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稲城亜丁

2018-05-31 13:03:36 | 海外旅行
稲城亜丁
稲城県は中国四川省の西南の縁に位置し、青海チベット高原の東南にあり、横断山脈の東部にあります。コンバチベット区の甘孜チベット族を属しています。北緯27.30’--29.30’、東経99.56’--100.36’にまたがっています。南北の長さは174 キロで、東西の幅は63キロで、総面積は7323平方キロです。人口は3.5万人で、チベット族を主体としています。経済的では半ば農業半ば牧畜の地域に属しています。

稲城の地理と地ぼうはみなわりあいに特別です。その北は高く、南は低く、西は高く、東は低く、山々が起伏し、うねっており、草木があおあおと茂っており、山脊と河床がかわるがわるに、一年中雪を頂く高い海抜の山の00峰もあれば、奥深くひっそりとし、秘密で察知しがたい低い海抜の谷間もあるのになっています。また、広ばくとしている草原や、さらさらと流れる谷川もあって、景色が千変万化して、非常に人をと陶酔させます。

北部は高原の広い谷の地域です。海子山は稲城川にならんで、標高は3600--5000 米、青海チベット高原のもっとも大きい古い氷河の遺址で、稲城の古い氷帽子という美称があります。その氷触れ地形の育ちが完全で、氷触岩盆が空の星のように一面に分布していて、3200平方キロメートルの内に大小の湖が1145箇あって、その規模と数は世界でも少ないのです。ここは第四紀氷川地ぼうを研究する重要な基地となっています。1982年、その中部では恐龍の歯の化石を発掘しだしましたし、海子山の多くの峰が続いて絶えなく、渓谷が 縦横に交?しており、怪石が林立しており、景色が素晴らしいです。

中部は山と平原で、ボワ山と赤土河です。赤土河は澄みきってきれいであり、魚の群れが行き来しています。河畔の牧場は広いですし、原始林は見渡す限り果てしがありません。ボワ山は山の勢が雄大で秀麗であり、四季の景色もはっきりしていますが、冬は雪が一面に真白に降り積り、銀造り白くつつんでいます。春と夏はつつじがいたるところに咲き乱れて、芳ばしくて艷やかであるのを争っています。秋になると、紅葉が火のごとく、いくえにも重なっている林を着色して、とりわけなまめかしいです。

南部は高山と峡谷の地域で、我初山が東義河にならびたっています。我初山は海抜5140米、高く切りたって雄大さをますますしめしており、ぬきんでていますが、美ぼうの仙女がきちんと雲霓にすわるように、容貌が奇麗であるのを失ないません。もっとも人を陶酔させるのは我初山の秋の景色です。赤い愛嬌、黄色い鮮やかできれいであり、縁の柔和、色とりどりで美しく、野山に満ちていますが、厚化粧しても薄化粧しても適当です。東義河は一匹良い馬の如く、我初山から飛ぶように駆け下り、両岸の古木が高いく聳えたち、切岸がさななりあってけわしくなり、声がゴロゴロと鳴って、瀧がいくえにも重なりあって、山水が相映じて妙趣が横溢するのです。

我初山と隣り合っているのは、チベット地域で名声を馳せる雪域の神韻つまり稲城の神峰です。それは三つの雪峰からなるもので、峰の名が五世代目のダライに封ぜられたのだと伝えられています。北のセンナイニチで観世音菩薩という意味で、海抜は6032米です。南の峰はオーバイユで文殊菩薩という意味で、海抜は5958 米です。東の峰はカダクタキツで、金剛菩薩という意味で、海抜は5958米です。稲城の神峰は氷雪に鎖されて、雄大で壮麗です。山腹の五色海は七色がまだらで、変化に限りがありません。山の麓の草原では、珍しい動物が人間と睦まじくつきあっています。チベット族人民はこれを神山と見なして、参拝者の往来が引き続いて絶えません。

