながら三々五々のろのろ歩いた。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
重要な実験場
政治的に見て、中国東北に隣接するソ連は日本の戦略進攻目標であり、ソ連のような軍事大国といったん戦争が発生すると、化学兵器の使用は必然の勢いだ。中国東北で化学兵器の実験を行えば、ソ連の気候条件と似ているばかりか、いつでも戦争に投入でき、一石二鳥の効果を上げることができる。
上述の理由のほか、もっと重要なもう一つの要素がある。それは日本で行う化学兵器の実験は、日本の地域が狭く、人口が密集しているという条件の制限である。たとえ実験場を建設しても、土地の居住者と多くの衝突が起こる。しかし、中国東北にでは状況は大きく異なる。東北の土地は広大、人口は比較的少ない。さらに重要なのは植民地であることで、中国東北人民はすでにいかなる主権も自由も喪失し、日本の統治者が意のままに侵略していたから、化学兵器の実験に抗議し、反対することなど思いもよらず、侵略者が欲することは何でもできた。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
生物兵器
伴繁雄氏の証言(帝銀事件を捜査した警視庁甲斐文助の手記より抜粋)
※毒物の効果とともに、科学者として人体実験を行った際の心境が鮮明に表されている。
初めて厭(いや)であったが馴れると1つの趣味になった。(自分の薬の効果を試すために)相手は支那の捕虜を使って。(中略)注射は万年筆様でキャップを取ると針が出る。
その針で着物の上から刺すような仕組となっている。之は主としてハブの毒。一呼吸で倒れる。針を抜かないうちに倒れる。屍体はすぐ解剖して研究の材料にした。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会が、2007年4月に国際シンポジウムを主催した際に、招いた米国の生命倫理学者は「過去の世代の不正は、それがとりわけ隠蔽された場合には、現在の世代の重荷としてそのまま残されると言えます。731部隊の場合、米国が一度日本の科学者たちとこのような取引をしたために、日本が抱えていた秘密が、我々の抱える秘密にもなってしまいました」「調査を行い、過去に何が起こったのかを誠実に、率直に、正確に報告することによって、そして過去と対峙することによって、我々は常々持ちたいと望んできた価値観を肯定するのです。最も重要なのは、そうすることによって、過去との共犯関係から若い世代を解放し、過去の不正に対する責任を負う必要をなくすことです。隠蔽や共犯の伝統を保持するよう若い世代に求めるのではなく、代わりに彼らをこの責任から完全に解放することです」と述べました。
戦争医学犯罪の検証について国際的な連携・協力をするための議論が必要だと思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「巻頭言」
日本医師会長 武見太郎
先生は実に科学的で、丹念な方であったので、大東亜戦争の陸軍衛生史に関する資料は、既に発刊されたもの以外にも、かなり多くお持ちのことと思う。
今回、その資料目録が防衛庁の関係者ばかりでなく、一般の方々の協力も得て公開されることを、私は大変喜びとするものである。
防衛庁の防衛医科大学校を設立することになり、私が設立委員長を仰せつかったのも、そのもとはと言えば金原先生との人間関係にあった。そこで、私は世論に反対してもこれを作り上げることが義務だと思って実行した。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅲ
1935年8月、美濃部の憲法解釈を非難する民衆主義的な運動から約半年が経過したころ、皇道派の相沢三郎中佐が永田の執務室を訪れ、日本刀で永田を斬殺した。この時点で、美濃部排斥の運動の背景にあった国家改造をめぐる軍部内の抗争と軍事支出増大の要求はさらに危険な局面へと入った。
依然、「国体明徴」や「天皇機関説排撃」といったスローガンを掲げていた陸軍内の反岡田勢力は、いまや天皇の側近や華族を攻撃対象にし始めた。皇道派の上級将官らは第1師団の司法管轄下で相沢を軍法会議にかけるように取りはからった。第1師団は東京にあり皇道派将校の拠点だった。1936年1月28日、相沢の見せかけだけの裁判が開廷したとき、弁護人は、公判を岡田内閣、宮中側近、美濃部教授の憲法学説に対する感情的な告発の場に変えてしまった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ
●日本の核開発
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
安倍政治のすべてが忖度ではないのか???
