2010年8月12日に、河野裕子さんは亡くなられました。
なので、2020年夏に、「没後10年」の会を持つべく準備がされて
いたのですが、コロナ禍のせいで今年まで延びたわけです。
このシンポジウムも、無事開けるかどうか危ぶまれていましたが、
なんとか、きのう、きょうと予定のことは全部済みました。
9日には、前にも書いたように「歌碑」とお墓のお披露目もあり、
この3日間、全国から「塔」の会員が京都に来られていました。
ちょうど13回忌の年にあたり、永田さんも
良かったと思うとおっしゃっていました。
会員でない人もきのうは参加してもらえて、講演や鼎談を聞くことが
できました。 わたしの友人も4名参加してくれました。
きのうは400名あまり、きょうは200名ほどが、
京都産業会館のきれいになったホールに集まりました。
みんな、心の中は喜びでいっぱいだったと思います。
大人なので、はしゃいだ様子はなかったですが(笑)
上の写真は、きのうの会場。
この写真が、きょうの会場。
同じ場所ですが、きのうは平場に椅子をたくさん並べてありました。
きょうは、階段状にセットがされて、雰囲気が違いました。
きのうは、講演や鼎談が中心でした。
1,講演:永田和宏「河野裕子と私」
2,講演:花山多佳子「河野裕子の『うたの読み』」
3,鼎談:澤村斉美・小林信也・永田紅「河野裕子に再び出会う」
きょうは、全員歌会です。
あらかじめ出しておいた全員の歌を、選者が順番に交代しながら
評してくださいました。
だいたい50首ずつ、4部に分かれていました。
その背にこころを見せて生きゐるはエサキモンキツノカメムシとや
が、わたしの歌です。
壇上の評者とはまた別の選者が、文字で書いてくださった評の
載っている紙を受付でもらっていました。
この歌には、三井修さんが書いてくださいました。
”漢字で書けば「江崎紋黄角亀虫」だが、これは片仮名表記がいいだろう。
変わった虫の名前を持ってきて読者におやっと思わせている。”
はい、それだけの歌なんです!
上の写真はネットからお借りしましたが、6月13日に初めて見て感動したのが、
下の写真です。
このハート♥が、心をむき出しにしているように見えてしまいました。
きのうもきょうも、帰ってくると空はまだ夏でした。
きょうの潮流
1939年9月1日ドイツ軍が突然ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦がはじまりました。しかし、その1年前、ド
イツ総統のヒトラーは嘆いていました。「国民がこんな状態なら、まだ戦争はできない」
▼38年の9月に、ヒトラーはチェコスロバキアにズデーデン地方の割譲を要求し、軍事行動に打って出ようとしていま
した。ところが国民は戦争を望まず、総統官邸前の軍事パレードでヒトラーが姿を見せても歓声ひとつあがりませんでし
た。
▼そのころ、ある学校教師がヒトラーのやり方に疑問を抱き、日記にこう記していました。「戦争になりはしないかとひ
どく心配している」。しかし同じ教師が、1年後のポーランド侵攻ではヒトラーを支持し、「おのおのがドイツ人として
の自覚を抱き、ドイツ民族のために立ち上がるべき」だと書いたのです。
▼国民の意識を1年たらずで変えたのは、徹底したプロパガンダでした。ポーランドのドイツ人虐待、ドイツに対する侵
略準備など根拠のない記事が新聞の1面を何度も飾りました。イギリスによる「ドイツ封じ込め」という宣伝も功を奏し
ました。
▼イギリスの歴史家が、近著『一九三九年 誰も望まなかった戦争』(白水社)で明らかにした経緯です。今のロシア
は、反政府言論に対する徹底した弾圧と合わせ、当時のドイツ国内とうり二つ。ウクライナ国内のロシア人に対する虐待
なるニュースも盛んに流されています。
▼「戦争とは嘘(うそ)の体系である」―。変わることのない歴史の法則です。
(しんぶん赤旗より)
ウクライナの関係を詠んだ歌も何首かありました。
きょうは、9・11から21年目の日でもあるし、
沖縄知事選の投票日でもあるし、東日本大震災から
11年と6カ月の日でもあります。
いろいろなことを考えます。
まずは、玉城デニーさん、勝ちますように!!!
大相撲9月場所が始まって、少し楽しみが増える
2週間の始まりでもあります!