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マハロ船長の航海日誌2

再掲 『アンクルジョージが教えてくれたこと』

1964年に現在まで続くフラの祭典メリー・モナーク・フェスティバルを創設し、ハワイでは「フラの神様」とされ、「アンクル・ジョージ」の呼び名で親しまれている
ジョージ・ナオペ(George Naʻope、1928年2月25日 - 2009年10月26日)は、ハワイの歌手、ウクレレ奏者、クム・フラ(フラの師匠)です。
(Wikipediaより借用)

このアンクル・ジョージから直接聞いた言葉をまとめ、一冊の本としたのが松本大学 総合経営学部観光ホスピタリティ学科教授の山根宏文さん

山根氏に許可をいただき、私のブログ「マハロ船長の航海日誌」に抜粋して転載させていただいたのが2012年のことでした。
ブログはFC2ブログからgooブログに変わり、転載からすでに10年経過してしまいましたので、まとめて再掲載しようと思います。

私はフラを踊るわけではない者ですが、アンクル・ジョージの言葉があったから、ハワイの文化が大好きになり、下手くそでもウクレレでハワイアン・ソングを歌っているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「アロハとは」
アロハとは愛
まず自分自身がアロハの心を持つこと
自分のまわりのすべての人とアロハを分かち合うこと
自分自身を尊敬し
まわりのすべての人を尊敬すること
これがアロハ
そしてアロハは与えるものである
これがハワイでありフラである

「アロハのあるところに生まれて幸せだ」
ハワイは、金もダイヤモンドも石油も
何も豊かな資源が無かったから幸運だった。
そのために、争いごとがなかった。
ハワイアンは皆、平等だった。
助け合って生きろと
神が与えてくれたのはアロハだった。
アロハのあるところに生まれて幸せだ。

「愛の言葉をそっとささやくように」
ハワイでは挨拶時にアロハと言う。
アロハとは愛。
なぜ大きな声で「アローハ!!」と
言わなければならないのか。
愛の言葉をそっとささやくように
アロハと言うべきだ。

「フラをする人達に守られている」
学校でもアロハを教えなければ
ならないのだけれども
あまり教えていない。
しかし、アロハはフラをする人達に
守られている。
フラをする人たちは
アロハの心を持ち続けてほしい。

「その人はハワイアンになる」
一つの花を見ても感じる人の心は様々だ。
その心を表現すれば、その人だけのフラになる。
その人が誰であろうと
どこの国籍であろうと関係ない。
フラを踊るとき、その人はハワイアンになる。

「内面の感情を表現すること」
フラは感情を表現し、分けあい
人を心地よくするものだ、
フラを踊るということは
人間の最も内面の感情を
表現することである。

これが殻の中の実のすべてである。
殻だけ見て
このハーラウが間違っているとか
あのハーラウが正しいとか
言うことは出来ない。

「アロハが毎日帰ってくる」
フラをやって一番良かったことは
アロハを分かち合ってきたこと。
だから、今はそれが毎日返ってくる。
それが楽しい。
先生からフラを習っていなかったら
今の自分はない。

「いつも愛する心を持ちなさい」
アロハの気持ちを
持ち続けるために
いつも
愛する心を
持ちなさい。

「心と感性を磨くことが大切」
フラは基本を学び、後は感性で踊るもの。
踊りはその人の個性。
だから、フラが上手くなりたかったら
心と感性を磨くことが大切である。
感性は教えられない。
自分で学ばなければならない。
イライラせず、腹を立てることなく
他のことは考えず、すべて忘れて
集中しなければならない。

「海辺は皆のもの」
ハワイの法律では
土地は地主のものだけれど
太平洋は皆のもの
個人がビーチを所有することはありえない
海辺は皆のものである。

「文化を売り物にしてはいけない」
ハワイ文化(フラ)を売り物にしてはいけない。
売り物にすれば文化は衰退する。
文化は伝えなければいけない。
指導する人が文化を売り物にするのは悪い。
指導する人がお金儲けだけでやることはよくない。
お金が先ではなく、文化が先だ。
アロハや文化を教えて
この先生に習って良かったと思われたなら
お金をもらったら良い。

「神からもらった自然だから」
ハワイアンは自然を愛している。
神からもらった自然だから
壊してはいけない。
自然がなかったら
人はいない。
自然を尊敬し
大切にしなければならない。

「笑顔の表現」
赤ちゃんに接するとき
恋人に接するとき
親に接するとき
自然を眺めているとき
笑顔の表現はいくつもある。

「怒っていても怒り方がある」
怒っていても怒り方がある。
だめっ!といっても笑って言うと
受けた方も腹が立たず
素直な気持ちで受け止めてくれる。

「文化の大切さを伝えなければならない」
私たちは、子供たちに
文化を学び守り続けることの大切さを
伝えなければならない。
そうすれば
彼らの子供たちや、その子供たちに
私たちの文化が永遠に生き続けるであろう。

