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成都 ツアー 現地

2018-03-07 09:15:40 | 海外旅行
成都 杜甫草堂
杜甫草堂は成都の西郊にあります。ここは一代の詩聖と言われた杜甫を記念するために杜甫草堂を建てました。唐代の大詩人杜甫は安史の乱を避けるために,759年の冬に家族を連れて成都に移り,親友の助けの上で浣花溪の畔に藁葺きの家を建てて4年ほど住んでいました。杜甫はここを[成都草堂]と名付けました。
最初の草堂はこんなに広くなかったので,規模も小さかったのです。当時,杜甫が建てた藁葺きの家は丈夫なものではなかったので,761年の秋に大風に吹き飛ばされてしまいました。その時,杜甫が有名な[秋の風に破れらた藁葺きの歌]の詩を作詩しました。その後,何回も再建され,いまの規模になったのは1500年と1811年の拡張工事を経てからのことです。当時のぼろい藁葺きの家は今は当然なくなり,替りに20ヘクタールもある記念の建物と庭園の機能を兼ね備えたを観光地になりました。
成都 武侯祠
武候祠は著名な三国時代の名所旧跡をとして成都市の市内にあります。1961年、ここは中国国務員に全国重点文化財として指定されました。三国時代には魏と呉と蜀の三国が鼎立していてこの当たりは蜀と呼ばれていました。曹操と曹丕の親子は魏の国を造り、黄河流域の大部分の土地を支配して都を洛陽に置きました。孫権は呉の国を造り、長江の中流と下流地域を占め、南京に都を置きました。四川と云南と貴州などを占領した劉備は蜀の国を建て成都は当時の都でした。日本版の[三国志演義]...
今の武候祠は諸葛亮と劉備を祭ったところです。諸葛亮は生前に武郷候に任命され、死後は忠武候という贈名が与えられました。昔の武候祠は諸葛亮の慰霊のところだけです。この祠は6世紀の始めに劉備を祭った[昭烈廟]と並んで建てられたのです。昭烈とは劉備の死後に与えられた贈名です。14世紀の末になって武候祠は昭烈廟に合併されました。ですから,武候祠の正式の名前は[漢昭烈廟]で、ここは蜀国の君臣紀念館というべきです。ところが,人々は君主の劉備を上回る諸葛亮の才能と人徳をしのんでこれに因んで武候祠と呼ばれるようになりました。
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