若い人たちよ、君たちが大学で習った論理学は偽物である・・、真理表には決定的かつ致命的な弱点というか深刻な欠陥が存在する、ゆえに1960年代半ばで既に見限られていた【ブール代数】という数学的な遊戯であるに過ぎない、どうしてそんなもので社会を操作されなくてはイカンのだ?
恒真命題とされる¬A⇒(A⇒B)について真理表を作ると「¬Aを十分条件とした際に命題A⇒Bは否定する方法がないがために真である」とされるも、その場合に「¬Aが真だという物事を持ち込むすべはない」ということなのである!
もし「¬Aが真」であるならば
¬A⇒(A⇒B)
⇔
¬A∧(A⇒B)
⇔
・
・
⇔
¬A
ゆえに論理式の結論は「¬Aが真」だけに終わる。
これが❝決定的かつ致命的な弱点というか深刻な欠陥❞でなくて何事であろうか?
(極めて遺憾であり、ぜひ多くの人に賛同願いたくて頑張っておる・・)
恒真命題とされる¬A⇒(A⇒B)について真理表を作ると「¬Aを十分条件とした際に命題A⇒Bは否定する方法がないがために真である」とされるも、その場合に「¬Aが真だという物事を持ち込むすべはない」ということなのである!
もし「¬Aが真」であるならば
¬A⇒(A⇒B)
⇔
¬A∧(A⇒B)
⇔
・
・
⇔
¬A
ゆえに論理式の結論は「¬Aが真」だけに終わる。
これが❝決定的かつ致命的な弱点というか深刻な欠陥❞でなくて何事であろうか?
(極めて遺憾であり、ぜひ多くの人に賛同願いたくて頑張っておる・・)
ゆえに現代論理学は間違っている・・。
対偶を取って「Aならば¬Aが偽」ここから代入法を使って¬AをAに置き替えて、さらに「二重否定は肯定」を使えば「¬AとAが入れ替わり、ちょっと省略しますけれども「¬Aならば¬Aが真」となる、そうすると与式より「¬Aが真」と「¬A」が同値、さらに「Aが真とAは同値である」にまで進みますw)
(A⇒B)⇔(¬A∨B)という定義式は、左右を見比べると左辺の十分条件Aを「真」と置いてよいにもかかわらず、論理学のmodus ponensを使えないという意味において「やはり代数学の一種であって論理学とは認められない」と言っていいでしょう・・。