あした、友だちといっしょに「百年と希望」を見に行くつもりです。
「日本共産党」という名前を変えたら、もっと支持が広がるんじゃないの?
とよく言われますが、この名前には誇りと自負があります。
戦前の「治安維持法」の時代から「反戦平和」と「国民主権」を掲げて
闘ってきたからです。
戦後、戦争に協力した他の党が、名前を変えざるを得なかったのに対して
「日本共産党」はそれをする必要がなかったから、堂々と今も名乗ること
ができるのです!
100年間、一貫してゆるがない・ぶれない姿勢できました。
これから、もっともっと大きくなってほしいです。
選挙の結果には悔しいものがありますが、諦めずに野党共闘の道を
模索していけばいいと思います。
四条烏丸で「長刀鉾」を写してきました。
あさっては3年ぶりの山鉾巡行ですが、コロナ感染者が増えているので心配です。
わたしは出かけずにテレビで見ます。
5月頃には、浴衣を着て出かけようかななんて思っていましたが、
コロナも熱中症も怖いので、テレビが一番です!
主張
日本共産党100年
立党の原点 いま未来に向けて
日本共産党はきょう、1922年7月15日の創立から100年を迎えました。
この1世紀には、国民の利益擁護、反戦平和、民主主義、社会進歩をめざす立場を貫き、果敢にたたかい続けてきた歩みが刻まれています。どんなに困難な時代でも決して国民を裏切らず、いかに強大な権力に対しても正面から立ち向かってきた歴史は誇りです。
いま不屈のたたかいの到達点に立って、新たな未来に向け、幅広い国民と力を合わせて時代を切り開く決意です。
歴史を切り開いた不屈性
日本共産党が誕生した20世紀初頭は、国の統治の権限を天皇が握る専制政治の下にありました。国民の人権は抑圧され、言論は厳しく取り締まられました。対外侵略も拡大されていった時代です。
主権在民・反戦平和を掲げることは文字通り命がけで、多くの先輩が命を落としました。今年公開された映画「わが青春つきるとも―伊藤千代子の生涯」は、治安維持法で逮捕され、権力による過酷な弾圧で命を奪われた若き女性活動家の足跡を描いています。
貧困を見て社会に矛盾を抱き、東京女子大で社会科学研究会に加わった千代子は、郷里の長野県の製糸工場の争議支援を行うなどして入党し、激しい拷問や卑劣な懐柔工作にも志を曲げず、24歳で亡くなりました。千代子の生きざまに心を揺さぶられる現代の若い世代も少なくありません。
激しい弾圧で35年に党中央の活動は中断せざるをえませんでした。しかし、獄中などで不屈のたたかいは続きました。
戦前、日本共産党以外の全ての党は自ら解散して40年に「大政翼賛会」に合流し、侵略戦争を推進しました。戦前・戦後を通じて名前を変えずに活動している日本の政党は、日本共産党だけです。このたたかいの先駆性は、戦後に制定された日本国憲法のなかで結実しました。
いまロシアのウクライナ侵略の暴挙に乗じ「大軍拡・改憲」を声高に叫ぶ「翼賛政治」の危険が強まっています。平和と民主主義を壊す逆流を打ち破るために、日本共産党は力を発揮しています。
戦後の歴史では、旧ソ連や中国から乱暴な干渉を受けましたが、それと果敢にたたかい抜き、どちらもはねのけました。どのような大国であれ、覇権主義を許さないたたかいを通じて、日本共産党は自主独立の立場を確立しました。この立場は、ロシアのウクライナ侵略が続き、中国の覇権主義の深刻さがあらわになる事態のもとで重要であるだけでなく、「日米同盟の強化」の名で異常なアメリカ言いなり政治が際立つ中で、いよいよ重みを増しています。
多くの国民と手を携えて
日本共産党がなにより大事にしているのは、国民の共同の力で社会を変える取り組みです。各地で公開中の映画「百年と希望」は、歴史を紡いできた日本共産党が若い世代などと広く結び活動する姿に注目したドキュメンタリーです。
日本の政治を変える道は、市民と野党の共闘を広げるしかありません。そのため奮闘を続けます。
創立100周年という大きな節目に、一人でも多くの方に党に加わっていただくことを心から呼びかけます。新しい歴史をともにつくっていきましょう。
(しんぶん赤旗より)