正確には「任意の4の倍数はすべからく2の倍数である」という意味の“偽定理”であるが、その真偽をいえば「真」だ・・。
この偽定理を数学命題Aとしよう、すると数学体系においてずっとA⇒AであってA⇒¬Aではなかろう、そうしたら数学体系の無矛盾性だけでなくて「きっと個々の数学命題の無矛盾性をも意味するだろう」という想定のもとに造られた物こそが、山野命題Y=「この命題は反証されない」であったが、それを命題論理として扱って計算してみたところが「Y⇒Yは証明できない」だとは?
数式で表すと「4n=2m(n,mは自然数)」なんだけど、
これを
帰納法で証明する方法は不完全だというのがゲーデル流・・。
でも、
やっぱりどうしても変だ、だって標題を「数学体系は4の倍数は2の倍数であるという命題を反証しない」に変えたら、もちろん私の意図の通りに「山野命題Yの一員である」といえるはずだと思うのだ、ところが、昨日ここで論じたようにまったくそうではない、とは?
じつは命題計算にも拘らず「Y⇒Yを証明する方法」はちゃんと存在する、それは・・。
n=1のときm=2でY⇒Y、n=kのときY⇒Yと仮定したらn=k+1のとき、うんぬんかんぬん~、などと“ゲーデル流で奮戦”していたいわけじゃなく、一つには《無矛盾公理》によって、もう一つには“山野流の命題計算法”によって、いずれも見事に証明されます!
1)無矛盾公理を使う方法
数学体系に¬Y=「この命題は反証される」を仮定すると、きのう当ブログで論じたように、あるいは、ほとんど自明で、Y∧¬Y。無矛盾公理より、原因となる¬Yの仮定を否定してYが得られ、あとYは反証されないからY⇒Y。
2)定義より明らかである
意味より、Y⇔Y∧「Yの定義」(Yは、Yを山野の如く定義すること自体でありさらにYであること、と同値)であり、さらに¬Provable(¬Y)⇒Yなどから、Y⇒Y。
2)は不思議なようだが、定義にすぐ戻して「Yの定義」⇔T、ところが「Yを証明できる」⇒Yなどによって「Yの定義」⇒Tであり、それを使ってトリッキーに証明されます。こうなると、やはり、途中でかなり気にしていたように、自己言及命題には否定の二重性問題が避けられないことから来る、どこかでY⇔Gなる成分がどうしても混ざってしまうことによって、どこかで「Yは証明できない」が出てきてしまってのこと、だと判定します!
すると《不完全性定理》を信じてあげるわけにはいかない、とゆー(言うなれば)“新しい現実”が出現してしまうのですよ、あなあなかしこ・・。
この偽定理を数学命題Aとしよう、すると数学体系においてずっとA⇒AであってA⇒¬Aではなかろう、そうしたら数学体系の無矛盾性だけでなくて「きっと個々の数学命題の無矛盾性をも意味するだろう」という想定のもとに造られた物こそが、山野命題Y=「この命題は反証されない」であったが、それを命題論理として扱って計算してみたところが「Y⇒Yは証明できない」だとは?
数式で表すと「4n=2m(n,mは自然数)」なんだけど、
これを
帰納法で証明する方法は不完全だというのがゲーデル流・・。
でも、
やっぱりどうしても変だ、だって標題を「数学体系は4の倍数は2の倍数であるという命題を反証しない」に変えたら、もちろん私の意図の通りに「山野命題Yの一員である」といえるはずだと思うのだ、ところが、昨日ここで論じたようにまったくそうではない、とは?
じつは命題計算にも拘らず「Y⇒Yを証明する方法」はちゃんと存在する、それは・・。
n=1のときm=2でY⇒Y、n=kのときY⇒Yと仮定したらn=k+1のとき、うんぬんかんぬん~、などと“ゲーデル流で奮戦”していたいわけじゃなく、一つには《無矛盾公理》によって、もう一つには“山野流の命題計算法”によって、いずれも見事に証明されます!
1)無矛盾公理を使う方法
数学体系に¬Y=「この命題は反証される」を仮定すると、きのう当ブログで論じたように、あるいは、ほとんど自明で、Y∧¬Y。無矛盾公理より、原因となる¬Yの仮定を否定してYが得られ、あとYは反証されないからY⇒Y。
2)定義より明らかである
意味より、Y⇔Y∧「Yの定義」(Yは、Yを山野の如く定義すること自体でありさらにYであること、と同値)であり、さらに¬Provable(¬Y)⇒Yなどから、Y⇒Y。
2)は不思議なようだが、定義にすぐ戻して「Yの定義」⇔T、ところが「Yを証明できる」⇒Yなどによって「Yの定義」⇒Tであり、それを使ってトリッキーに証明されます。こうなると、やはり、途中でかなり気にしていたように、自己言及命題には否定の二重性問題が避けられないことから来る、どこかでY⇔Gなる成分がどうしても混ざってしまうことによって、どこかで「Yは証明できない」が出てきてしまってのこと、だと判定します!
すると《不完全性定理》を信じてあげるわけにはいかない、とゆー(言うなれば)“新しい現実”が出現してしまうのですよ、あなあなかしこ・・。
この話には順序ってモンがあります・・。