悲しみの城からの脱出

親からの呪縛から自分を解放するためのブログ

心理学の【誤学習】とは? ー 面前DVによる誤学習 ー

2025-03-04 10:00:00 | 複雑性PTSD・トラウマ(学び)

先日の記事の中で【誤学習】

という言葉を使った。

(先日の記事は、こちら

誤学習という言葉を聞き

慣れない方も多いと思うので、

少し説明したいと思う。

一言で言うと

 

周りからの刷り込み

 

子供の頃、両親や祖父母、

周囲の人と関わりを持つ

ことで、脳や心が成長

していくものである。

 

 

年齢に応じた発達課題や社会に

適応するため社会性を身に

付ける過程で躾が繰り返される。

その時に言われることや体験した

ことが学習され、身に付いていく。

これが学習である。

 

では、誤学習は、

どう作られていくのか?

 

碧音の場合、面前DVがあった。

碧音のことで喧嘩してたとする。

口論から母親が殴られ始め、

喧嘩が終わると、母親からの

暴言が始まり、傷つき体験を

持ち始める。

すると、碧音の中に、こんな図式が

作られ始めるのだ。

 

碧音が失敗する

    ↓

両親の喧嘩が始まる

    ↓

父親が母親を殴る
(お前の躾が悪いなど)

    ↓

母親が暴言を吐く
(お前のせいで殴られた、
お前さえいなければ… など)

    ↓

全部、碧音の失敗のせいだ

碧音は疫病神だから

この世に存在しては

いけない子供だ

(否定的自己概念・自責の始まり)

   

   叉は…

 

絶対に失敗してはいけない

失敗=周りを不幸にする

(白黒思考・完璧主義の始まり)

 

 

これが誤学習による碧音の

刷り込みである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大事にされすぎた若い人に思うこと

2025-03-02 16:00:00 | ひとりごと

数か月前、電車の中で、

若い子(おそらく、中高生)が、

碧音に対して文句を言ってる

のが聞こえてきたことがある。

 

 

碧音は、座席に座っており、

休日だったこともあり、

若い子が多く乗っていた。

今は、リュックの人は、電車の

中では前に抱えるようにする

人が増えていたし、車内放送でも

リュックの人はそうするように

放送されていた。

 

 

にもかかわらず…

背中にリュックを背負ったまま、

碧音の座席の背もたれに寄りかかり、

碧音の頭と肩に当たってしまい、

まっすぐ座ることができずにいた。

やむを得ず、腕を動かすことで、

当たってることに気付いてもらおうと

腕を動かしてみた。

 

 

それで、気付いたのはいいものの…

一緒にいる家族か彼氏らしき人に

文句を言っていた。

若いから仕方ないかもしれないが、

人に迷惑かけているのだから当然だ。

 

が!!しかし!!

 

一緒にいる男性の言葉に耳を疑った。

 

そんなことするなんて

ひどいね…

 

と寄り添った言葉かけをしていた。

正直…

 

こんな場面でも寄り添い?

どんだけ寄り添い好きなんだよ…(汗)

 

と思ったのは言うまでもない。

こういうことは、一緒にいる人が

視点を変える質問や問いかけを

するのが普通なのではないだろうか?

少なくとも、中高生の頃の碧音の

周りには、そういう人がいた。

何というか…

 

貴族のご子息、お嬢様

とでも思ってんのか?

(あ… まだ、昔の貴族の子供の

方がましだよね…

だって、自分の果たすべき

義務と責任を分かってたから…)

 

一人の人間として、

大事に扱うことは大切だ。

だが、このような公の場での

立ち居振る舞いは、本当に、

家庭での養育状態やどんな教育を

しているのかが、一目瞭然だと、

改めて、感じた。

 

 

もし、彼女たちと同じ年齢の

碧音なら、リュックが当たってた

ことに気付いた時点でお詫びの

言葉は出ていただろう。

なぜなら、リュックが当たって

相手に不快な思いをさせて

しまったのだから当然のことだ。

 

 

【今の若い子たち】と一括りに

するのは、個人的に好きではない。

だが、こういう若者を見ると…

 

大事に扱われすぎても

問題だなぁ…

きっと、過保護に

育てられたんだろうな…

 

という白けた感覚しかない。

最近は、悟り世代、z世代など

いろいろ言われてるが、

とてもじゃないけど、悟ってる

若者が増えたとは思わない。

 

 

かえって、大事にされすぎて

義務や責任も果たさない昔の

貴族のおバカなご子息、お嬢様が

大量生産されてしまったんだね

と哀れさしか感じない。

 

 

こんなことを言うと【老害】と

いろいろ言われるのだろうけど、

お気の毒な頭と若さしかない若者に

嫉妬することはないだろう。

老害を口にする若者は、そんな

視点でしか目上の人に対して

考えられないのだから…。

残念さしか感じない碧音である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日への誤学習 ー 棺桶が近づく日 ー

2025-02-25 15:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

誕生日というとお祝いの

イメージを持つ人が多いだろう。

だが、碧音は違う。

 

棺桶に入るのが近づいた日

 

これが誕生日へのイメージだ。

なぜ、こんなイメージになったのか。

それは、母親から誕生日プレゼントが

ない理由を聞いたときの話が原因だ。

 

誕生日なんて

棺桶に入る日が

1年近づいただけなのに

何が、そんなにめでたいんだ?

