少しでも元気が出るように、空の写真をアップしてみます。
メタセコイアの真ん中から
柳の新芽の間から
河川敷の階段から
二機が連なって飛んで行きました。
足元にも、目の高さにもいろんな花が咲いています。
これは、スノーフレークですよね?!
山茱萸
きょうの潮流
大江健三郎さんは、言葉のひとでした。自宅の居間や書斎で寸暇を惜しんで本を読み、原稿を書く。残された巨
大な言葉の森。その中で、忘れられない言葉が二つあります。
▼一つは2004年7月の「九条の会」発足記念講演会でのものです。「私は、人間が身近に死者を受け止め、自
分の死についても考えざるをえないときに、倫理的なものと正面から向かいあうと考えています」。だから戦争直
後こそ、日本人がかつてなく数多くの死者を抱え、もっとも倫理的になった時だったと。
▼そして憲法と教育基本法は「じつに数多くの死者の身近な記憶に押し出されるようにしてつくった」ものであ
り、「文体に自然な倫理観がにじみ出ていることにも注目したい」と語りました。
▼もう一つは05年7月、「九条の会」有明講演会での結びです。大江さんは若いひとたちにこの詩を贈りたい
と、アメリカの詩人の詩の一節を、少しアレンジして紹介しました。「求めるなら変化はくる、しかし、決して君
の知らなかった仕方で」
▼続けて参加者にこう呼びかけました。「私たち古い世代の知らなかった形でこの国に変化がありうる、と。そし
て、その変化を求めていただきたいと私は願っております」
▼戦後民主主義者であることを誇りとした大江さん。その小説は、現代の窮境を生きる人間の救済がテーマでし
た。現代日本の最大のテーマとして憲法とヒロシマと沖縄について語り続けました。その言葉はこれからも私たち
とともに生きていくでしょう。
(しんぶん赤旗より)
偉大な知性がまたひとつ消えてしまいました。
偉大な文学者であり、「九条の会」や反原発の
呼びかけ人にもなっておられました。
核兵器や平和の問題にも向き合い、広島で取材
した被爆者や医師の姿を「ヒロシマ・ノート」
に著しました。
今の日本にとって大きな損失であると思います。
私には、思った以上に応えているみたいです。