これは目下のところの悩みの種とゆーよりも、とーの昔に(うん、10年ひと昔だってゆーもんな・・、昔のヒトは偉かった・・)解消することはあり得ぬ無意識の世界に(無理矢理に)自分で追いやってしまった後です。つまり、原子命題の向こうをはって【クォーク命題】と称して、述語論理学に基づく“事物の定義”として(勝手に)通用させてしまった後では、理論物理学の世界の、クォークとか中間子とか、は、ただ単なる(身勝手な)アナロジー成立のためのアクセサリーに変貌しているので元には戻せません・・。それらは「UFTの為の数学基礎」にしてしまった後です。
えっ、物理学と数学と、で、矛盾しているって?
まあー、いい・・。それでも「クォーク命題と中間子文構想」による数学用語の定義、と、さらには、ユニバース命題によるところの「ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何の結合」ってゆー下りは「我ながら素晴らしい!」と自画自賛せざるを得ません。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835554&tid=bft3xa4ol7bdblbfbja4aba4ibboa4dea4ca4fa4a4a4ka1aa&sid=1835554&mid=3
>ユニバース命題:「平面上では平行線は任意の点で互いの垂線を共通にし得る」
>これは、
>平面:「平行線角が直角である」
>平面じゃない:「平行線角が直角でない」
>のハドロン命題に変化するが、実はこのハドロンは他と違って裏と表で一文に結合しているのじゃなく、平面仮定による幾何と非平面上の幾何の二種類をそれぞれ表現している!
>tクォーク命題:「平行線角は直角である」
>bクォーク命題:「平行線角は直角でない」
これは二つの正クォーク命題に割れる【ユニバース命題】であり、
>ユニバース命題「事物の個数を数える最初の数は最小の自然数に己を足したものである」
>ここから、
>1:「最初の自然数は1である」
>0:「最小の自然数は0である」
これはペアノ公理においても『ユニバース命題性』とゆーものは「存在しなければ体系としてそこから先には進めない」モノである、と、言って良い証拠です・・、よ?
えっ、物理学と数学と、で、矛盾しているって?
まあー、いい・・。それでも「クォーク命題と中間子文構想」による数学用語の定義、と、さらには、ユニバース命題によるところの「ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何の結合」ってゆー下りは「我ながら素晴らしい!」と自画自賛せざるを得ません。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835554&tid=bft3xa4ol7bdblbfbja4aba4ibboa4dea4ca4fa4a4a4ka1aa&sid=1835554&mid=3
>ユニバース命題:「平面上では平行線は任意の点で互いの垂線を共通にし得る」
>これは、
>平面:「平行線角が直角である」
>平面じゃない:「平行線角が直角でない」
>のハドロン命題に変化するが、実はこのハドロンは他と違って裏と表で一文に結合しているのじゃなく、平面仮定による幾何と非平面上の幾何の二種類をそれぞれ表現している!
>tクォーク命題:「平行線角は直角である」
>bクォーク命題:「平行線角は直角でない」
これは二つの正クォーク命題に割れる【ユニバース命題】であり、
>ユニバース命題「事物の個数を数える最初の数は最小の自然数に己を足したものである」
>ここから、
>1:「最初の自然数は1である」
>0:「最小の自然数は0である」
これはペアノ公理においても『ユニバース命題性』とゆーものは「存在しなければ体系としてそこから先には進めない」モノである、と、言って良い証拠です・・、よ?