安倍政権、止まらぬ忖度疑惑 謝罪を繰り返した塚田氏
福岡県知事選敗北の責任を塚田前国交副大臣に押し付け、ほくそ笑む麻生副総理
<統一地方選>相模原市長に本村さん初当選 「対話重ねチャレンジ」
3/30/19 金子勝
「忖度」発言の塚田副大臣、政府や自民にも更迭論
ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「令和」は当初の案に含まれず 3月中旬以降、最終段階で追加されていた
外務省“原則西暦”からトーンダウン 与党から反発、国内文書は元号使用も
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
ロシア疑惑報告書は300ページ超、米報道 野党は開示要求
失踪技能実習生700人余 不正な扱いの疑い 後半国会で議論に
大韓航空労組、厚労省前課長に謝罪と賠償を要求
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・第2次世界大戦のことをよく知れたので良かったです。(男性、10代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
7月に入ったばかりの一日。この日もからりと晴れたすがすがしい朝だった。いつものように高木班の控室で、佐々、保坂と一緒に着替えようとしていると、佐川技手が入って来た。
「今日は着替えんでもいいぞ。気晴らしに、ピクニックに連れて行ってやろう」
私達は顔を見合わせて相好をくずした。見学と外出を一度ずつした以外は、部隊の塀から外に出たことがなく、金網張りの部屋で細菌とにらめっこしているのだから、自由な風の通る場所へ出るのは無性にうれしかったのである。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
重要な実験場
習志野学校の設立後、中国の東北は植民地になり、関東軍の統制の下、習志野学校は日本軍の化学兵器の実験場になった。
日本軍はなぜ中国東北を化学兵器の実験を行う場所として選択したのだろう。技術面、政治面の理由など、これらの理由については多くの軍人が回想録の中で言及している。しかし、公式には都合の悪いいくつかの理由があって、隠蔽されている。技術的には、日本軍は化学兵器を各種気象条件、特に寒冷な環境に適合させる必要があった。なぜならば、もしソ連との戦争が起きれば、作戦環境は寒冷な条件で行われる。日本の北海道地区も寒冷な天候であるけれども、中国の東北はもっと寒冷で、ソ連の気候条件によく似ているのだ。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
生物兵器
さらに、実をつける前に稲を枯らせてしまう細菌(小粒菌核病菌)の研究では、実際に散布実験も行っています。この研究では、細菌と合わせて使うことで効果を高めるため、日本各地に生息する稲の害虫であるニカメイチュウも兵器化するために集められました。これらの研究成果を試すため、中国湖南省で1942(昭和17)年に細菌とニカメイチュウの散布実験を行いました。
生物兵器の研究では、様々な資材が各地から集められ、新しい細菌の研究だけではなく、日本にも既に生息する生物も兵器とするため、研究が進められていました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
「戦争と医の倫理」の検証を進める会が2012年に京都大学で主催した国際シンポジウムに参加したドイツの精神科医は「ドイツでは過去との関わりをできるだけ回避しようとする動きがずっと以前から一般的で、ニュルンべルク裁判は要するに勝者の恣意による判決だ、という乱暴な考えさえ多くの所で出ている」「ニュルンべルクは扉を開けた。しかし、研究の倫理への道、医学の社会的責任への道はまだ遠く、なすべきことはまだ多い」などと書いています。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「巻頭言」
日本医師会長 武見太郎
その後、私は原子力に関する一切の研究をGHQが停止したのでサイクロトロンを使うこともできず、東大の佐々教授の推薦で、田宮学部長が日本医師会長になられ、私は副会長を務めることになった。
先生が終戦後、防衛庁にご在職中日本医師会をお尋ね下さって、防衛衛生学会を開くので挨拶に来るようにとのお話があったので、私は喜んで伺うことにした。
その時私は、「上官の命令だから伺いました」と言って挨拶をしたら、拍手喝采であった。その際、先生も非常に喜んでおられたのを記憶している。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅲ
1934年11月、陸軍士官学校の皇道派将校数名が、クーデタ未遂の容疑で逮捕された。この事件は何の咎もなく終わったが、翌年、同グループの磯部浅一と村中孝次は、永田鉄山少将らの統制派将校もかつて、クーデタ計画を起草していたことを暴露し糾弾する文書を配布して再び逮捕された。今回は、軍の最高指導部が反応した。磯部と村中による告発は背信行為として非難され、両名とも軍籍を失った。皇道派の他の将校は、統制派を熱心に支持する軍務局長永田鉄山を復讐の標的とした。永田は、陸軍の派閥対立を解消するため大規模な人事異動を計画していると噂されていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム ●武見太郎と金原節三の関係 ●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判 ●日本反戦平和記憶国際シンポジウム ●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場) ●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」 ●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956 ●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演 ●731部隊関連年表 ●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊) ●日本の核開発(加藤哲郎さん) 明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ! 又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!! ●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!! ビキニ「死の灰」世界各地へ ●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ ●日本の核開発 日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!! 平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相 ●憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】 ・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前) ・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない) 統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に 水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!! 2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影 オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!! ●ニュース 安倍政治のすべてが忖度ではないのか??? 安倍首相見放した、火消し優先で盟友麻生氏かばえず 北大・名和学長に職員パワハラの疑い 調査委で関係者聞き取り進める 地方は疲弊しきっている!!! 「令和」で脚光・・・宮城・涌谷町の町長自裁か 日本の技術力の低下が問題なのか??? 台湾の脱線事故、日本車両の責任追及へ 賠償求める方針 3/30/19 金子勝 「忖度」発言の塚田副大臣、政府や自民にも更迭論 ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い 元号反対!! 「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない 「令和」は当初の案に含まれず 3月中旬以降、最終段階で追加されていた 外務省“原則西暦”からトーンダウン 与党から反発、国内文書は元号使用も 「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃 天皇神話はいらない!! 皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式 人体実験疑い 京大調査継続せず イージス・アショア 田岡俊次 青木理 森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審 ロシア疑惑報告書は300ページ超、米報道 野党は開示要求 失踪技能実習生700人余 不正な扱いの疑い 後半国会で議論に 大韓航空労組、厚労省前課長に謝罪と賠償を要求 戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術 なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか?? 20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会 2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏 竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任 竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか 海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見 【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任 森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他 国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に ●横浜「戦争の加害展」感想 2月11日 ・大変貴重な資料を集めてくださり感謝です。