稲城は悠久なる歴史文化を持っています。全県の13箇お寺の中では、雄登寺と貢夏嶺寺は盛名を歌われています。貢夏嶺寺の建物は宏大で、現存の五四代ダライに贈られた一体の彌勒銅像はまれな文物です。雄登寺は明代の始めごろにたてられたもので、10万冊の経書を持っており、数百体もの大小の仏像を供えています。その中に九世代目班禅がびやくだんでつくったシャガムニの仏像もあります。県内のチベット族は同じ源から出たのだというものの、ばらばらに居住し、また山と河で遠くへだてたので、これによって言葉や服装や生活習慣などの違いを引き起しました。濃厚な宗教の雰囲気のもとで、多くのニュークな奥深い人文的色彩を添えました。

シャングリラの意味は人間の世外つまりの浮き世を離れた別天地で、最後のシャングリラというのは四川省の稲城の亜丁です。稲城の亜丁は人間に忘れらたところにあり、ここには人間の最も清い心があり、原始の自然風貌を保存しております。稲城-亜丁の眺めは人類の活動の影響が少ないで、この絶佳な美さは年々静に黙々と人々をまってきます。

稲城-亜丁の発見は最初の人がアメリカの布教士ヨ-サ.ラクで、1928年彼は雲南省の麗江市から出発して四川省の木里県に回り、稲城までの旅行中彼はたくさん写真をとってからアメリカの[地理雑誌]に載りました。これは世間を一時騒がせたことで、こんな素晴らしい景色は以前見なかったものでした。みんなはそこが雲南省の麗江と思っていましたが、実は、1996年、専門家の確認で、ヨーサ.ラクがそんな時来たところは稲城-亜丁です。

亜丁の北側は青蔵高原で古代の氷川遺跡となって、現在ここは海子山自然保護区といわれ、自然景観が原始風貌をもって非常に壮観ですよ。亜丁の中部は広々としている河の谷で、ここは草原なので様々な野花が咲き乱れて草がよく茂っています。南部は連綿と続いている山脈、違った姿の峰、深い谷間、飛んでいる滝などがうっとりさせます。
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成都 観光 日数

