だから群性体構造では結論ではない、と思うんですよねw
群論学者に恨みがあるワケじゃないけどね、まあ、そこはピアジェ本人と議論してみて欲しいけどね、そうやねんて。で、ね、同じく幼稚さが難点としたらね、ワシとしたらピクトグラムみたいに単純化して認識したユニバーサルフロンティア理論みたいな理論こそ基礎なんじゃないかってね、ま、手前味噌ですけど、そうですのや。画家のセザンヌみたいに「自然を円筒、球、円錐によって扱え」って感じに言いたいですよ、素粒子論ではね、特に。超弦理論の先走りは実を結ばないのじゃないかって、個人的にはそう思ってます、ええ。
素粒子にピッタリじゃないか、そのセザンヌ的な自然観!
研究を終えるって言うコトがいったい何をを意味する言葉なのか、と言う考察をしてみたトコロが、ワシとしたら「踊り場的な休息を与える空間」という結論に達しましたで、そら。まあ、階段の踊り場が休憩所かド~かは知らんけども、ちょっとした雑談の場であることは確か。で、素粒子研究はソコでいったんストップすべきだと思うのですよね、素粒子に限っては、そう。
欧米には「それが標準模型だ」と思ってる人たちが多いw
チガウ、というコトなんですよね、ワシの言い分は!
正しいカラビ=ヤウ場的な理論は下働きに近く終わるはずだと思うんですよね、正味、それが妙に雄弁である、そう。雄弁なだけでは無くてリサ理論みたいに予言が著しく異なってきたりしている、そうですやろ。そこらって、なんか日本人が活躍する場を拒否されてるのかなとも思いますし、欧米的な物理の自滅行為だとも思えます、そうですねん。彼らにとっての研究の踊り場というのは絶望休憩所になるのではないか、そう思って活動しとります、ええ、怒られようと。
なんで自滅や絶望で研究をストップせねばならんねん?
ピクトグラム的な近似から始め直すべきやろ?