すっかりオトナ男子になりました。
年の差3兄弟☆ニギヤカ隊が今日も行く♪
「要介護1」の認定を受け
母が4ヶ月近くの入院生活から
退院後に暮らす場所に選んだのは
次女である私の家。
実家は、高い段差だらけの古い家
何をするにも部屋を移動しなくちゃならない
平屋の日本家屋
不便な田舎暮らしなのに
車運転できるものは誰もいないし( ˙灬˙ 哀
ならば
こじんまりした全く段差のない
私のとこに来たらええよ♪
ってことで、
しばらく。
息子らが巣立ち
ベッドも余す。
せせこせと二階から持っておりた。笑
客の来ない「客間」は
「子ども部屋」になり、
そして、
今、
「介護部屋」へとも変わる。笑
実母の介護認定が決まった。
庭で転んで入院し、
あれこれと、4ヶ月が経過した。
リハビリ施設に入院して3ヶ月。
認定は、
「要支援か要介護1」
ってとこだったけど、
【要介護1】
支えなくては歩くことが難しい。
認知機能も衰えている。
ちょっとした支援が必要。
退院後に、母が選んだのは、
「次女の家に行きたい♪」
そう、
次女である私の家は
段差のない家で生活しやすい。
施設の空きが出るまで、
自宅のトイレリフォームが完成するまで、
しばらく♪
うぬ。
これからだ(^^✳︎
リハビリ入院中で、
母のいない実家に帰った。
末っ子高校生、
ばぁちゃんのいない
‘ばぁちゃんち’は初めて。
毎年の楽しみ「お年玉」がない寂しさ。
こんな私にも、
毎年お年玉を用意してくれる母だった。
「いつまで渡されるかねぇ」笑
なんて明け年を迎えて。
今年は、
静かな実家。
母の代わりにお墓を掃除して
今年の平穏を、と参った。
病院から
「お年玉あげんにゃいけん」
そんな電話がかかった。
今月末には退院。
不自由であれど、
3ヶ月ぶりにこの家に帰られる。
また元気な声が聞ける。
うん、
まだまだ飛躍

ぴょんぴょん。
雪がちらついた日の広島、呉。
そんな日、
特別面会の許可をいただいて
母に会ってきた。
転院からの2ヶ月近くぶり。
車椅子を押され
応接室に現れた81歳の母、
私の姿を見るなり、
手を握って
「会いたかった〜」と、泣いた。
「何、泣きょうるんよー
泣かんのんよ〜。笑」って
私も泣いた。
「面会時間は15分ほどです」
急ぎ早に話す30分ほどの時間
まだまだ話足りない。
でも
元気な姿を見られたこと
ほんと、安心した。
声のトーン、張り
今のすべての様子が伺えた。
人からの情報じゃ見えてこない部分。
[百聞は一見にしかず]
何なん、全然元気やん♪ 笑
もっとボケボケって
私のこと忘れちゃってるかも・・・
なんてことも怖かったのよ。
まして、
肌ツヤも良くて、小綺麗で。
家にいる時なんて
顔、パッさぱさガッサガサで
寒さに鼻たれてたりね。笑
うん♪
「ほら、立てるよ?歩けるよ?」
って、ヨタヨタと。
うん♪
元気な母の姿、
ただただ、嬉しい。
退院後の話をして、
「これからは人を頼って甘えて生活するんよ」って。
夫を早くに亡くして
まだ1歳だった私を女手一つで育て暮らした母。
まだ81歳、
あと10年はまだ元気でおらんとね、って。
いつもお世話いただいている
看護師さん初めスタッフの援助、
同室の方々との楽しい時間
短時間でも母の様子から伝わった。
外は
寒い。
でも
ココロ、
ぽかぽかした🧡
骨折して
リハビリ入院している母に
クリスマスカードを贈る