多くの方々に見ていただきたく思いました。(60代) 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 第2部 うずもれた青春 「そうじゃないんだ。君たちになぐられるのは当然なのだ。少しも恨む理由なんかないんだから。あのとき、なぐられなかったら、もっともっと俺は辛かったに違いない」 浜中は無理な笑顔さえ見せて、私達を一渡り見廻した。その頃から、浜中は私達とは無縁になっていたのだろうが、私は、彼の心の奥が読み取れず、ただ同情的になろうとしていたのだった。 ・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容 (731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より) 1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り 京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。 審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。 これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。 ・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った ・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった ・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した ・死亡後の学位授与認可 ・・・・・ 人体実験疑い 京大調査継続せず 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第5章 陸軍習志野学校 隠蔽と反宣伝 すなわち、 1、日本のいう催涙ガスは、実際は有毒の化学兵器である。 2、たとえ催涙ガスの使用であろうと、ハーグ条約の原則と1922年の5か国条約に違反する。 上述の批判に対しての釈明は大変難しいと感じ、日本の外務省はあらかじめ苦心惨憺2つの条項をあげて反宣伝を行った。 1、まず各国に対して、日本が使用したのは催涙ガスであって、有毒の化学兵器ではなく、戦争中に起こした傷害は極めて小さいと伝える。 2、もし各国の了解が得られなければ、謀略を使用する、すなわち、中国は戦争法規に違反してダムダム弾を使用したので、日本は自衛のため催涙弾を使用せざるを得なかった、と。 人々はこれらの文献を発見して、日本のやり方は当時日本が自ら誇った大国の地位とこんなにもかけ離れていたことが分かるだろう。 (広島県大久野島毒ガス工場) ●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより) 第三展示室 第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。 生物兵器 第二科が行った研究内容は大きく分けて、生物兵器・毒物・スパイ機材に分類することができます。 生物兵器の開発では、防御が不可能な新型の生物兵器を用いて敵国の食糧である動植物に大打撃を与え、敵国民の戦線を喪失させることが主たる研究目的でした。 第三展示室では、第二科第六班の研究員として生物兵器の開発に関わった松川仁技手『キノコ随想』を取り上げ、研究や実験の様子を紹介しています。松川手記には敵国の食糧である小麦に被害を与える細菌兵器(小麦条斑病菌)の研究を行っていたことが記されています。日本各地から集められた病原菌は、より強力で発病率の高い細菌となるよう培養が進められました。 陸軍技術有功章賞状と徽章 陸軍大臣(総理大臣兼任)東条英機の名で授与された陸軍技術有功章の賞状と優秀者に授与された徽章。(いずれも伴和子氏寄贈) ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 5、いまどんな議論が必要か ■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪 ―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。 しかし、ナチス・ドイツの戦争医学犯罪を踏まえて、世界医師会はジュネーブ宣言や医の国際倫理綱領で「医師は、常に何ものにも左右されることなくその専門職としての判断を行い、専門職としての行為の最高の水準を維持しなければならない」などの条項を採択し、「患者の人権擁護」のためには患者、医師、医師会、それぞれの自律が必要だとしてきました。このような国際的に普遍的な考え方にたつならば、国政の如何などとは関係なく、日本の医学界・医療界が自省の議論を尽くす必要があります。 昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版) ●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか? なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか? ・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判 1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊 第4代衛生学校長 『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか? 金原節三(1901~1976) 陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」 厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1 金原節三と細菌戦 金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。 細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。 金原節三と武見太郎 金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。 「巻頭言」 日本医師会長 武見太郎 その後、先生は陸軍省に行かれて大いに活躍された。私も軍の戦時研究に携わっていたので、時々お目にかかる機会があった。私の研究が医学と物理学の中間をいくものであったので、当時先生は非常に興味を持って激励してくださった。そして、私の恩師、仁科芳雄博士ともお会いになったことがあった。先生は研究資料が戦争終結後にアメリカに渡ることを極力防いでおられれた。その考え方は仁科先生にも通じて、仁科研究室の資料もアメリカに対しては、ある程度のものしか出さずにすんでいたのである。 ※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。 第5代衛生学校長 井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身 1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。 井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。 東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。 ※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。 1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。 南方軍防疫給水部(岡9420部隊) ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く ●水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第8章 昭和維新と統制 Ⅲ 1934年11月、陸軍士官学校の皇道派将校数名が、クーデタ未遂の容疑で逮捕された。この事件は何の咎もなく終わったが、翌年、同グループの磯部浅一と村中孝次は、永田鉄山少将らの統制派将校もかつて、クーデタ計画を起草していたことを暴露し糾弾する文書を配布して再び逮捕された。今回は、軍の最高指導部が反応した。磯部と村中による告発は背信行為として非難され、両名とも軍籍を失った。皇道派の他の将校は、統制派を熱心に支持する軍務局長永田鉄山を復讐の標的とした。永田は、陸軍の派閥対立を解消するため大規模な人事異動を計画していると噂されていた。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 憲法9条を生かそう!! |
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ
●日本の核開発
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
安倍政治のすべてが忖度ではないのか???
