「高っけぇ、マンションやねぇ」オッサンがアゴを突き出し見上げています。「これはタワーやね」
確かにこのマンションビルは恐ろしく高かった。タワーという表現がしっくりとくるぐらいです。それにしたってこれは高すぎます。あまりにも高いものだから途中には白い霞のような雲までかかっています。空は青空です。おまけにこのビルは信じがたいほどの、狭小の土地に建っていましたから、まるで『ジャックと豆の木』の木のようでした。何しろその幅の狭さときたら、わたしたち(わたしを含めて5人います。わたし茶々ミに、おねぇちゃん。そしておねぇちゃんの弟君に、わたしの知らない謎の女の人。ついでにオッサン)が並ぶと、両サイドのふたりは隣りの建物の壁と向かい合わせになるくらいでした。
両脇の建物は双子のようなどっしりとしたレンガ造りの建物です。二階建です。文明開化、明治の頃のソレのようなモダン建築です。でも古さはまったく感じられません。懐かしさといった古さではく、本当の意味での古さです。レンガは夕陽に照らさされているみたいに赤々で、石柱の飾り彫刻をより白く鋭角に際立たせています。
それらがいったい何の建物なのかはわかりません。同じようにマンションビルかもしれませんし、銀行かもしれません。あるいはカフェテリアかもしれません。はたまた刑務所に税務署かもしれません。でもどれにせよ、その両サイドのレンガ造りの建物は同時期に、というよりも同時進行で建築されていったであろうことが何故か予測ができました。合わせ鏡のように“シミ”の出来具合まで同じに感じられたのです。
そんなふたつの建物に挟まれてそのマンションビルは建っていました。そしてわたしたちの目的もこのビルでした。このビルの住人に薄っぺらい茶封筒を届けるためにやって来たのです。大きさはA4ほどです。その中身が何なのかわたしにはわかりません。依頼を受けたのはオッサンです。何故それなのにわざわざ――茶封筒ひとつ届けるために――わたしたちがオッサンに付き添ってやって来ているのかもさっぱりわかりませんでした。
「最上階に住んでんだってよ」オッサンは見上げたまま、茶封筒の団扇で作り出した風を喉仏あたりにあてながら続けました。「やっぱ金持ちは違うようなぁ」
「まぁ、いいから、さっさと届けて帰りましょうよ」おねぇちゃんがオッサンの左肩を人差し指で突きながら言いました。
わたしはぴょんと跳ねておねぇちゃんの右肩にのっかりました。おねぇちゃんはわたしの頭をやさしく撫でてくれました。そして誰よりも先に、入り口の前の三段ほどの談を上がり、透明ガラス扉の銀のスチールの取っ手を掴んで押し広げエントランスに足を踏み入れました。
が、次の足が前に出てきません。と、いうよりも、出すことが出来なくなってしまったのです。わたしのぴくぴく白鼻も、あまりのことに一瞬ピクッと止まりました。
急におねぇちゃんが留まってしまったものだから、後ろからついてきたオッサンがおねぇちゃの背中にぶつかってしまいました。おねぇちゃんはその勢いで躓いたみたいにもうひとつの足をエントランスに入れることになりました。わたしももう少しのところで肩から落ちるところでした。
「急に留まんなよぉ」オッサンが留まったまま動かないおねぇちゃんに文句を言いました。見ると鼻をさすっています。「どうし・・・」
と、オッサンはトイレの順番待ちの最後尾から様子を窺うみたいに中を覗きながら文句を続けようとしたみたいですが、おねぇちゃんの次の足同様、オッサンの文句は完結しませんでした。前のその光景に言葉を飲み込んでしまったのです。鼻をさする手もビデオの一時停止みたいに静止してしまいました。