「自分を尊重することである」
フラを踊る上で大切なことは
自分を尊重することである。
自分を尊ばないものは
他人を尊重することが出来ない。
他人を批判せずに
誰かが間違いを犯しても批判せずに
沈黙して自分の間違いを正す。

『フラは心の言葉』
「フラは心の言葉であり
それゆえハワイの人々の心臓の鼓動である」
というカラカウア王の心情から
メリー・モナーク・フェスティバルは生まれた。

我々の目的は
できる限り伝統を永続させることだった。

『理解してくれる人が増えたことが良かった』
フェスティバルを開催して良かった事は
フラを理解してくれる人が増えたことだ。
もし、このフェスティバルがなければ
フラは、島々でクムフラが細々と
教え続けていっただろう。
メリー・モナーク・フェスティバルが
フラの中で、最も重要な大会になるとは
思わなかった。

『文化が生き返って息づいていった』
当時、すべてのショーは儲けるものだった。
だが、メリー・モナーク・フェスティバルは
余分なお金は取らなかった。
それでも、心は豊かだった。
歴史から文化が埋もれていたが
生き返って、息づいてきたからである。
それまではフラを復活させるような
フェスティバルはなかった。
当時、カヒコを踊れるハーラウは
参加26のうち3ハーラウだけであった。
私の仕事は、伝統的なハワイ文化としてのフラを
復興させることだった。
そして最も重要なのは
ハワイの人々がお互いに共有し合えることだった。

「歌の意味を理解してフラを踊って欲しい」
フラを学ぶ人がフラ教室に来て
基本を身につけず、規則も知らないまま
フラを踊って帰っていくことだけしか、しなかったら
伝統を変え始めることになってしまう。
ハワイ語を勉強して、心から歌の意味を理解して、
フラを踊るようになれば
ハワイのクム(フラの先生)たちはもっと喜ぶと思う。

「心を想像してくれる能力そのものである」
フラはハワイである。
フラは私たちの国の歴史である。
フラはハワイの心であり
それが私自身の人生の基盤になっている。
フラは私達に生き方や
自分自身がどうあるべきか
教えてくれるものであり
うそやいつわりのない本当の心を
想像してくれる能力そのものである。

「フラとアロハは同じである」
フラがアロハと同じであると言うのは
どちらも、自分が感じることを
自分自身の感性で気持ちを伝えること
あるいは、表現することだからである。

「フラは一つの物語」
フラはアロハ。
フラは心の言葉。
フラはハワイの歴史。
フラはハワイそのもの。

フラが正しく踊られていたら
それ自身が一つの物語である。
だから、フラは素晴らしい。
教える側も、学ぶ側も
フラはただの踊りではないことを
理解して欲しい。

「場所に行って始めてその意味がわかる」
歌われている場所に行って
始めてその歌詞の意味がわかることが多い。
例えば 踊りのなかで月の出を表現するものがある。
実際、ハワイの月を見ていればその動きがわかる。

「心がより重要になってくる」
フラは、一人ひとりの感情
気持ちを創造する能力が
その踊りに現われる。
歌にこめられた感情を理解できなければ
本物のフラとは言えない。
フラは自分の感情を表現して
感情を分け合い
人を心地よくさせるものである。
だから、技も大切だが
心がより重要になってくる。

「他人の悪口を言わない」
フラを学ぶ人が多いけれど
守ってもらいたいのは
「他人の悪口は言わないで
お互いに分かち合いなさい。」
と言うことである。
ハワイには
「言を慎め 手が物語る」
ということわざがある。

「伝える気持ちが心にないと意味がない」
フラは歌に込められた意味を真剣に理解して
心に留めて表現することが大切である。
花が見えるように
恋人に恋しさを伝えるように。
自分の心は
この花のようにきれいなのだと。
ただ働くだけでなく
自分自身の気持ちを表し
身体全体でみんなに伝える気持ちが
心にないと意味がない。

「正確に聞いて自分で学ぶ」
私のフラの先生は
習い終えたらメモするように言われた。
フラを学んでいる人にとって大切なことは
習うときはしっかり聞かないと覚えられない。
先生から教えられたことを正確に聞いて
自分で学ぶことである。

「フラに接したときは嫌いだった」
最初にフラに接した時は嫌いだった。
1週間に6日、1日4時間
あるいはそれ以上学ばされた。
子供だから海水浴や遊びをしたかった。
ウクレレを弾くのは楽しかったけど、
フラは家族がやっているから仕方がなかった。
でも今は、3歳の時から多くの先生に
学んだことに感謝している。
どの先生も独自の教え方だった。
それぞれの先生が、他の先生にないものを持っており
それを教わったことが今思えば
私にとって素晴らしいことであった。