安倍政権、止まらぬ忖度疑惑 謝罪を繰り返した塚田氏
地方は疲弊しきっている!!!
「令和」で脚光・・・宮城・涌谷町の町長自裁か
日本の技術力の低下が問題なのか???
台湾の脱線事故、日本車両の責任追及へ 賠償求める方針
どこまでできるのだろうか??医学部の裏口はそのままか??
文科省、大学入試で差別禁止ルール化 全学部で来年度から適用へ
あったことをなかったことにできない!!
森友学園・籠池夫妻が語る大阪府の「便宜」安倍首相の「手のひら返し」
公明党は軍事基地化を推進!!
埋め立て承認撤回を取り消し 国交相が裁決 辺野古新基地
3/30/19 金子勝
「忖度」発言の塚田副大臣、政府や自民にも更迭論
ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「令和」は当初の案に含まれず 3月中旬以降、最終段階で追加されていた
外務省“原則西暦”からトーンダウン 与党から反発、国内文書は元号使用も
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
ロシア疑惑報告書は300ページ超、米報道 野党は開示要求
失踪技能実習生700人余 不正な扱いの疑い 後半国会で議論に
大韓航空労組、厚労省前課長に謝罪と賠償を要求
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・毎回、何度来ても勉強になります。また是非開催してください。(男性、40代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
うずもれた青春
「お前たちは、誰の為になぐられたのか、わかるだろう。・・・浜中、貴様のせいで戦友がなぐられたのだぞ。それでも貴様、黙ってみているのか?自分さへ痛くなければかまわんというのか?」
「自分をなぐって下さい」
浜中は鼻白んだ表情で半歩前に出て、心もち顔を突き出すようにした。
「そら、おあつらえだぞ。お前たち、思い切ってなぐってやれ」
近江属の意地汚いやり方は見え透いている。私は決意して、浜中の顔を力一杯平手打ちをくわした。浜中にすまないと思いながらも、それが私にできる近江属への反抗の表現であるかのようになぐった。森島と来住野は手加減したので、やり直しを命じられた。3人になぐらせておいて近江属は、その夜は、半端なままにして帰り、翌日も、その翌日も浜中の在否を確かめにきた。
しかし、浜中は、以来ぷっつり夜の逢瀬を断念したかのように、自分の席に向かって動かなかった。私は、彼のその姿を見るだけで心が暗かった。同じ部屋にいる同僚の間で、あい反目しているような重苦しさがたまらないのである。
「すまなかった。悪く思わないでくれ。俺たちだって、しょうがなかったんだから」
とうとう耐え切れず2日後の消燈間際に私は浜中に言った。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
隠蔽と反宣伝
なぜならばいったん発見されてしまうと、軍縮会議で表明したことが一切破綻を来し、国際上の日本の境遇がさらに具合が悪くなることを恐れたからである。起こるであろうこの困窮を逃れるため、1937年7月戦争を開始するや、散々苦心した結果日本外務省は政府に1つの策を提出した。
その計画は、焼夷兵器の使用と毒ガスの使用に関する2つの部分にわたっている。第2の部分で、まず日本がすでに承認し、あるいは加盟した化学兵器禁止の各種の公約と協議の条文を列挙した。続いて、最近の戦争中に各国が公約に違反して化学兵器を使用した状況を列挙した。それは、日本が化学兵器を製造した事実上の根拠にしようと意図したものである。日本側が化学兵器を使用した問題に関して、まず策略を弄して、日本が華北地区で使用したのは催涙ガスだけだと称した。しかし、外務省はこれで世論の批判を収めることはできないと十分承知しており、この文件中すでに将来受けるであろう批判を推測していた。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
高度な専門性が求められた第二科では、幅広い分野から研究員が集められていました。各班には、化学、医学、薬学、能楽、写真などを専門とする技術将校・技師・技手を中心に多くの雇員・工員が働いていました。
さらに第二科の研究では分野と人材が幅広いだけでなく、外部機関との広いネットワークが構築され、他の研究施設・大学・民間企業などと協力して研究が進められていました。このように、第二科では様々分野における当時の最新技術・知識が動員され研究開発が行わていたのです。
第二科組織表
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
日本の医学者・医師の先の戦争における医学犯罪があまりにも知られていないことがまずあげられるでしょう。
ナチス・ドイツの戦争医学犯罪のように国内外で、あるいは医学界・医療界で議論が広く活発に行われているかというと、残念ながらそうではありません。
私たちは、その都度論点整理をしながら、問題提起をし、それなりの前進があったと思いますが、国の内外あるいは医学界・医療界で世論を動かすほどにはいたっていないように思います。
