こどもの日は、子どもたちの健やかな成長を願って制定されたもの。
いま、子どもたちは生きにくい毎日を過ごしているのではないか・・・
と思うのは、考えすぎでしょうか?
世界には、戦争をしているところもあるし、飢えに苦しんでいる子達もいるし、
日本は一見すれば平和そうだけど、恐ろしい時代に向かっているようだし・・・
子どもたちの健やかな成長を保障してやれるのでしょうか?
こどもの日は、子どもたちの健やかな成長を願って制定されたもの。
いま、子どもたちは生きにくい毎日を過ごしているのではないか・・・
と思うのは、考えすぎでしょうか?
世界には、戦争をしているところもあるし、飢えに苦しんでいる子達もいるし、
日本は一見すれば平和そうだけど、恐ろしい時代に向かっているようだし・・・
子どもたちの健やかな成長を保障してやれるのでしょうか?
ひまわりさんが、感じられていることほんとに全く同感です。
子どもの限らず、人の幸せというのは何かな?とこの頃いつも考えます。私はおおざっぱないい方をすれば、「自分で考え、自分で行動できること」だと思ってます。つまり自由である事だと思います。
その意味では、戦争に翻弄されたり、社会の変な価値観で一定の方向にしか生きられかった人は、たとえみんなから賞賛を浴び、お金持ちになっても、あまり幸せであるとは言えないように思うのです 。
かつての日本の子どもたちは、ペンを持つ手に銃をを持たされ戦争にかり出され、親から離れ学童疎開、空襲で人間としての生活を奪われました。たとえ英霊と賞賛されても幸せとはほど遠いです。
今の子どもたちは、学歴社会の軋轢の中で、学生生活を終え、大学を出ても必ずしも自分の思う職業には就けず希望の持てない生活をしているのでは?たとえ他人から賞賛を浴びる堅い企業に勤めたとしても、それが自分の本当の気持ちからでたものでなければ、ほんとに幸せであるのか大いに疑問です。
私には、大したことはできませんでしたが、少なくとも、自分の子どもも含めであった子どもたちに、自分勝手な価値観を押しつけることだけはしたくない。そのためには、子どもの話をよく聞くことだと思ってやってきたつもりです。
都合で、4日になってしまいましたが、ケチケチ生活してますが、「子やじ(=子ども+おやじ)手当」と言う事で我が家は焼き肉をイヤほど食べました。3人ともたいへん幸せでした。
戦争にかり出され、命を捧げなければならなかった若い人たち、
爆撃で、原爆で亡くなった多くの命、飢えで亡くなった命、
どれも、人間らしい知恵を働かせれば、救えたはずです。
今は、受験競争という場で、優しくあるべき教育の場で、いじめや
暴力で亡くなる命もある、悲しいことです。
競走しなくても、学力は身につきますよね。
おかしな方向に向いていかないように、修正意見をしっかりと
聞いて欲しいものです。