一歩足を踏み入れたそこは、マンションのエントランスとしては到底信じがたい “空間” だったのです。それはわたしたちの勝手な固定概念が引き起こしたものかもしれませんが、病院には病院的待合室がちゃんとあるように、マンションにはマンション的エントランスがあるものです。それが打ち砕かれたわけです。それに、それぞれの固定概念にはある程度の “のりしろ” 、許容範囲が設けられていて、どんなにそれが突拍子もないことになっていようと、設計者がマンション的エントランスとして設計している以上、そこには必ずマンションのエントランスとしての節度が漂っているものなのです。でも、それがここにはまったくなかったのです。それは一歩入ったその瞬間に、そう防衛本能といっていいくらい即座に察知できましたし、最初に言っていますように、この空間は外観からはどうしても信じられない奇妙な場だったのです。
第一に、何度も言うようですが、エントランスにしては広すぎました。いえ、長すぎる、と言った方が適切ですね。それはまるで地下道のようでした。明日、開通式が催される出来立ての地下道、そんな感じなのです。両サイドで壁の街頭のような規則性をもった間接照明のあかりと、センターラインのようなに天井の蛍光灯が奥へ奥へ真っ直ぐ続いているだけなのです。その終りはわたしには見えませんでした。三つの灯りが集まってひとつになっているのがわかるだけでした。
第二に、ここには、ここで暮らしているであろう定多数の住人の入り混じった生活臭がまったく漂ってなかったのです。マンションというカタチの集団住宅にとって、唯一といっていい共有スペースであるはずのエントランスなのにです。見た目にだってそうです。マンションエントランスに設置されているであろうと想定できうるモノがまったく存在しなかったのです。どこもかしこもツルンとした印象で、それらしきモノが何ひとつ見あたらなかったのです。
わたしは帰りたかった。そもそもわたしたちがオッサンに付き添って行く必要なんてどこにもないのです。ここまで付き添っただけでもありがたい話です。あとはひとりで持っていけばいい。正直に言います。わたしはこの先に進むのが怖かったのです。
わたしがそう思ってることを、すぐ傍にある、おねえちゃんの右の耳に打ち明けようと思ったそのときでした。わたしの知らない謎の女の人が、動こうとしない(動けないでいる)わたしたちに業を煮やしたのか、つかつかとおねぇちゃんを脇をすり抜け、「さっ、行くのよ」とアゴで先を差しました。どこか命令口調が気になりました。
「ねぇ、おねぇちゃん、このヒトは誰?」 わたしはそっと訊いてみました。
『ずっと考えてるんだけど、誰だったかなぁ』 おねぇちゃんが首をかしげながらささやいた心の声が聞こえました。 『どっかで会った気はするんだけど、思いだせないの』
謎の女はなんの不安も感じさせずさっそうと奥へ進んで行きます。その時、彼女が赤いハイヒールを履いていることにはじめて気付きました。
コツコツ、コツコツ
鋭角的で自信に満ちた足音だけがエントランスに・・・いえ、もうここはエントランスなんかじゃありません。もう、それこそ本当に地下道です。どこかに向かうための地下道。そして、後ろを振り返っても、そこには、前に続く長い通路と同じ通路があるだけで、つい今しがたおねぇちゃんが押し開いた透明のガラス扉も、表の雑踏も消え、わたしたちはすっかり“途中”にやって来てしまっているような不安に駆られてしかたなかったのです。だからわたしは振り返ることができませんでした。だって、やはり不思議な話です。どうしてあの外観からこの奥に長く続く通路を想定できたでしょう? 信じられません。そもそも建築許可が下りるわけがないのです。それこそ地下道なら問題ないのかもしれませんが、わたしたちはちゃんとマンションビルの扉を開けたのです。
『仕方ないわね』 おねぇちゃんの心の声が聞こえました。 『とにかく行くしかないみたいだわ』
気付けばオッサンと弟君は謎の女の後に続いていました。弟君はそれでもどこか最新鋭の隠し扉でもありやしないか、と言った具合にジグザグとふたつの壁を確認するようについて行ってます。おねぇちゃんも歩きはじめました。
コツコツ、コツコツ
コツコツ、コツコツ
コツコツ、コツコツ
