広島へ行く目的はふたつありました。
◎ 午後一時半からの梅原司平さんのコンサートを聴くこと
◎ 原爆ドームと平和公園を訪れること
幸いなことに、コンサートの会場が平和公園の近くだったので
時間を有効に使えました。
広島駅へ着いたのは、10時30分を過ぎた頃。
そこから路面電車で、原爆ドーム前まで行きました。
降りて道を渡ると、目の前に現れるのが原爆ドーム。
1915年に広島県物産陳列館として建てられました。
1944年からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社
など、官公庁の事務所として使用されたということです。
1945年8月6日、8時15分、この上空で世界最初の原子爆弾が
炸裂し、中にいた人たちは全員即死でした。
この近くで、「核兵器廃絶」の署名を集めている女性に会いました。
わたしも京都で集めていることを話して、がんばりましょうと言い合いました。
近くの「折り鶴の塔」です。
元安川です。
当時はここに人びとが水を求めて殺到し、真っ赤に染まったとか。
想像するだけでも怖ろしい光景です。
原爆ドームから、資料館の方へ行く時に写しました。
水色の横幕の貼ってあるところで、「水辺のコンサート」があるようでした。
「元安橋」を渡って資料館の方へ・・・。
中に入るまで、100人くらいの列に並びました。
外国からの人も多くて、たくさんの人に「被爆の実相」を知ってもらうことの
大事さを思いました。
展示の方法が、前回(31年前)からずいぶん変わっていて、
映像技術の進歩でとてもリアルに感じられ、
胸に迫ってくるものが大きすぎて、苦しくなりました。
平和記念資料館の2階から写しました。
毎年、平和祈念式典が行われるところです。
「原爆の子の像」 佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった
子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかける像です。
「これはぼくらの叫びです これはわたしたちの祈りです
世界に平和をきずくための」
「本川」の流れです。
「相生橋」を渡れば、コンサート会場はもうすぐ。
実は、9日にも京都でコンサートがあったのです。
九州行きを諦めてから、問い合わせたのですが、「もう空席がない状態です」と
言われ(司平さんのファンとしては嬉しい限り)
「広島はどうですか?」と尋ねると
「そこは大丈夫ですよ」と連絡先を教えてもらい、
当日精算という形で、チケットを確保しておいてもらいました。
300人くらい入れるホールでした。
ほぼ満席でした。 ラッキーなことに、
ぐっと前の方へ行ってみると、前から三列目の席が空いていました。
司平さんは、2時間の予定を30分も超過して、全力で歌い喋ってくれました。
「もう喋りたいことがいっぱいあって・・・講演だけでもしてくれと言われる・・・」
と、平和について、政治について、おかしく思うことについて、ほんとに
喋り足りない、というのがひしひしと伝わってきました!
2時間くらいの講演会、実現するといいなと思います!
胸がいっぱいでした。
また何度でも聴きたい、会いにいきたい、そんな人です!
「折り鶴」は、学校コンサートで日本中に広まり、
いまでは世界の人も知っています。
平和を祈る歌です。
きょうの潮流
漫画家の中沢啓治さんが広島で被爆した自身の体験を込めた『はだしのゲン』。ゲンの目の前で父と姉、弟が亡く
なっていく場面は強烈でした。
▼24の言語に翻訳されています。ほとんどがボランティアの手によるといいます。中国語に訳したのが、名古屋市
在住の坂東弘美さんです。2008年から7年余りをかけて。その逸話がこの夏、NHKEテレ「こころの時代」で
伝えられました。
▼きっかけは、日中戦争に出征した父親の話です。沈黙していた父が73歳のとき、小学生の孫と坂東さん宛てに手
紙を書いてくれました。3カ月間で便箋343枚に及びました。中国で何をしてきたか。「隠れていた婦女子を見つ
け銃剣で刺殺…」
▼優しい父がどういう顔をして殺したのだろう。坂東さんは中国に渡る決意をします。北京の中国国際放送で働いて
いるときに、タイ語の『はだしのゲン』に出合います。民族差別や中国への加害の歴史も描いているのを知って、中
国語に翻訳しようと決めます。
▼引き込まれた登場人物は、ゲンの父親。ゲンに「しっかり生きろ」「麦のように」と言い続け、戦争は間違ってい
ると主張して特高警察に連行されてしまいます。やがて坂東さんは気づきます。自分の父が黙ったままではなく、戦
争の真相を伝えようとしたことに。
▼番組の最後に坂東さんは「仕方がなかったですまされることか」と力を込めました。足元に目を向ければ岸田政権
が進める大軍拡。いま改めて、戦争の足音を何としても拒否しなくては、の思いが。
(しんぶん赤旗より)
広島の原爆ドームと平和公園を訪れたり、ニュースなどで映像を見るたびに、
核兵器は絶対に地球上から無くさなくてはいけないと強く思います。
私は広島出身の岸田総理が誕生して、唯一の被爆国日本の核兵器廃絶への動き
が加速すると期待していました。
5月のG7各国首脳がそろって原爆資料館を訪れ、被爆者に対面したことは一
歩前進だと思います。しかし、G7首脳宣言では核保有国の米国などに忖度し
て、核兵器廃絶には程遠い内容になりました。
でも、決してこれで諦めてはいけないと思います。唯一の被爆国日本だからこ
そ、核兵器の悲惨さを伝えることができるし、やらなければいけないと思いま
す。何も行動できていない私からみると、ひまわりさんたちの活動には頭が下
がります。
岸田さんには、わたしも少し期待しました。
でも、安倍さんの路線を忠実に歩いているんだとわかってしまい、
広島出身とは思えず、期待外れでした。
「核抑止」ということは「核」があることを容認することなので、
「核廃絶」とはほど遠い内容です。
唯一の被爆国である日本が「核廃絶」の先頭に立たないなんて
おかしなことだと思います。
ninbuさんのおっしゃる通り、核保有国への「忖度」ですよね!
少しでも住みやすい世の中を子や孫の時代に残せたらと思い、
「継続は力なり」と信じて活動しています。