2018-05-31 09:06:34 | 海外旅行
都江堰
都江堰は四川省都江堰市の灌口という町に位置し、古代に建設され、今でも役に立っている大規模な水利プロジェクトです。「世界水利文化の開祖」と呼ばれ、中国の有名な名所古跡の一つです。秦の時代の蜀郡の太守(注釈:中国の古代の官職)李氷父子が群衆を率いて、紀元前256年ごろ都江堰水利プロジェクトを建設しました。今では、全世界で歴史が最も長く、唯一保存され、しかもダムがなくて引航を実現する大型の水利プロジェクトです。2000年、悠久な歴史、大きいな規模、合理的な構成、科学的な運行、環境にもやさしいなどの特徴で、また歴史の面でも科学の分野でも高い価値を備えているので、都江堰水利プロジェクトは世界文化遺産に登録されました。
現在、成都平原は「天府の国」と呼ばれていますが、古代には実に旱魃や洪水も非常に頻繁な地域でした。岷江は長江の支流で、しかも水量がすごく豊富で、ちょうど四川盆地という中国西部の豊かな地域を経由し、典型的な地上川になりました。都江堰と成都の距離はわずか50キロメートルですが、しかし273メートルの驚くほどの高低差があります。古代には、岷江は洪水が発生したら、成都平原は果てしのない海原になって、旱魃(かんばつ:雨が降らないなどの理由で土壌が乾ききってしまい、農作物が育たない状況。)が発生したら、また不毛の地域になってしまいました。
魚嘴
都江堰水利プロジェクトは洪水防止、農業灌漑用水の提供、水上運送を一体とした水利工事です。都江堰の第一肝心な部分の魚嘴は分水の役割を果たしています。魚嘴(岷江の流れを適切な比率で本流と灌江に分ける「魚嘴」は最も重要な構造物である。)の建設場所、大きさ、長さ、高さ、傾斜角度と造る位置の周辺の水流流速、水量などが全部精密に計算、設計されています。それで造った魚嘴がうまく岷江の内江と外江の分水をしています。増水期は上流から流れてきた岷江総水量の60%が外江に入り、40%が内江に流れます、渇水期が逆になり、60%の水量が内江に入り、40%の水量が外江に入ります。そうすると、うまく内江に入る水量をコントロールして、増水期の洪水を防ぎ、渇水期には農業灌漑用水を確保します。
宝瓶
都江堰第二の肝心部分‐宝瓶口は成都へ水を導く主要な役割のほかに2回目の分水効果もあります。宝瓶口は幅が一定なので、その中に入る水が自然に制限されています。余った水は、飛沙堰を通って、外江に流れ、効率的な2回目の分水機能をしています。
都江堰水利プロジェクトのおかげで、成都平原は広くて肥沃な地域になって、中国西部は真珠のように輝いています。
二王廟建築群は世界遺産に登録された重要な都江堰の一部です。岷江(注釈:長江の支流の一つ)の東側、玉壘山のふもとに位置し、秦の時代の李氷父子を祭るために建てられました。はじめは南北時代(420年—公元589年)に建設され、清の時代に再建されました。廟内には李氷父子の彫像があり、石の壁には治水に関する格言が刻まれています。後ろの神殿の右側には有名な画家の張大千や徐悲鴻などの篆刻が飾られています。庭園には色々な種類の貴重な植物が植えられ、巨大な木がそびえ立ち、とても涼しいです。ここは四川省の名所旧跡のひとつと言えるでしょう。
二王廟建築群は都江堰の東側にあり大規模かつ合理的な構造で幽玄な雰囲気に溢れています。総面積は5万平方メートル、そのうち主な建築物の面積は1万平方メートルあります。二王廟は東園と西園に分けられ、それぞれに庭園と建築群があります。廟はすべて地理的環境によって設計され、山を背景として建てられています。一般的な古代建築と異なり、二王廟は中軸線対称というスタイルをとっていません。周囲の環境の美しさもあり建築群は秀麗かつ壮大な姿を呈しています。
新しく建てられた李氷博物館内には李氷が水利の専門家として、また地方の官僚としての物語が紹介され、都江堰水利プロジェクトの各時代の様子も展示されています。廟の前にある内江と外江を繋がった安欄索橋は「中国古代五大橋」のひとつで、廟内の遠景楼からは都江堰の雄大な姿が眼下に広がっています。
2008年に起きた四川大地震では四川省のシンボルとしての二王廟は大きな損害を被りました。修繕工事はできるだけ元の材料を使い原案をもとに現地で行われました。修繕の計画、資金協力、技術及び人手の確保は国家文化局によって執り行われました。三年間の努力を重ね、二王廟は再び蜀の大地に佇んでいます。
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成都 観光 日数

