第112回八王子アクション
東京 新宿「戸山公園」で鉛や水銀など検出 一部で立ち入り制限
2025.1.6 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!
「日本人は戦時中、ひどいことをさんざんしました。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません」
平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!
2024 11 16平頂山集会
2024 11 16平頂山集会 纐纈講演
平頂山事件92年「歴史を学び合い、不再戦を誓う」集会 アンケート集計
(集会をどこで知ったか)(記入者年代)
1、インターネット、60代
・纐纈講演感想
大変分かり易く貴重なお話を聞けて良かった。被害国と加害国の「和解」には違和感がある。
日本が中国(他アジア太平洋被害国も含め)に対してすべきは真摯な謝罪、赦しを請うことで「和解」は被害国に主導してもらうべき事だと思う。
・パネルディスカッション
日本人にある中国人(他のアジア人にも同様)に対する蔑視・差別意識を克服しない限り又戦争だろうなと思う。
裕仁を象徴として受け入れた時点で、全然反省してないのだから中国に負けようがアメリカに負けようがどう認識しようとそれ以前の問題なのだと思う。私の結論「中国に足を向けて寝られない」
日本人であるのが恥ずかしすぎる!!
・集会全体
この会を主催された方々には感謝とリスペクトしかありません。ただ加害国民としてはたとえ父や祖父達がやったこととは言え、こんなに甘くていいのかなと思います。
・今後の学習会
加害国民として中国の人達は日本に存続している天皇制をどう思っているのかを知りたい。
作品によせて
1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。
疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。
居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。
本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。
7,「水葬」
日本に近づいたのに、船中で病気になり、命を失う人が出てきた。
遺体は麻袋に包まれて重い鎖に巻かれて静かに水面に落とされた。
僧侶らしい人が読経していた。
1946年8月
少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。
9・29アミダステーション(八王子)
近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 <少年Mの記憶ー「満州」からの帰還> DVD完成上映会(五井信治)
上映途中、肩のけがで入院中の近藤仁子さんが、主治医の許可(1時間以内)を得て、会場にお越しになりました。 近藤仁子さんは、滿さんの「満州」での生い立ちからそこでの生活、「満州」から帰還する際に、生まれたばかりの赤ん坊(姉の子)を家族全員で、無事に日本に帰還できるように気を付けたことや、日本に帰還してからも安住の地を求めての苦労を語ってくれま した。滿さんは高校の美術の先生になり、その画風はヨーロッパの古城や中近東の城跡のような荒涼としたものを好み、日本の湿潤な緑を嫌っていたのは、「満州」での体験が大きく影響しているのではないかということ。2001年のアメリカの 9.11 事件後、アメリカがアフガン侵攻をしたことに、滿さんは、ショックを受け、毎日、新聞に出る写真を、絵に描き、タイトルは、「大義は誰も幸せにしない」(戦いは誰も幸せにしない)としました。それを見た画廊の方から、「これをこのままにしておかないで、個展を」と。個展をきっかけに、大きな絵も描き、その最後の絵には、ハトがいっぱい飛んでいる中に、人物がいる絵でした。仁子さんは滿さんは平和を望んでいるんだな、こういう世の中を望んでいるんだな、と思ったそうです。
2024.9.29 少年Mの記憶ー「満州」からの帰還 感想
2、この集会を何で知りましたか? 赤旗、知人
(感想)仁子先生ご無沙汰しています。40年前に浅川小でお世話になりました。30年位前に、お宅に招いていただいて、満さんにオペラのビデオを見せていただいたことを鮮明に覚えています。
「満洲」で生まれ育った「満洲」の体験は終生満さんの中で熟成され、絵という表現方法で、描かざる得なかったのではないかと感じました。仁子先生の満さんに対する尊敬と愛情を強く感じました。今日は来てよかったです。私の住む隣村にある満蒙開拓平和記念館にDVDを持ち込みたいと思います。けがが早く治りますように。
*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。
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