国際的には、前述したように、米国政府が、極秘の取引により共犯者となり、隠蔽してきた歴史があります。ナチス・ドイツの戦争医学犯罪の検証が進められているドイツでも日本の戦争犯罪・人道に反する罪についてはほとんど議論にはなっていません。
日本の医学界・医療界が60年以上隠蔽し、今もって自省の動きが見られないというのは国内外の世論、議論の程度や国が戦争責任を果たしていないことを反映しているともいえます。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「巻頭言」
日本医師会長 武見太郎
また、その見識は非常に示唆に富んだものであった。実は、先生の奥様は、東京音楽学校の学生時代に、私の母のところに2,3回みえたことがあって、私も多少存じ上げていたが、先生とお目にかかったのはその時が初めてであった。しかし、10か月の幹部候補生の生活は、先生のお陰で非常に和やかに、また勉強できるような雰囲気を作っていただき素晴らしい10か月であった。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅱ
最後の点について言えば、天皇は間違ってはいなかった。親政を主張する者の多くが、まさに法に基づく国家という概念を拒絶し、いかなる憲法解釈によっても制約されることのない独裁を求めていた。昭和天皇は、けっしてそのように極端なところまでゆくつもりはなかった。皮肉なことに、美濃部をいけにえとすることで昭和天皇と岡田内閣は異端に対する戦争を公認したが、それは学問的な自由の一掃だけでなく、まさに彼らが統制しようとしていた軍急進派を煽る結果となったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ
●日本の核開発
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
「元徴用工」ら韓国人31人が日本コークスなど4社を提訴 今後も膨らむ見通し
ゴーン氏弁護人「逮捕は暴挙」 保釈金10億円の行方は
セブン‐イレブン 90余の加盟店が24時間営業短縮を要望
「最悪の人生やった」 戦後最大規模の食品公害、カネミ油症被害者のいま
塚田氏の忖度発言、強まる逆風 与党からも、くすぶる辞任論
3/30/19 金子勝
「忖度」発言の塚田副大臣、政府や自民にも更迭論
ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「令和」は当初の案に含まれず 3月中旬以降、最終段階で追加されていた
外務省“原則西暦”からトーンダウン 与党から反発、国内文書は元号使用も
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
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ロシア疑惑報告書は300ページ超、米報道 野党は開示要求
失踪技能実習生700人余 不正な扱いの疑い 後半国会で議論に
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なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
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2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
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真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
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中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・毎年見せていただいています。今回は前回に比べ展示内容が変わって写真が増えてより分かりやすくなって良かった。最近になって、政府の統計改ざんが発覚しました。これらをみると、やはり、慰安婦も南京大虐殺もあったのだろうと思います。安倍は、先日の施政方針演説において、日露戦争当時の明治天皇のポエムを披露し、ロシアを挑発し、改憲に向けた発言を強化しはじめています。今年は、選挙があります。特に若い人たちは歴史に学び、悲惨な思いをしないよう、よく考えて投票してほしいと思います。
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
うずもれた青春
「何でありますか?」
私は、それが恋愛行為を指すと分かっていながら、わざと真顔でとぼけた。
「貴様、俺の話を聞いていないのか?浜中をどう思うのか聞いているのだ」
“悪い“と答えればすむことは分かっている。しかし、私は、即座にそれを口にすることに抵抗を感じた。それは、恋愛行為そのものの是非というよりは、浜中の異様な真剣さに圧倒されたからであった。この絶望の壁に閉ざされた部隊では、浜中の唯一の生甲斐であろうことは私にも察せられる。安易な上官への媚から“悪い”と言えば万事解決することぐらい、浜中も承知しているはずだ。だが、浜中はもう通り一ぺんの言葉が処世のかじになるところにはいないのだ。自分の身の安全を計るために浜中をますます孤独な窮地に落ち込ますことに自責を感じないわけにはいかなかった。
