ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

いや、背理法でも帰納法でも否定される命題の仮定は必要だ!

2011年08月11日 | Weblog
あ゛-、そお゛でもないかっ、予想どおりに証明され゛てゆ゛くばかりが数学じゃないな゛-・・。

帰納法なんか命題ぜんたいが否定される(反証される)際にだけ必要だが、背理法ともなると証明の度(たび)に必要不可欠であるし、もしゲーデルの業績そのものが、かような理由によって《数学的帰納法の不完全性》に限定されるとしたら、やはり、感想を持つとしたらナンセンスという言葉に限りなく近づいてゆく他になさそうなのだ。

つまり、証明法に応じてGとかYとかの定義を変えてゆくのが正しいような気がしてきた・・。

それにしても、数学の無矛盾性は“数学的帰納法によって証明されない唯一無二の命題”ということなんだろうか、ハテ。フェルマー定理など持ち出すまでもなく、数学的帰納法で証明できない数学命題など、腐るほどある。「数学的帰納法ではフェルマー定理は肯定も否定も証明されない」なのに「この命題は証明できないという意味をもった命題Gは数学体系の無矛盾性と同値」だなんて話にどうしてなるのだろうか。

今まで述べてきたように僕はゲーデルの証明を信じる義理がナイ!

ゲーデルが論じていたのは自己言及命題「この命題は証明できない」にまつわる(喩えて言えば)前後左右だけの世界だ。僕は、そこに、斜めガケの世界を造ってみせたが¬Yと¬Gとは自己言及として同一命題だということが分かった。と、いうことは¬Gが矛盾性として正しい表現であって「Gは無矛盾性でなどありえない」ということである。もちろん、Y「Yは数学体系によって反証されない」にしても、数学体系の無矛盾性そのものまで含んでいるかどうかは分からないし、¬Y「¬Yは反証される」が(矛盾を誘引する命題だからといって)数学体系の矛盾性を意味し得るとは思っていない。

だいたい、ヒルベルトによれば、数学が矛盾しておれば“1=2だって証明できるハズ”なのである・・。

定義を変えた¬Y「Yは反証される」に至っては(幾通りか存在する組み合わせの中で)只一つの矛盾を誘発しない否定形であるが、前回、このブログで述べたように、数学的帰納法を具体的に表現できるように仕組んだものである。ところが《反証》ということになると、背理法では反証したい命題を仮定してから証明するのであるし、また、例の対角線論法では反証した先が結論となることもあり、無矛盾性を意味させるつもりだったYの否定形として物足りなさが残ってしまう。

やはり山野命題はY「Yは反証されない」¬Y「¬Yは反証される」で行きたいじゃないか?












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