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ジャニーズ、特に嵐(相葉さん)をこよなく愛するチャミのブログ。みんな違ってみんなイイ。

勘三郎さん本葬

2012年12月28日 | 日々のこと
昨日、勘三郎さんの本葬が築地本願寺で行われました。

勘三郎さんの早すぎる死がいまだに信じられないのでいるのですが、お別れを言わなくては、と私も参列してきました。

記事にもありますように、勘三郎さんの人気ぶりを証明するかのような長い長い列でした。

焼香が終わるまで寒い中3時間半かかり、寒くて凍えたけど、本当に行ってよかった。

帰り際、涙に濡れた表情ながらも焼香するファン1人1人にしっかりと目を合わせて挨拶してくれた勘九郎、七之助さんを見て、これからも若い2人を応援しよう、歌舞伎を愛し続けようって心に誓いました。

小山三さん含め、お弟子さん全員にも挨拶できました。あとでWSを観返したら、ご遺骨の前で小山三さん泣き崩れてましたね・・・本当にお辛かったと思いますが、どうかお元気でいてくださればと思います。

野田さんも弔辞で述べてましたけど、まだ安らかにお眠りくださいとは言い難いのが本音なんですよね・・・

でも、勘三郎さんの魂を引き継いだ息子たち、これからの歌舞伎界を天国からずっと見守ってほしい、って思います。


勘三郎さん1万2000人が最後の別れ (朝日)

 5日に57歳の若さで亡くなった歌舞伎俳優中村勘三郎さん(本名・波野哲明=なみの・のりあき)の本葬が27日、東京・築地本願寺で行われ、歌舞伎俳優の葬儀としては異例の1万2000人が集まり、最後の別れをした。都内の自宅を出発した遺骨は、喪主の長男中村勘九郎(31)に抱かれて、ゆかり深い場所をまわった。勘九郎は涙ぐみながら、「父が愛した厳しい歌舞伎の道を、しっかり前を向いて歩いていくしかない」と中村屋スピリッツの継承を誓った。

 長い焼香の列だった。午前8時すぎから並び始めたファンの列は築地本願寺境内に入りきらず、周辺を取り巻き、約2キロも続いた。片岡仁左衛門は言った。「午前11時の時点ですでに2000人が並んでいるそうです。のりちゃん、すごいよ。僕は負けました」と感嘆したが、その後も列は途絶えることなく、1万人を超えた。関係者だけで2000人と多かったが、ファンと合わせて1万2000人。歌舞伎俳優の葬儀として、歌舞伎の長い歴史の中でも異例な規模となった。

 「勘三郎追悼デー」だった。午前9時すぎ、東京・文京区の自宅を、遺骨を抱いた勘九郎が出発する時、取材ヘリが上空を舞った。平成中村座の最初の公演を行った浅草・隅田公園ではみこしをかついだ浅草っ子が「セイヤ! セイヤ!」と練り歩き、勘九郎も七之助も好江夫人も泣いた。松竹本社、新橋演舞場もまわったが、それぞれ100人の社員、従業員が整列して迎えた。

 午前10時12分ごろ、工事中の歌舞伎座に到着した。病床の勘三郎さんはその舞台に立つことだけを目指して病と闘った。勘三郎さんの魂は、工事関係者、大道具らスタッフ約150人が待つ中、念願の歌舞伎座に立った。勘九郎らは足場が組まれた状態のロビーを通り、客席後方から完成しつつある舞台を眺めた。勘九郎は言った。「昔と変わっていなかったので、父も喜んでいると思う。ただ、やっぱり完成した歌舞伎座を見せたかったし、立たせたかった」。

 正午から行われた本葬では、坂東三津五郎、大竹しのぶ、野田秀樹、片岡仁左衛門らが弔辞を読んだ。三津五郎は「本当に寂しいよ、つらいよ」と声を震わせた。大竹は「大好きです。今もこれからも。ありがとう。またね」と、涙ながらに別れを告げた。参列者も泣いた。

 一般焼香は午後2時からの予定だったが、関係者の数が予想以上となり、1時間遅れで始まった。焼香の列も途切れることなく、1時間の予定が2時間半以上かかった。京都から来た人もいた。毎年公演した長野県松本市からバス2台で100人が駆けつけた。焼香を終えた人はみんな泣いていた。時間制限で焼香できない人も出た。午後5時50分、遺骨が築地本願寺を出る時、多くのファンが待っていた。「中村屋!」「18代目!」の掛け声が飛んだ。勘三郎さんにとって最後の掛け声となった。1万2000人の参列とともに、勘三郎さんは伝説の人になった。

<勘三郎さん葬儀メモ>

 ▼祭壇 88年4月28日に同じ東京・築地本願寺で営まれた、父の17代目中村勘三郎さん(享年78)の本葬と同じ様式。

 ▼遺影 05年1月29日に行われた「18代目中村勘三郎を祝う会」で写真家篠山紀信氏が撮影したもの。

 ▼会場に飾られた写真 今年5月に平成中村座で演じた「髪結新三」と「め組の喧嘩」など生前に歌舞伎を演じた写真8枚が場内の左右の壁に張り出された。すべて篠山紀信氏が撮影。

 ▼花 菊1万8000本(遺影が飾られている壁だけで1万3000本)、カーネーション1500本、コチョウラン150本で、色はすべて白。

 ▼家紋 角切銀杏。

 ▼会葬御礼 ワイン好きだった勘三郎さんが特に好んで飲んでいた白ワイン。

中村勘三郎さん本葬:「息遣いよみがえる」早すぎる死悼む (毎日)

中村勘三郎さん本葬 :長男・勘九郎心中明かす 「途方に暮れております」 (毎日)

嵐さんから、翔さん、智君、にのが参列したようです。

勘三郎さん本葬 坂東三津五郎、大竹しのぶらが涙の弔辞 (オリコン)



4 コメント

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泣けた・・。 (大嵐小嵐)
2012-12-28 20:35:34
チャミちゃん、参列されたんですね。
テレビで勘九郎君と七之助君の挨拶を見て泣けて泣けて。
助けてください、って・・。私も応援します!
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お疲れ様でした! (ころりん)
2012-12-30 12:15:43
お寒い中、参列されてこられたのですね・・・
おつかれさまでした。

若いお二人は後ろ盾が無くなり、途方に暮れておられると思います。

中村屋贔屓の友人からは『これからも二人を応援してやって下さい!』と、メールも届きました。

チャミさんも若い二人の事、応援してあげて下さいね♪
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本葬 (チャミ)
2012-12-30 15:54:01
>大嵐小嵐さま

年末の忙しい時期ではありましたが、気持ちの整理をつけるべく参列してきました。

勘九郎くん、七之助くん、二人の兄弟は偉大な父を失って途方に暮れているかもしれませんが、先輩方や、沢山のファンに支えられているのできっと大丈夫だと思います。
私も影ながら彼らを見守っていきたいと思っています。
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中村屋 (チャミ)
2012-12-30 16:02:41
>ころりんさん

まさかこんなに早くお亡くなりになるなんて、誰もが思っていませんでしたよね…

でも勘三郎さんの魂を引き継いだ兄弟二人が力を合わせれば、中村屋の将来も明るい、と思っています。
歌舞伎界にとって大変辛い出来事でしたが、私たちファンも乗り越えて行かないとですね。
とにかく、若い二人をこれからも応援し続けますよ!!
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