上野の東京都美術館で「没後70年 吉田博展」という展覧会が開かれているそうです。
福岡県久留米市に生まれた吉田博(1876-1950)は、若き日から洋画に取り組み、幾度もの海外体験を通じて東西の芸術に触れながら、独自の表現と技法を確立しました。画家として才能を発揮した吉田は、画業後期にはじめて木版画に挑戦し、新たな境地を切り開きます。深山幽谷に分け入り自ら体得した自然観と、欧米の専門家をも驚嘆させた高い技術をもって、水の流れや光の移ろいを繊細に描き出しました。
とのことですが、
私が興味を覚えたのは、帆船の木版画です。大正15~昭和16年の作品なのですが、この頃の帆装形式にとても興味を覚えたのです。
とのことですが、
私が興味を覚えたのは、帆船の木版画です。大正15~昭和16年の作品なのですが、この頃の帆装形式にとても興味を覚えたのです。
一見して分かることは、江戸時代の横帆(いわゆる帆掛け船)ではないということ。
マストは2本であること。
帆は、中国のジャンク船に用いられた伸子帆(Junk rig、Chinese lugsail)と、
西洋式のスクーナー・リグの二種類あること。
ただし、船体は和船そのものであること。
鎖国体制の江戸時代においては、船の建造に対する規制(マストは1本、竜骨禁止)により、弁才船(いわゆる大型の帆掛け船)が発達しましたが、明治期に入ると一気に洋式化(咸臨丸みたいな帆船ですね。)が進んだということでしたが、庶民の船は、昭和初期まではこんな格好をしていたんですね。和洋折衷(俗に合いの子船)の帆船は、エンジンが普及した戦後はほとんど見ることができませんが、明治~大正~昭和初期の時代には、活躍していたのでしょう。
伸子帆(Junk rig、Chinese lugsail)というのは意外に高性能(上り性能は劣るものの、風下航や、操作の容易さでメリットがある)で、今の日本では全く見られませんが、欧米では真面目にこの帆装形式を取り入れたヨットが今でもあるのです。
ただし、船体は和船そのものであること。
鎖国体制の江戸時代においては、船の建造に対する規制(マストは1本、竜骨禁止)により、弁才船(いわゆる大型の帆掛け船)が発達しましたが、明治期に入ると一気に洋式化(咸臨丸みたいな帆船ですね。)が進んだということでしたが、庶民の船は、昭和初期まではこんな格好をしていたんですね。和洋折衷(俗に合いの子船)の帆船は、エンジンが普及した戦後はほとんど見ることができませんが、明治~大正~昭和初期の時代には、活躍していたのでしょう。
伸子帆(Junk rig、Chinese lugsail)というのは意外に高性能(上り性能は劣るものの、風下航や、操作の容易さでメリットがある)で、今の日本では全く見られませんが、欧米では真面目にこの帆装形式を取り入れたヨットが今でもあるのです。
今の日本で見ることができるのは、沖縄の帆走サバニのみですね。
吉田画伯の没後70年という節目に開催される展示会は、3月28日まで、
上野の東京都美術館で開催されているそうです。ご興味ある方はお早めに。
→https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_yoshidahiroshi.html
→https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_yoshidahiroshi.html
(今回の写真はお借り画像です。)