コツコツ、コツコツ
どこまで続くんだろう? わたしたちはいったいどこまで歩けばいいんだろう? きっとそう思っているのはわたしだけじゃなかったはずです。わたしたちはもうかなり歩いてるはずです。それなのにずっと足踏みをしていたみたいに何にもかわらないのです。けれど誰も何も疑問の言葉を発しませんでした。ふと気付いて耳を澄ませてみましたが、おねぇちゃんの心の声も聞こえてきません。ただ聞こえてくるのは、謎の女の自信に満ちた足音だけでした。みんなの足音も聞こえてきませんでした。それはまったく今まで気付きませんでした。そう、気付くとやはり不安にならざる得ませんでした。
隠し扉を探すのを諦めたのか、弟君がオッサンに前につきました。オッサンがわたしたちに振り返りました。その顔は笑顔でしたが、左の眉毛がひくひくひきつっているのがわかりました。オッサンも不安にかられているのがわかりました。
と、唐突に音が消えました。謎の女が足を止めたのです。誰かの息を飲んだ“音”が聞こえてきました。そして、マッチを擦る“音”が聞こえ、炎が灯る“音”が続き、別の誰かの息をつく“音”が聞こえてきたかと思うと、細い一本の煙が真っ直ぐにすうっと昇っていくのが見えました。謎の女がタバコに火をつけたのだろうということがわかりました。その直後です。わたしたちはエスカレーターに乗っていたのです。
上りのエスカレーターです。上る先に近づき見えるのは全面の青空です。驚きよりも、その青空のおかげで、わたしはどこか安心していました。けれど、辺りは外光もあってか真っ白で、エスカレーターの手摺りの赤がやけに目に付き、それにつられてジグザグ追ってしまったことで、わたしに再び不安が訪れることになりました。何しろそれは“地下道”と同じように終りが見えなかったのです。その赤はどこまでもジグザグ上っていたのです。それは永遠にも感じられるくらいで目がくらむくらいでした。わたしは実際、目を閉じ頭を振りました。“夢”であるなら醒めてほしい、そんな気持ちで。
確かにこのマンションビルは恐ろしく高かった。タワーという表現がしっくりとくるぐらいです。それにしたってこれは高すぎます。あまりにも高いものだから途中には白い霞のような雲までかかっています。空は青空です。おまけにこのビルは信じがたいほどの、狭小の土地に建っていましたから、まるで『ジャックと豆の木』の木のようでした。何しろその幅の狭さときたら、わたしたち(わたしを含めて5人います。わたし茶々ミに、おねぇちゃん。そしておねぇちゃんの弟君に、わたしの知らない謎の女の人。ついでにオッサン)が並ぶと、両サイドのふたりは隣りの建物の壁と向かい合わせになるくらいでした。
両脇の建物は双子のようなどっしりとしたレンガ造りの建物です。二階建です。文明開化、明治の頃のソレのようなモダン建築です。でも古さはまったく感じられません。懐かしさといった古さではく、本当の意味での古さです。レンガは夕陽に照らさされているみたいに赤々で、石柱の飾り彫刻をより白く鋭角に際立たせています。
それらがいったい何の建物なのかはわかりません。同じようにマンションビルかもしれませんし、銀行かもしれません。あるいはカフェテリアかもしれません。はたまた刑務所に税務署かもしれません。でもどれにせよ、その両サイドのレンガ造りの建物は同時期に、というよりも同時進行で建築されていったであろうことが何故か予測ができました。合わせ鏡のように“シミ”の出来具合まで同じに感じられたのです。
そんなふたつの建物に挟まれてそのマンションビルは建っていました。そしてわたしたちの目的もこのビルでした。このビルの住人に薄っぺらい茶封筒を届けるためにやって来たのです。大きさはA4ほどです。その中身が何なのかわたしにはわかりません。依頼を受けたのはオッサンです。何故それなのにわざわざ――茶封筒ひとつ届けるために――わたしたちがオッサンに付き添ってやって来ているのかもさっぱりわかりませんでした。
