ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

標準模型の上に成り立つ標準理論はカリー命題で語られるw)

2012年11月18日 | Weblog
「もしも、その形の理論が正しいならば生涯における私の全業績は水泡に帰するでしょう」とアインシュタインは演説した・・。

一般ゲージ原理のことかもしれないし、そうでないかもしれないが、湯川の晩年にとって量子色力学は似たような存在だったはずである。さて、この演説はアッと驚くことに論理学の研究課題としてふさわしい。なぜならば「この理論が正しいならば,A」というのはカリー命題であって反駁のしようがないからだ。アインシュタインは「私には過ちを犯す権利がある、既に勝ち得ている」と豪語したが、さて、その場合における「過ち」とは何のことだったのか?

イギリスの田舎では「地方自治とは過ちを犯す権利である」という言い習わしがあるそうですw)

アインシュタインの過ちを犯す権利とは、核兵器なども想起されて何やらおっかないですけど、自説の破却とも取れる先のようなセリフでしょうか。カリー命題、しかも敵の論説を主語にしてのカリー命題で応じられるとは、ようするに(ノーベル財団の言ったように)「貴君の相対性理論ならびに重力理論につきましては実験検証が完了するまでは保留として(それまでは)一切考慮いたしません」を受け入れて論議では結論が出されないことを自ら周知させたのでしょう。

さて、いったい何のための言論だったのでしょう?

裏返せば、もしアインシュタインが正しいならば一般相対性理論の真偽は実験によってしか決定せず、じつのところ二〇世紀末にはそうなったのだけど、相手の死に物狂いの努力こそが水泡に帰することになる。こちらはどうだったかは知りませんが、意味なき重力論として敗北の科学史に藻屑として漂っていることだけは確かです。

思えば、しつこい論敵に業を煮やして遊びたかった、遊びの口実として使った、相手を忙しくしたかった、アインシュタインも人間だというよりも随分と大胆な手口だったと思われませんか?

「神は老獪にして、しかし意地悪ではなく、自然は時折その本来の姿を現す」アルバート・アインシュタイン

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