
利根川水系の水運の研究を前に同じ水域を旅する小説とあって読んでみました。
コロナ1年目の3月、小説家が、中学入学直前のサッカーに熱中する姪っ子と我孫子(千葉県)からアントラーズのお膝元、鹿島(茨城県)までを利根川に沿って歩く物語です。叔父は風景描写の勉強をしながら、姪のドリブル数を記録していきます。舞台は手賀沼、利根川の土手道や国道等。僅か数日の旅ですが、川や水路、町や寺社、野鳥など自然風景の描写が濃密です。
利根川は大きな川であるだけに茫洋としているので、文学の舞台になりえるのかと疑っていました。写真を撮るにも茫々として扱いにくい風景だと私は思っています。植生にしても、荒れて武骨で繊細感からは程遠い。そんな風景を小説に昇華しているのは立派な筆力だと感じました。
そんな、小説には向いていない風景の中を行く「練習の旅」は二人(後に三人)の関係を際立たせます。サッカーが好きでたまらないが将来を見定めるには若すぎる姪。旅の目的を果たしたときの無邪気な反応はまだまだ子供です。旅での他愛ない淡白な交流の中にも普通の風景、いつもある生活の大切さが伝わってきました。
私も、我孫子、木下、佐原周辺の調査を企てているので道路地図やグーグルマップを手元に興味深く読みました。佐原を過ぎても水郷大橋、息栖と水運に関係の深い地名などが出てきます。いっそのこと、鹿島神宮まで足を伸ばすのもいいかなと思えてきました。
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この本とは関係がありませんが、水運と旅と言えば、「船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす」という芭蕉の文を思い起こします。Repetitio est mater studiorum.と銘記しながら、ここ数日練習をサボり気味な私は「日々練習にして練習を栖と」しなければならないのだな、と唐突に思うのでした。∎
乗代雄介著『旅する練習』講談社、2021年1月刊.(第164回芥川賞候補作品)