「自分には、よく分からないのであります」
と私は低く言った。
「こいつ、貴様もか!」
近江属は、右手を斜め後ろに引いて身構えた。瞬間、「くるな」と感じて、歯をくいしばった。近江属の手が飛んできた。全身の血が頬に流れ込むような熱さを感じて、私はよろめいいた。続いて、森島も来住野も倒れるほど殴られた。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
隠蔽と反宣伝
第1軍が所属の各部隊に出した「特殊器材使用に関する機密保持の指示」の中には、次のような規定があげられている。
1、毒ガスを保存する器材の筒に対しては、箱の上の標識は必ず消去せよ
2、使用後の赤筒は収集して持ち帰れ
3、教育時、印刷物は使用しない、教育を受ける者以外の者が参加してはならない、学習内容は外部に伝えてはならない
4、使用中、使用地域内の敵人をできるだけ殲滅しなければならない、証拠を焼却せよ
5、居住地及びその付近の交通便利な地域での使用を避けよ
6、毒剤を使用した器材は敵人の手に落としてはならない
7、その地の住民を利用したり、使用毒剤の馬車運搬をしてはならない
8、毒剤使用後の対敵宣伝中では、使用は煙幕だけで毒ガスではないと表明せよ
たとえこのように「周到な」隠蔽をしても、戦闘中は機密の保持が難しいことを日本軍は知っていた。このため一時期毒ガスを使用後、しばらく中止の命令を出したことがある。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
それぞれの班の活動内容
第六班は、敵国の小麦・稲・ジャガイモ・トウモロコシなどの食用作物に被害を与える対植物用の生物兵器(昆虫・線虫・かび・細菌)の研究を行っていました。現在の登戸研究所資料館は当時、この第二科第六班が使っていた研究棟を保守・活用したものです。
第七班は、風船爆弾に搭載する対動物(家畜)用の生物兵器として、牛疫ウイルスを中心とする研究を行い、その凍結乾燥による兵器化に成功していました。
第二科組織表
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■ドイツのとりくみと困難
―それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならないことはあるのでしょうか―
2012年5月にはニュルンべルク医師裁判が行われた地において開催されたドイツ医師会年次大会が、全会一致でナチ時代の医学犯罪について重大な共同責任を認め、ドイツ医師会の中に歴史研究を行う委員会を設けるという声明が出されました。
自らの過ちに関するDGPPNのドイツ内外での移動展示は、紆余曲折がありましたが、2015年に日本でも開催され、その間に2010年当時のDGPPN会長の講演も行われました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「巻頭言」
日本医師会長 武見太郎
先生の偉大さを私が直接感じたのは、我々幹部候補生8人を呼ばれて「お前たちは、将来軍医ではなるのではないから、軍医の規則ばかり勉強する必要はない。自分の専門とする勉強をどんどんやって、その余暇に軍医の関係の本を読めばよい。そういうことは、各中隊でやっているとうるさいから、俺の部屋に来て勉強しろ」という命令であった。我々が原書を読んでいると、先生は常にどんな本を本でいるのか注目して、色々な質問をされたり、討論をしたりしたことがあった。その頃、私は若年であったが、先生の幅広い知識の持ち主であることに驚いていたのである。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅱ
昭和天皇の憲法観は清水澄の影響を受けていた。清水は「天皇機関説」に反対だったが、しかし、上杉の学説にも間違いがあるとしていた。清水と同様に、天皇もこれらふたつの解釈のいずれにも依拠していた。天皇は、美濃部の擁護では目立たないようにしていたが、そのことが上杉の絶対主義的な学説を勝利に導くことは、もっぱら予測できたはずである。天皇は本質的には、皇室を守り、強固なものとし、投票によって選出された職業政治家が政策作成に対して持つ影響力を徹底的に低下させ、そして危機の対処に必要な改革だけを認めるという立場にあった。なぜならば、天皇はみずからを国家と同一視していたので、言わば国家のなかの国家として既存の秩序に反対するものはすべて、天皇に反対し、その主権を脅すものと見なす傾向があったからである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ
●日本の核開発
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
3/30/19 金子勝
「忖度」発言の塚田副大臣、政府や自民にも更迭論
ゴーン前会長を再逮捕 日産の資金を私的流用の疑い
元号反対!!