2018-05-31 09:06:34 | 海外旅行
都江堰
都江堰は四川省都江堰市の灌口という町に位置し、古代に建設され、今でも役に立っている大規模な水利プロジェクトです。「世界水利文化の開祖」と呼ばれ、中国の有名な名所古跡の一つです。秦の時代の蜀郡の太守(注釈:中国の古代の官職)李氷父子が群衆を率いて、紀元前256年ごろ都江堰水利プロジェクトを建設しました。今では、全世界で歴史が最も長く、唯一保存され、しかもダムがなくて引航を実現する大型の水利プロジェクトです。2000年、悠久な歴史、大きいな規模、合理的な構成、科学的な運行、環境にもやさしいなどの特徴で、また歴史の面でも科学の分野でも高い価値を備えているので、都江堰水利プロジェクトは世界文化遺産に登録されました。
現在、成都平原は「天府の国」と呼ばれていますが、古代には実に旱魃や洪水も非常に頻繁な地域でした。岷江は長江の支流で、しかも水量がすごく豊富で、ちょうど四川盆地という中国西部の豊かな地域を経由し、典型的な地上川になりました。都江堰と成都の距離はわずか50キロメートルですが、しかし273メートルの驚くほどの高低差があります。古代には、岷江は洪水が発生したら、成都平原は果てしのない海原になって、旱魃(かんばつ:雨が降らないなどの理由で土壌が乾ききってしまい、農作物が育たない状況。)が発生したら、また不毛の地域になってしまいました。
魚嘴
都江堰水利プロジェクトは洪水防止、農業灌漑用水の提供、水上運送を一体とした水利工事です。都江堰の第一肝心な部分の魚嘴は分水の役割を果たしています。魚嘴(岷江の流れを適切な比率で本流と灌江に分ける「魚嘴」は最も重要な構造物である。)の建設場所、大きさ、長さ、高さ、傾斜角度と造る位置の周辺の水流流速、水量などが全部精密に計算、設計されています。それで造った魚嘴がうまく岷江の内江と外江の分水をしています。増水期は上流から流れてきた岷江総水量の60%が外江に入り、40%が内江に流れます、渇水期が逆になり、60%の水量が内江に入り、40%の水量が外江に入ります。そうすると、うまく内江に入る水量をコントロールして、増水期の洪水を防ぎ、渇水期には農業灌漑用水を確保します。
宝瓶
都江堰第二の肝心部分‐宝瓶口は成都へ水を導く主要な役割のほかに2回目の分水効果もあります。宝瓶口は幅が一定なので、その中に入る水が自然に制限されています。余った水は、飛沙堰を通って、外江に流れ、効率的な2回目の分水機能をしています。
都江堰水利プロジェクトのおかげで、成都平原は広くて肥沃な地域になって、中国西部は真珠のように輝いています。
二王廟建築群は世界遺産に登録された重要な都江堰の一部です。岷江(注釈:長江の支流の一つ)の東側、玉壘山のふもとに位置し、秦の時代の李氷父子を祭るために建てられました。はじめは南北時代(420年—公元589年)に建設され、清の時代に再建されました。廟内には李氷父子の彫像があり、石の壁には治水に関する格言が刻まれています。後ろの神殿の右側には有名な画家の張大千や徐悲鴻などの篆刻が飾られています。庭園には色々な種類の貴重な植物が植えられ、巨大な木がそびえ立ち、とても涼しいです。ここは四川省の名所旧跡のひとつと言えるでしょう。
二王廟建築群は都江堰の東側にあり大規模かつ合理的な構造で幽玄な雰囲気に溢れています。総面積は5万平方メートル、そのうち主な建築物の面積は1万平方メートルあります。二王廟は東園と西園に分けられ、それぞれに庭園と建築群があります。廟はすべて地理的環境によって設計され、山を背景として建てられています。一般的な古代建築と異なり、二王廟は中軸線対称というスタイルをとっていません。周囲の環境の美しさもあり建築群は秀麗かつ壮大な姿を呈しています。
新しく建てられた李氷博物館内には李氷が水利の専門家として、また地方の官僚としての物語が紹介され、都江堰水利プロジェクトの各時代の様子も展示されています。廟の前にある内江と外江を繋がった安欄索橋は「中国古代五大橋」のひとつで、廟内の遠景楼からは都江堰の雄大な姿が眼下に広がっています。
2008年に起きた四川大地震では四川省のシンボルとしての二王廟は大きな損害を被りました。修繕工事はできるだけ元の材料を使い原案をもとに現地で行われました。修繕の計画、資金協力、技術及び人手の確保は国家文化局によって執り行われました。三年間の努力を重ね、二王廟は再び蜀の大地に佇んでいます。
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三星堆博物館

2018-05-30 08:35:31 | 海外旅行
三星堆遺跡
成都市から30キロ離れた広漢市で発掘された遺跡。最初に発見されたのは1931年だったが、学者たちの数十年の努力によって、現在遺跡の面積は12キロ平方メートル、そのうち古城城址の面積は3平方キロメートルと判断された。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙などの文物が発掘され、世界的な話題となった。この「三星堆遺跡」の出土品を公開するために、博物館が建てられ、出土品の一部は海外でも巡回展示されている。展示場面積は4000キロ平方メートルもあり、千点以上の展示物がある。

