雲間より細く陽の射す円山に平和を願ふ歌声ひびく
憲法記念日のきょう、
「生かそう憲法 守ろう9条 5・3 憲法集会」
に参加してきました。
始まる前の、議員さん4名の様子。
右から、民主社会党の方(青いもんぺ姿の方)、それからみどりの党の方(黄色い服の方)、
男性は、右から日本共産党の方(下を向いてる方)、新社会党の方(白っぽい服の方)です。
「憲法を変えさせない」という点で一致できるから、共同で闘おうという訳です。
こういう力がどんどん増えているんだと思いました。
後ろにある黄色いパネルは、京退教(京都退職教職員の会)の、
「戦争する国づくりを許さない」というものです。
現職の方たちの「教え子を再び戦場に送らない」とともに大事なスローガンです。
「平和を願う歌」のライブも50代の人から、20代の人へ引き継がれていたり、
若者たちが、選挙権のない人でもしっかり憲法を大事にしようと訴えてくれたり、
手応え充分の集会になりました。
集会宣言を採択して、デモ行進に移ります。
静かなデモです。
集会宣言より、だいじなところを抜き書きします。
”そもそも集団的自衛権は、憲法9条のもとでは完全に否定されるものであり、
許される場合を検討する余地すら認められないのであって、
解釈によって容認することなど不可能です。
にもかかわらず、その行使を容認することになれば、それはもはや憲法解釈
ではありませんし、明らかな立憲主義違反です。
その結果、憲法9条は骨抜きにされ、死文化されることになります。
戦争をする国は、戦争に勝つことがすべてに優先される社会です。
権利も自由も財産も、すべて戦争のために差し出す社会です。
そして、殺すことを称える社会であり、殺されることを諦めさせる社会です。
そこに人間らしい優しさを見いだすことはできません。
わたしたちは、そうした社会に暮らしたくはありません。
わたしたちは、政府の行為によって二度と戦争をさせないと決めた憲法9条を
変えることに反対です。
その憲法9条を真っ向から否定する集団的自衛権の行使を絶対に許すことが
できません。”
安倍首相は、立憲主義に背を向け、明文改憲と解釈改憲、立法改憲を並行して
進めようとしています。
そして今、これまで以上に解釈改憲路線を強めています。
きょう午前中に放送された、NHKの各党代表による討論会では、自民党の
高村議員が四苦八苦しながら答えていたように思いましたが、
自民党の中でもおかしいと思う人がいるのではないでしょうか?
わたしは、子どもや孫たちが、殺されていいとは思わないし、
人を殺すような者になってもらっても嫌です!
「戦争をする国」になんか、なってはいけません。
残りの命をかけてでも、守り抜きたいものです。
「日本が戦争をしませんように」
と祈る日が来ようとは思いませんでした。
自民党の改憲草案からは、現憲法前文にある
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」
という言葉が削除されているそうです。
憲法97条の
「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」
という言葉も。
改憲したい人々は、いろいろとご立派な言葉を並べていますが、本音はここに現れています。
国民の人権を抑圧して、戦争をしたい。
そんなことを堂々と政治家が言えるようになった現在が怖いです。
「戦争なんて、昔話でしょ」くらいに思ってる人が多いと思います。
しかし、安倍さんはそれもなかったことにしたいんですよね!
自民党憲法改正草案前文は、明治憲法のように、
「日本国は、長い歴史と国有の文化をもち、国民統合の象徴である
天皇を頂く国家であって、・・・」
と始まっています。
13条は、「幸福追求権」を謳ったものですが、これも、
「すべて国民は、個人として尊重される。・・・・・・・・」の文が、
「すべて国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の
国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」
となっています。
公益とは、国のためになることです。
その時の国の方針に反していれば、憲法違反と言うことになるのでしょう。
時の権力の思いのままに、国を動かすなんて横暴そのものです。
これからも、わたしたち市民の声を届けるように、頑張っていきましょう。