「令和」はツッコミどころ満載、日本政府は“想像力”が足りない
「令和」は当初の案に含まれず 3月中旬以降、最終段階で追加されていた
外務省“原則西暦”からトーンダウン 与党から反発、国内文書は元号使用も
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
ロシア疑惑報告書は300ページ超、米報道 野党は開示要求
失踪技能実習生700人余 不正な扱いの疑い 後半国会で議論に
大韓航空労組、厚労省前課長に謝罪と賠償を要求
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・パネルはもう少し大きいと分かりやすいと思いました。新聞、表など、説明がないと分かりにくい場合もありました。(男性、70代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
うずもれた青春
彼は静かに口を開いた。
「悪かったであります。つい、嘘を言ってしまって申し訳ありませんでした。写真はもらったのであります」
「そんなことはとっくに分かっている。今夜、消燈まで帰らなかった理由を正直に言ってみろ」
「はい、今戸さんと歩いていて、少し遅くなってしまいました」
逃げ場のないところへ追い詰められた者の太々しさとでも言おうか、浜中は一点に視線をすえたまま言った。その口調の、少しもよどみない滑らかさに、私は内心驚いていた。恋をするなどということは、罪悪でもあるかのような教育ばかり受けてきた私達は、そうした感情をあからさまに表現することを恥と心得ていたのである。だが、浜中は、そうした私達の思惑など爪の垢ほども意に介していない様子である。彼の眼はゆがんだガラス玉のかげで鋭く切れ上がり、青い頬のあたりが小刻みに震えている。
「こいつよくもぬけぬけと言えたものだ。貴様、自分のやっていることが、悪いと思わないのか!」
近江属も少々あきれたという口調である。しかし、浜中は答えない。2度、3度、しつこく繰り返して怒鳴られても、彼の口は死んだ貝殻のように開かなかった。
「秋山、お前どう思うか」
近江属の矛先は私の方に向かってきた。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
隠蔽と反宣伝
しかし、このポーズで作った仮装に隠蔽されて、日本の化学戦準備は急速に進展した。陸軍科学研究所と大久野島の兵器製造所はちょうどこの時期に設立されており、そして1937年には、日本軍隊はすでに自己の化学兵器を中国侵略戦争に大規模に応用できるまでになっていたのである。
しかし、日本軍隊が戦争中に化学兵器を大量に使用した後でさえも、日本は世界の世論をだまし続けていた。典型的な1つの例を挙げてみよう。
1938年春、日本の華北方面軍は中国であか筒を主とした化学兵器の使用を開始した。参謀総長閑院宮載仁(ことひと)は、中国の抗日軍に対して毒ガスを使用することを命令して、必ず「煙幕と配合しようして、毒ガス使用の事実を隠蔽し、毒ガス使用の痕跡を消去するよう努力せよ」と指示した。
日本軍は上記の指示を実行する時、さらに多くの具体的な規定を作った。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
それぞれの班の活動内容
第四班は、対動物用の生物兵器や謀略用の対人間用の生物兵器(炭疽菌)などの研究、遊撃戦用の兵器・資材・食糧などの研究を行っていました。
第五班は、秘密カメラや超縮写機などの開発を行っていました。秘密カメラには超小型カメラを仕込ませたカバン型・ライター型・ステッキ型などがありました。超縮写機材とは、スパイなどが秘密文書の伝達手段として用いるための機材です。実用化された一例としては、当時の有名な女優のプロマイド写真を利用し、気付かれないよう髪の黒い部分に暗号文を縮写したものが、スパイ同士の通信手段として使われました。
第二科組織表
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■ドイツのとりくみと困難
―それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならないことはあるのでしょうか―
2012年5月にはニュルンべルク医師裁判が行われた地において開催されたドイツ医師会年次大会が、全会一致でナチ時代の医学犯罪について重大な共同責任を認め、ドイツ医師会の中に歴史研究を行う委員会を設けるという声明が出されました。
自らの過ちに関するDGPPNのドイツ内外での移動展示は、紆余曲折がありましたが、2015年に日本でも開催され、その間に2010年当時のDGPPN会長の講演も行われました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「巻頭言」
日本医師会長 武見太郎
金原節三先生は私の尊敬する先輩の1人であった。私が昭和6年10月から、幹部候補生として近衛第3連隊に配属された時の教官が金原先生だった。
当時、先生は東大耳鼻科から大学院を卒業されて、すぐ近衛第3連隊に配属された軍医大尉であった。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅱ
頑なで一貫して狂信的な本庄は、天皇に神格に関する考え方を変えるよう繰り返し奏上した。1935年3月28日、本庄は、「軍に於ては、天皇は、現人神と信仰しあり、之を機関説により人間並に扱ふが如きは、軍隊教育及統帥上至難なり」と主張した。翌日、天皇は何とかして本庄を教化しようとした。憲法を引きながら、憲法第4条天皇は『国の元首』云々は即ち機関説なり、之が改正をも要求するとせば憲法を改正せざるべからざることゝなるべし」と指摘したのである。〔大日本帝国憲法・第4条は「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攪シ此ノ憲法ノ条規二依り之ヲ行フ」と規定している〕。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連行事
●(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
●武見太郎と金原節三の関係
●第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
●日本反戦平和記憶国際シンポジウム
●4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
●ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
●情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●市民と行政が創る「飯田市平和祈念館(資料室)」設立から学ぶ
●日本の核開発
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
3/30/19 金子勝
元号反対!!
政府説明、実態と乖離=「令和」の選定過程
外務省“原則西暦”からトーンダウン 与党から反発、国内文書は元号使用も
「基本的人権を侵害しており、耐え難い苦痛だ」元号制定の違憲訴訟を起こした山根二郎弁護士を生直撃
天皇神話はいらない!!