「最上階に住んでんだってよ」オッサンは見上げたまま、茶封筒の団扇で作り出した風を喉仏あたりにあてながら続けました。「やっぱ金持ちは違うようなぁ」
「まぁ、いいから、さっさと届けて帰りましょうよ」おねぇちゃんがオッサンの左肩を人差し指で突きながら言いました。
わたしはぴょんと跳ねておねぇちゃんの右肩にのっかりました。おねぇちゃんはわたしの頭をやさしく撫でてくれました。そして誰よりも先に、入り口の前の三段ほどの談を上がり、透明ガラス扉の銀のスチールの取っ手を掴んで押し広げエントランスに足を踏み入れました。
が、次の足が前に出てきません。と、いうよりも、出すことが出来なくなってしまったのです。わたしのぴくぴく白鼻も、あまりのことに一瞬ピクッと止まりました。
急におねぇちゃんが留まってしまったものだから、後ろからついてきたオッサンがおねぇちゃの背中にぶつかってしまいました。おねぇちゃんはその勢いで躓いたみたいにもうひとつの足をエントランスに入れることになりました。わたしももう少しのところで肩から落ちるところでした。
「急に留まんなよぉ」オッサンが留まったまま動かないおねぇちゃんに文句を言いました。見ると鼻をさすっています。「どうし・・・」
と、オッサンはトイレの順番待ちの最後尾から様子を窺うみたいに中を覗きながら文句を続けようとしたみたいですが、おねぇちゃんの次の足同様、オッサンの文句は完結しませんでした。前のその光景に言葉を飲み込んでしまったのです。鼻をさする手もビデオの一時停止みたいに静止してしまいました。
一歩足を踏み入れたそこは、マンションのエントランスとしては到底信じがたい “空間” だったのです。それはわたしたちの勝手な固定概念が引き起こしたものかもしれませんが、病院には病院的待合室がちゃんとあるように、マンションにはマンション的エントランスがあるものです。それが打ち砕かれたわけです。それに、それぞれの固定概念にはある程度の “のりしろ” 、許容範囲が設けられていて、どんなにそれが突拍子もないことになっていようと、設計者がマンション的エントランスとして設計している以上、そこには必ずマンションのエントランスとしての節度が漂っているものなのです。でも、それがここにはまったくなかったのです。それは一歩入ったその瞬間に、そう防衛本能といっていいくらい即座に察知できましたし、最初に言っていますように、この空間は外観からはどうしても信じられない奇妙な場だったのです。
第一に、何度も言うようですが、エントランスにしては広すぎました。いえ、長すぎる、と言った方が適切ですね。それはまるで地下道のようでした。明日、開通式が催される出来立ての地下道、そんな感じなのです。両サイドで壁の街頭のような規則性をもった間接照明のあかりと、センターラインのようなに天井の蛍光灯が奥へ奥へ真っ直ぐ続いているだけなのです。その終りはわたしには見えませんでした。三つの灯りが集まってひとつになっているのがわかるだけでした。
第二に、ここには、ここで暮らしているであろう定多数の住人の入り混じった生活臭がまったく漂ってなかったのです。マンションというカタチの集団住宅にとって、唯一といっていい共有スペースであるはずのエントランスなのにです。見た目にだってそうです。マンションエントランスに設置されているであろうと想定できうるモノがまったく存在しなかったのです。どこもかしこもツルンとした印象で、それらしきモノが何ひとつ見あたらなかったのです。
わたしは帰りたかった。そもそもわたしたちがオッサンに付き添って行く必要なんてどこにもないのです。ここまで付き添っただけでもありがたい話です。あとはひとりで持っていけばいい。正直に言います。わたしはこの先に進むのが怖かったのです。