 

子供だった碧音は、それをそのまま

信じてしまい、それを何十年も

刷り込みとして思い込んでいた。

だから、自宅で誕生日会をやった

こともなければ、両親に祝って

もらったこともない。

当然、誕生日プレゼントもない。

 

 

これは想像だが、誕生日プレゼントを

買う余裕がなかったのだろう。

母親が、無理やり考えた理由

だったのかもしれない。

だが、子供にそんなことは関係ない。

親の言うことは絶対だと信じる子供は、

どれだけバカげた嘘でも信じてしまう。

 

 

幼稚園や学校で誕生日会をされると、

碧音だけ居心地が悪かった。

それは、誕生日は死ぬ日が近づいた

だけだと考えていたため、純粋に、

自分の生まれた日をお祝いする気に

なれなかったからだ。

 

 

子供は、親の言うことは間違って

ないと、根拠なく、信じてしまう。

どんなにバカげた嘘だったとしてもだ。

そのバカげた嘘のせいで誤学習をして

しまい、何十年もの間、碧音は、

自分の誕生日は忌むべきものと

誤った考えを持ってしまっていた。

 

 

両親にしては、さぞ、楽だっただろう。

誕生日のたびに出費は抑えられ、

子供に文句を言われることもない。

でも、自分が生まれてきた日が

【死に近づいた忌むべき日】と

誤学習した碧音は、自分自身が、

産まれたこと自体を慶ぶ機会を

完全に失った。

 

 

その影響は、今でも続いている。

今は、自分が生まれた日を喜ぶ

まではできないまでも、誕生日

プレゼントを買ったり、何かを

体験する日にしているが、子供の頃、

感じていた居心地の悪さは健在だ。

 

 

ちなみに、碧音が、両親の誕生日を

祝ったことは一度もない。

死に近づいただけと教えたのだ。

当然のことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代が変わったと感じたこと

2025-02-23 14:00:00 | ひとりごと

先日、初めて行く場所に

スマホ片手に目的地を

探していたのだが、よく

分からず、困っていた。

 

 

そこに大きな荷物を運ぶ

宅配便業者がいたので、

聞いてみた。

すると、その業者もスマホを

取り出し、住所を聞いてきた。

それを見て…

 

あぁ…

時代は変わったんだな…

 

と思った。

昔は、宅配業者やその辺のお店で

配達している業者に聞けば、

大体、この辺だと即答し、

そこまで行くには、何を目印にして、

どこの交差点をどちらに曲がれば

いいのかまで細かく説明してくれた。

 

 

方向音痴の碧音は、そんな人たちに、

何度助けられただろうか。

でも、今は、ナビが車についてる時代。

ナビを頼りにしていると、目印とか

全く関係なく、何も考えずにナビ

通りに運転すればいいだけだ。

 

 

でも、それは、本当にいいことか、

ついつい、考えてしまう。

【考える】とか【周りをよく見る】

ということができなくなる気がした。

タイパという言葉がある。

それは、効率的という意見もあるが、

脳の退化も促すような気がして

ならない碧音である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DVとは? ーどんな関係のことなのか?ー

2025-02-21 18:00:00 | 複雑性PTSD・トラウマ(学び)

DV(ドメスティック バイオレンス)

 

この言葉が浸透してきたが、

DVの定義を一言で言える人は、

どのくらいいるのだろう?と、

たまに、考えることがある。

DVとは…

 

主従関係ができており

支配する側と支配される側で

役割が決まっている

対等な関係ではない状態のこと

 

簡単に説明すると、こんな感じだ。

よくDVというと、配偶者や恋人から

ボコボコに殴られて、体中あざだらけ…

こんな人のことをDV被害者と呼んでいる

人が多いのではないだろうか?

 

 

実際、そのような身体的DV被害者は、

DV被害者全体の3,4割程度だ。

その他のDV被害者のほとんどが、

モラハラや精神的DV、経済DVに

より逃げられない環境に追い込まれ、

思考停止した状態で、常に、従う

ことしかできなくなる人が多い。

 

 

つまり、対等な関係ではなくなり、

従うことしか許されない環境や状態の

人のことをDV被害者、常に、支配する

ことしか考えない人のことをDV加害者

と呼んでいる。

 

 

ただ、これは大人同士の関係のことだ。

それでは、子供は、どうだろうか?

子供から見て、親は対等な存在ではない。

体力的にも、精神的にも、経済的にも、

子供は親に頼らなければ、生活すら

ままならない。

 

 

親には【養育者】という役割の他に

【保護者】という役割もある。

(この二つの役割を果たす権利の

ことを親権、監護権という法律

用語で表現されている)

 

 

これは、社会から害のあるものや人

から子供を守る役割のことである。

ということは、もし、この親が、

養育者や保護者としての役割を放棄し、

子供を自分の感情のままに支配する

ような環境であれば、それはDVが

発生しやすい環境ということだ。

 

 

ここに身体的暴力があるかどうかは、

特に、問題ではない。

支配する側と支配される側、対等な

人間として大切に扱われず、常に、

子供の意思とは関係なく、【従う】

という選択肢しかないのであれば、

それは立派なDVである。

 

 

親が性的欲求を発散するために子供を

利用すれば、性虐待となり、社会で

自分の思い通りにならないイラつきを

子供にぶつければ、暴言や暴力となる。

どちらも力ではかなわない子供に

抵抗する術はないのだ。

 

 

碧音にとって、両親二人とも、

DV加害者である。

母親は父親から身体的DVを受けて

いたものの、その腹いせとして、

碧音は母親からも身体的、精神的

DVを受けてきている。

 

 

何十年もたった、今、その影響を

強く感じている。

碧音自身、母親からもDVを受けて

きたことを自覚したのは、

つい、最近のことである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする