きのうのあさがお ・・・ 今年2つ目です。
梅雨の雨に濡れながら、咲く朝顔です。
はな181号は、角宮悦子さんの追悼号です。
写真は、やわらかい笑顔です。
けれど、歌はそう、磨き抜かれたナイフのようで、
ときに自分を切りつけているかのようでした。
世の中や歌壇の驕りやへつらいに対して、
批判の眼を向けていらっしゃいました。
孤高の人であったと言ってもいいと思います。
多くの人が、挽歌を載せています。
わたしは、182号に載るように送りました。
「うたへの想い」に角宮さんの歌を取り上げて
書いています。 182号にも送りました。
残念ですが、船長を失った「はな」は、
10月の183号をもって、終刊と決まりました。
← 「ひまわりのへや」 から 「んだなあ」 と 「うたへの想い」を
お読みいただけたら 幸いです。
HPを終了しましたので、ここに載せます。(2017,4,8)
んだなあ
二時間の講座を終へて歩みゆく十二年ぶりの友待つ場所へ
かけよりて名前呼びつつ抱き合ふ春の光のあふれる道に
歳月を超えありありと立ちかへる高岡万葉歴史館の庭
秋田弁で次々話すタカ子さん、声は内耳をくすぐり届く
清水の「音羽の滝」にたどりつくことができずに人混み抜ける
時としてわからなくなる秋田弁 かみくだかれて「ああ」とうなづく
知恩院も清水寺も修理中 二〇二〇年夏をめざすか
「ん」で始まる言葉を耳でたしかめる「んだなあ」といふやさしき言葉
東山花灯路へと案内す春の一日の暮れゆく中を
寒暖差アレルギーにやられたのか、きのうは朝からくしゃみが連発で、頭も重くて、夕方からぐだぐだしていました。
気が付くのが、今になってごめんなさい。
きょうは午前中は横になってて、2時ごろからやっと動き出しました。
そうですね、今でも時々思い出します。
終刊になっても、忘れることは無いと思うし、いま最終号に載せてもらう歌を考えていますが、やはり「はな」とわたしの歴史を表したいなと思っています。
ajisaiさんが言ってくださるとおり、角宮さんの影響をたくさん受けてきたし、支えてもらったし、今のわたしがあるのは、角宮さんのおかげです。
そう思っている人は、はなの中にたくさんいる訳で、みんな感謝しています。
ここからはみんなが巣立っていくわけで、人それぞれになるんでしょうが、ひとりひとりが生き生きとできる場を見つけていきたいと思います。
応援してくれてありがとう!
「ひまわりのへや」から、「んだなあ」と、「うたへの想い」を読んでくださいね!
今のひまわりさんの存在は 角宮さんを外しては考えられないと思います。母として、教師としてひまわりさんが培われた事はもちろんですが、そのひまわりさんに別の面を、いや今となっては大きなウエイトを占める部分ーほぼ生きがいに近いーを作られた方と思います。一人の人間が生きていく上で、そんな人に出会えることってほんとに幸福な事ですね。
でもどんな人間でも永遠に一緒に居れると言うことはありません。いつかどんな形であれお別れの時は来ると思うのです。でもその人の存在がお別れと共に消えてなくなるわけではないでしょう。それが魂とか精神とか心とか思い出とか・・・・として残るし引き継がれて行くと思います。「はな」は終刊になっても「はな」の心は
それに関わった人の心に生き続け、さらに伸びていくことでしょう。角宮さんの自分というものをしっかり持っていらっしゃる精神は、ひまわりさんのこれからの「歌」の世界でより大きな「ひまわり」の「はな」を咲かせることでしょう。楽しみです。
さあ、これからですね。ひまわりさんらしいひまわりを!