わたしがそう思ってることを、すぐ傍にある、おねえちゃんの右の耳に打ち明けようと思ったそのときでした。わたしの知らない謎の女の人が、動こうとしない(動けないでいる)わたしたちに業を煮やしたのか、つかつかとおねぇちゃんを脇をすり抜け、「さっ、行くのよ」とアゴで先を差しました。どこか命令口調が気になりました。
「ねぇ、おねぇちゃん、このヒトは誰?」 わたしはそっと訊いてみました。
『ずっと考えてるんだけど、誰だったかなぁ』 おねぇちゃんが首をかしげながらささやいた心の声が聞こえました。 『どっかで会った気はするんだけど、思いだせないの』
謎の女はなんの不安も感じさせずさっそうと奥へ進んで行きます。その時、彼女が赤いハイヒールを履いていることにはじめて気付きました。
コツコツ、コツコツ
鋭角的で自信に満ちた足音だけがエントランスに・・・いえ、もうここはエントランスなんかじゃありません。もう、それこそ本当に地下道です。どこかに向かうための地下道。そして、後ろを振り返っても、そこには、前に続く長い通路と同じ通路があるだけで、つい今しがたおねぇちゃんが押し開いた透明のガラス扉も、表の雑踏も消え、わたしたちはすっかり“途中”にやって来てしまっているような不安に駆られてしかたなかったのです。だからわたしは振り返ることができませんでした。だって、やはり不思議な話です。どうしてあの外観からこの奥に長く続く通路を想定できたでしょう? 信じられません。そもそも建築許可が下りるわけがないのです。それこそ地下道なら問題ないのかもしれませんが、わたしたちはちゃんとマンションビルの扉を開けたのです。
『仕方ないわね』 おねぇちゃんの心の声が聞こえました。 『とにかく行くしかないみたいだわ』
気付けばオッサンと弟君は謎の女の後に続いていました。弟君はそれでもどこか最新鋭の隠し扉でもありやしないか、と言った具合にジグザグとふたつの壁を確認するようについて行ってます。おねぇちゃんも歩きはじめました。
コツコツ、コツコツ
コツコツ、コツコツ
コツコツ、コツコツ
コツコツ、コツコツ
どこまで続くんだろう? わたしたちはいったいどこまで歩けばいいんだろう? きっとそう思っているのはわたしだけじゃなかったはずです。わたしたちはもうかなり歩いてるはずです。それなのにずっと足踏みをしていたみたいに何にもかわらないのです。けれど誰も何も疑問の言葉を発しませんでした。ふと気付いて耳を澄ませてみましたが、おねぇちゃんの心の声も聞こえてきません。ただ聞こえてくるのは、謎の女の自信に満ちた足音だけでした。みんなの足音も聞こえてきませんでした。それはまったく今まで気付きませんでした。そう、気付くとやはり不安にならざる得ませんでした。
隠し扉を探すのを諦めたのか、弟君がオッサンに前につきました。オッサンがわたしたちに振り返りました。その顔は笑顔でしたが、左の眉毛がひくひくひきつっているのがわかりました。オッサンも不安にかられているのがわかりました。
と、唐突に音が消えました。謎の女が足を止めたのです。誰かの息を飲んだ“音”が聞こえてきました。そして、マッチを擦る“音”が聞こえ、炎が灯る“音”が続き、別の誰かの息をつく“音”が聞こえてきたかと思うと、細い一本の煙が真っ直ぐにすうっと昇っていくのが見えました。謎の女がタバコに火をつけたのだろうということがわかりました。その直後です。わたしたちはエスカレーターに乗っていたのです。
上りのエスカレーターです。上る先に近づき見えるのは全面の青空です。驚きよりも、その青空のおかげで、わたしはどこか安心していました。けれど、辺りは外光もあってか真っ白で、エスカレーターの手摺りの赤がやけに目に付き、それにつられてジグザグ追ってしまったことで、わたしに再び不安が訪れることになりました。何しろそれは“地下道”と同じように終りが見えなかったのです。その赤はどこまでもジグザグ上っていたのです。それは永遠にも感じられるくらいで目がくらむくらいでした。わたしは実際、目を閉じ頭を振りました。“夢”であるなら醒めてほしい、そんな気持ちで。
つづく。