ゲーデル命題は数学的帰納法の不完全性なのだそーだが、そーしたら
1)n=1のとき n以下の自然数の個数は有限個である
2)n=kのとき k以下の自然数の個数が有限個であると仮定すると
3)n=k+1のとき 高々1個増えただけなのでk+1以下の自然数の個数は有限個である
以上より、自然数集合は有限濃度の要素からできている!
このことが「数学的帰納法では自然数集合の無限性が導かれない」というよりも、むしろ「自然数集合に有限性を仮定すればω無矛盾である」という現実の方が大きいとは思われませんか?
ω無矛盾は無矛盾よりも強い仮定だから「自然数体系というものは有限性を強く主張した方が矛盾しない」ということになるのです・・。
ところが無限性の方は、すべての要素の大きさが有限でしかない順序数同等の集合の中では主張したり証明したりすることが不可能であるにもかかわらず、とにかく直観として外部からの視点的な観点から自明事項として導入してしまいがちである。そこを「有限集合には有限な大きさの自然数が対応できるはずだ」とかやるのは自然数集合そのものが主張すれば自家撞着である。
最大自然数が存在できないのはペアノ公理だってそうなんだから、自然数集合は有限性が無矛盾で無限性が矛盾だということは、どう技巧的に反論しても確かではないですか・・。
現実として自然数が無限集合だというならば確かに自然数は矛盾していて数学的帰納法は不完全です!
やはり「命題Gは数学命題だが命題¬Gは数学命題ではない」(powered by buturikyouiku)のではないかしらん?
1)n=1のとき n以下の自然数の個数は有限個である
2)n=kのとき k以下の自然数の個数が有限個であると仮定すると
3)n=k+1のとき 高々1個増えただけなのでk+1以下の自然数の個数は有限個である
以上より、自然数集合は有限濃度の要素からできている!
このことが「数学的帰納法では自然数集合の無限性が導かれない」というよりも、むしろ「自然数集合に有限性を仮定すればω無矛盾である」という現実の方が大きいとは思われませんか?
ω無矛盾は無矛盾よりも強い仮定だから「自然数体系というものは有限性を強く主張した方が矛盾しない」ということになるのです・・。
ところが無限性の方は、すべての要素の大きさが有限でしかない順序数同等の集合の中では主張したり証明したりすることが不可能であるにもかかわらず、とにかく直観として外部からの視点的な観点から自明事項として導入してしまいがちである。そこを「有限集合には有限な大きさの自然数が対応できるはずだ」とかやるのは自然数集合そのものが主張すれば自家撞着である。
最大自然数が存在できないのはペアノ公理だってそうなんだから、自然数集合は有限性が無矛盾で無限性が矛盾だということは、どう技巧的に反論しても確かではないですか・・。
現実として自然数が無限集合だというならば確かに自然数は矛盾していて数学的帰納法は不完全です!
やはり「命題Gは数学命題だが命題¬Gは数学命題ではない」(powered by buturikyouiku)のではないかしらん?