皇位継承 今月末から1年にわたりさまざまな儀式
人体実験疑い 京大調査継続せず
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
森友問題、佐川前長官ら「不起訴不当」…検察審
ロシア疑惑報告書は300ページ超、米報道 野党は開示要求
失踪技能実習生700人余 不正な扱いの疑い 後半国会で議論に
大韓航空労組、厚労省前課長に謝罪と賠償を要求
戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月11日
・貴重な取り組み、今後もぜひ続けてください。(男性、50代)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
うずもれた青春
近江属にしても、私には何故か手心を加えていた。その理由としては、どうしても明石氏のせいであるとしか考えられないのである。それを今、近江属が明らさまに憎悪をこめて言い放ったのである。私は不吉な想像にかられた。あれ以来1ヶ月ばかり、明石氏はようとして姿を見せず、誰も行先を知らないのである。ことによると、明石氏はもうこの世の人ではないのかもしれない。あるいは、再びこの部隊には帰ってこない他の事情でもできたのか、と私は考えた。
私達が迎えに宿舎を出たとき、浜中がちょうど帰ってきた。
「ご苦労だったなぁ」
と、皮肉り、浜中が答えられずにいると、
「先ず中へ入れ」
と、追い立てるように私達の後からついて来た。
「浜中、貴様、女の写真を拾ったのだと言ったな?」
「はい・・・・」
「まだ、俺を言いくるめるつもりか、ん?」
浜中はしょうぜんとして首を垂れた。写真のことを今戸嬢にただしたのか、今夜逢っている現場を見届けたのか。浜中はもはや観念した様子である。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
隠蔽と反宣伝
さらにこの時期、中国東北に駐屯する日本関東軍は、陸軍省に鉄道の防衛のために催涙ガスを使用できるかと指示を仰いだが、陸軍省の回答は、日本はジュネーブの会議で催涙ガス使用禁止の態度を表明しているので、世界の批判を招いて、「満州」問題の解決に影響させないために、関東軍は毒ガス兵器をしてはならず、催涙性のガスも使用してはならないというものだった。
もし状況を知らなければ、これらの兵器の問題に対応する日本の態度は極めて誠実、極めて厳粛であったと思うだろう。しかし、たくさんの資料が世に出て後、人々がようやく理解したのは、日本は当時努めて敬虔に、化学兵器を堅く禁止するとのポーズをとっていたのであり、その表現は特別激烈ですらあったということだった。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第三展示室
第三展示室では、生物兵器・毒物・スパイ機材など研究開発を行った第二科の活動を紹介しています。第二科は、日本陸軍が水面下で行っていた秘密戦を兵器・資材の開発という点で支えました。とりわけ、諜報・謀略活動に関係して、登戸研究所の中でも731部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などと最も関係が深かった部署といえます。
それぞれの班の活動内容
第二班は、毒物の合成や”え号剤”の研究を行っていました。このえ号剤とは番犬や軍用犬の追跡能力を一時的に失わせる特殊な薬剤でした。え号剤の実験には実際に軍用犬が使われていました。
第三班は、毒性化合物や青酸化合物の研究を行い、スパイが使用する暗殺用の毒物兵器(青酸ニトリル)の開発に成功した他、耐風・耐水マッチなどを作りました。
第二科組織表
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■ドイツのとりくみと困難
―それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならないことはあるのでしょうか―
ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)は、2010年11月26日に、70年間の沈黙を破り約3000人の精神科医が参加した追悼集会が開催され、ナチス時代に精神科医によって25万人以上の精神障害者が死に追いやられたことを認める追悼講演を会長が行い、精神医学や学会としての思想や組織のあり方を振り返り、「施設的および個人的な罪や精神科医および専門学会の巻き込まれ」を問題にしました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
以下の人たちは、自衛隊の中で、戦後731部隊の研究に似たようなことを続けてはいないか?
・発酵乳の人体の健康に及ぼす影響に関する研究(その2)食品衛生学雑誌5(2)1964
1、浜田清 他4名 順天堂大学医学部公衆衛生学教室
2、鵜飼恒 沼田利雄 陸上自衛隊武山駐屯地業務隊衛生科
3、竹内一豊 防衛庁陸幕衛生課
4、宮崎利雄 自衛隊体育学校
・少年自衛隊員 約500名 15~17才 (3)赤痢に関する調査 天辰千城に深謝 ヤクルト
(その1)がない
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
Ⅱ
しかし、昭和天皇はみずからの自由が奪われるような運動を、個人的には、けっして快く思っていなかった。また、天皇は、一般の国民が国体明徴について政府批判の議論に参加することは、特権的な国家エリートの信頼を損ない、天皇自身のカリスマ的な権威を減少させるものであると理解していた。それでも、皇位を取り巻く運動の喧騒が、新たな熱狂主義へ到達することを止めようとはしなかった。たとえ、昭和天皇が軍や右翼の思想と行動を間違っていると考えていたとしても、けっしてそれを軍に伝えるようなことはしなかっただろう。本庄との冷めたやりとりから主に次のようなこと言えるだろう。つまり、天皇は折衷主義者であり、軍が側近を批判することに苛立ち、加えて、祖父明治天皇のもとでつくられた憲法秩序は、権威主義的ないずれの形態の政府とも両立しうるという信念を持っていた。天皇は政治的、軍事的意思決定において積極的に行動するように教育されてきたし、みずからもそれを意識してきた。そして、天皇は美濃部の学説を非難する人々の多くは、まさにこの見地から美濃部を否定していたことがわかっていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!