「愛をあげるが、教えるときは厳しく」
フラを教える先生に大切なことは
生徒を尊敬し、アロハの気持ちを持って教えないと
生徒はついてこないと言うことである。
愛を持って厳しく教えなさい。
愛をあげるが、教えるときは厳しく
そして、生徒を愛している姿を見せなさい。

「感じたことを創造して教えることが楽しい」
自分が教える立場になったことが嬉しい
先生の真似をするのではなく
自分の心で感じたことを創造して
教えることが楽しい。
他の先生に習った事とは違うかもしれないが
これが私のフラであると
教えられることが嬉しい。

「先生によることが大きい」
フラが上手くなるのは先生によることが大きい。
先生がしっかり理解して教えなくてはならない。
昔から伝わっていることを
謝って教えたり、都合のよいように
変えてしまってはいけない。

「フラが先生を創る」
生徒が先生をつくる。
生徒が良かったら、先生は良い先生。
フラがあったから先生が出来た。
フラがなかったら先生はいない。
先生がフラを創るのではなく
フラが先生を創る。

「心からフラを伝えていって欲しい」
フラを愛する人が増えて嬉しい。
しかし、何故だかわからない。
フラを見た人が興味を持って習いに来るのであるが
フラは愛であり、分かち合うことである。
先生が心をこめて教えるから
その気持ちを生徒が受け止めて
フラをする人が増えていったのであろう。
しかし、お金儲けだけを考えたり
生徒を増やすことだけを考えたり
自分のところの踊りが優れていると言って
謙虚な気持ちを持たなかったら
決してフラを愛する人は増えていかない。
心からフラを教えて、伝えていって欲しい。

「隠された意味がたくさんある」
歌詞によっては表向きではなく
隠された意味がたくさんある。
それを先生がどう理解するかである。
先生がしっかり意味を理解するなら
先生の思いで創ってもかまわない。

「世界中の人々と分かち合っている」
ハワイ文化とは
アロハの精神と同じで
お互いに愛し合い
お互いに尊敬し合い
お互いに分かち合うもの。
私の文化は、人々を尊重しなさいというものである。
私の文化は私のものでもあり
皆と分かち合うことも出来る。
私は、ハワイ文化を
世界中の人々と分かち合っている。
これがハワイ文化の素晴らしいところである。

「私達で復活させなければならなかった」
メリー・モナーク・フェスティバルは
ハワイアンが主宰するハーラウしか参加できない。
日本人は練習熱心だから
参加したら入賞するかも知れない。
しかし、フラはハワイの伝統文化である。
ハワイの人間しかハワイの舞台を造れない。
私たちの文化は
私達で復活させなければならなかった。

「カヒコを見てもらいたかった」
女性は神からもらった身体が美しいから
そのまま(上半身裸)にして表現したが
白人たちが変な目で見るようになって
フラが変わっていった
メリー・モナーク・フェスティバルで
違いを見てもらいたかった。
本当のカヒコを見てもらいたかった。

「自然を見ることがフラの上達には役立つ」
ハワイに来たら素晴らしい自然を楽しんでもらいたい。
椰子の木が風で揺れているけど揺れ方を見るのだって
踊りには参考になる。
海辺に出たら、波の音を聞くことが出来る。
波の色々なリズムは、フラの様々なステップを学ぶには
最適である。
こんな波はこんなステップ
こんな波はこんなステップ。
ハワイの素晴らしい自然を見ることが
フラの上達には役立つ。

「文化も大切にしてほしい」
ハワイの文化を
世界中で
学んでくれるのは嬉しいが
自国の文化も
大切にしてほしい

ハワイは
失ったものが多かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:『フラの神様 アンクルジョージが教えてくれたこと』
著者:山根宏文(松本大学 山根研究室)2009
この本は著者がフラの神様ジョージ・ナオペ氏から教わったことをまとめられたも
のです。著者の了解を得て一節を掲載させていただきました。




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コメント一覧

マハロパパ
行燈入道さん
私こそ反省の日々です(笑)
ハワイの歌には、自然の素晴らしさをたたえる歌が多いのですが、それは自然を大切にしているからに他ならないですよね。
歌は世につれ世は歌につれ。なんて言葉がありましたが、日本人がこの先、もっと自然を大切にするようになれば、おのずから自然を歌う歌が出てくるのだと思います。
・・・・・・それにつけても、早くハワイに行きたいですね!
行燈入道
素晴らしい金言の数々、読むたびに自分はどうか?
そう問い掛け恥ずかしく感じます。
海に浮かんだ資源の乏しい国ならば、日本も同じ
なのに日本人はどんどん自然を壊して来ました。
それは文化面でも同様な気がしました。
己の事は好きですが、それは尊敬とは違う気も
致します。私はまだまだハワイアンにじはなれそう
にありません。
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