母が入院期間中は
コロナも関係して3ヶ月会えない
代表である姉だけは
月一度の、
看護師・ケアマネさんとの報告日に会えるが
まぁ、
何においても朗報を聞くことがない。泣
今の状態から
たぶん「要介護1」が認定されるかな?
というところである。
「立つ」「歩く」が1人ではできない。
杖の使い方が理解出来ないらしく
それはもう諦めたらしい。
そんな、
電話もかけられない母81歳、
伝えたいことがたくさんある。
‘応援サンタ’のクリスマスカード見つけた。
末っ子とお手紙書いて送った♪
そして、
病院に電話して
会えない母への
不穏である思いの丈を伝えると、
主治医の先生より、
特別面会を許可していただけた。
来週、会ってくる。
笑顔が見られますように

積んだ積んだ
そう、
81歳の母が骨折し
入院リハビリ生活2ヶ月目
山奥の古い田舎屋敷
普段使わずの納戸化した部屋
布団やら客用座布団
開かずのタンス5棹、
他いろいろ中も見ずに部屋丸ごと処分。
普段使いだけ残し
食器棚も中身丸ごと。
ほんと、スッキリ。
見込み違いか
2トンに全部詰め込むの難儀してた。
途中家具も解体してたし。
見てる方もこれ全部載せられる?
でも
そこはプロ
ちゃんと全部持って行ってくれた。
ほんと、スッキリ
ポッキリ10万、
良心価格と思える。
(自分の中では30万覚悟してたんでね)
空っぽになったボッロボロの間
うん十年開かずの押し入れの中には
ネズミの巣の形跡もあったと。
縁側も物が多く、
高齢の母は
「えーけん自分で片付けるけん」て。
そんなこと
できるわけないじゃん、の状態。
入院がいいきっかけになった。
母も
自分ではどうにも出来ないと諦めてたろうし
処分したこと喜んでた。
早く見せてあげたい。
そして、
これらの使わぬの間、
足が不自由な母が暮らしやすいように
どーにか
こーにか
なるものか?
まぁいい
プロに任そう。
久しぶりに帰る訳ではないが
実家が静か。
そう、
先月、転倒し入院リハビリしている
母がいない実家
「おー来たんね♪
道混んでなかった?」て
いつもの母がいない
とても
寂しい。
部屋の中も、庭も
そのまま母が生活してるまんまなのに。
母が、いない
私、一人
何も
することがない。
野菜作りもできなくなるのかな。
静かな実家
これからは、
不用品を全捨てし、
のちにリフォームをする予定。
リハビリ回復する母を迎える準備をする。
ここで
元気に暮らせる日がくるようにと。
三男、末っ子
骨折で入院中のばあちゃんのお見舞いに。
離れて暮らす
長男次男も「帰る」言ってくれる。
うん、
大丈夫、
「リハビリ頑張って実家で会おう」て。
リハビリ専門病院に転院すると
コロナ感染対策で
最長3ヶ月は誰とも会えない。
寂しい。
「頑張って」
81歳、母の気力を応援する。
81歳の実母、
庭で転倒
「大腿骨骨折」の手術は無事終了
「孫らとご飯食べにいく」
そうして退院後の話を
意識もうろうとしながらも口にする。
家に一人で過ごす高校生の末っ子に
「早ぅ帰ってあげんさい」と、
「帰るね」って言うと、
「気をつけて帰るんよ」と
こんな時でも
自分より孫、
そして娘の心配。
私が3人の子育てを超えれたのは
いつも母が助けてくれていたから。
これからは
うん
私たちが、ずっと寄り添っていきたい。
長くても辛くても。
そのうち、いつかはと、
会うたびに衰えてくる高齢の母に
「気をつけるんよ」と口うるさく。
「私ゃ元気なんじゃけん」と、聞かず
そんなこと。
庭で洗濯物干していて転倒
そして、大腿骨骨折
入院、手術へ、
これから長いリハビリ。
「大丈夫」と誰にも知らせず
寝たまま翌日
一緒に暮らす姉(娘)にも大丈夫と、
私が向かった時には
全くも「大丈夫」ではなく救急車呼んだ。
こんな日、って
こんな感じに突然やってくる。