その他高度な技術によって製作されたものが多数展示されている。これらは黄河文明とは明らかに異なっており、殷末ごろに長江上流域で発達した文明の遺産とも推定されている。館内の売店で写真集、絵葉書、青銅器像のミニチュアのレプリカが買える。

三星堆遺跡の発見によって、古蜀国の歴史が4800年前に遡ることができました。三星堆遺跡からは世界で最も早く、最も高い青銅神樹を含め、多数の国家級の文物が出土しました。青銅神樹の像高(樹高)は384cmで、3階層になっている幹の各層に3枝ずつが張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっています。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っています。この巨大な神樹は中国伝説に記載された扶桑樹である可能性が非常に高いとされています。三星堆博物館に陳列されている青銅神樹は原物どおりに複製されたレプリカです。

国家級の文物である青銅製人物立像は高さ約260cmで、総重量180kgに達しています。外の長い衣裳は燕尾服に似ており、両手を前へ伸ばし、何かを抱え持っていたと思われています。こんな高い青銅製人物像は商の時代で唯一な存在として、世界でも最も大きな青銅製人物像です。

数多くの青銅製仮面の中に「千里眼、順風耳」という三つの文物は一番名を知られています。それらは巨大であるほか、奇妙に突き出した眼、獣のような大きな耳と耳のつけ根まで裂いた口を具えており、世界に類を見ない驚異と不思議が感じられます。仮面の口は微笑みをたたえており、神秘と親しみを感じます。

権威の象徴と思われる儀式用の「蜀王魚凫王杖」 は全長が142センチ、直径が2.3センチ、0.5キロの黄金が使用され、世界で最も長い金製の杖とされています。
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青羊宮

2018-05-30 08:20:14 | 海外旅行
青羊宮、成都市街地の西部に位置し、一環路沿いにあり、成都市で最も大きな道教寺院です。南に百花潭公園、武侯祠があり、西に杜甫草堂、東に二仙庵があります。最初は「青羊肆」と呼ばれていましたが、三国時代から「青羊観」と呼称が変わり、唐代になると「玄中観」と呼ばれ、唐の僖宗時代に「観」を「宮」にし、五代からまた「青羊観」と変わり、「青羊宮」となったのは宋代からです。現在青羊宮は中国の重要文化財に指定され、国内外から大勢の観光客が訪れています。

青羊宮の名の歴史的由来は、老子(春秋時代の哲学家、思想家、道教創案の中心人物)が青い羊に乗ってここで教えを説いたことからきています。唐代に建立されましたが、明代に焼失し、現在のものは清代に建てられたものです。主要建築物は南北一線上に並んでいる霊祖殿、混元殿、八卦亭、三清殿(無極殿)、玉皇閣(闘姥閣)、降生台、説法台、唐王殿(紫金台)などがあります。中でも三清殿と八卦亭によく特徴が表れています。

三清殿(無極殿)の面積は912㎡、石の円柱28本、木の円柱8本を使用し、殿内には「三清(道教の神様)」の聖像が祭られています。玉清元始天尊(真ん中)、上清霊宝天尊(左)、太清道徳天尊(右)です。殿前には二つの羊の銅像があります。1本角の羊は、清朝雍正時代に大学士の張鵬羽によって北京から運ばれましたが、全長90cm、高さ54cmで、十二支の動物の特徴を持ち、奇特な造形をしています。それぞれの身体部位が鼠の耳、牛の鼻、虎の爪、兎の背、龍の角、蛇の尾、馬の口、羊のひげ、猿の首、鶏の眼、犬の腹、猪の尻を持ち合わせています。残りの双角の羊は1829年(清の道光9年)に雲南の工匠陳文炳と顧体仁によって鋳造された物です。無病息災の願がかなう羊と言い伝えられてきた為、今でも参拝者が絶えません。

八卦亭八卦亭は下部は四角形、中部は八角形、上部は丸形の三層からなっています。亭の内外には全部で81匹の龍が彫られています。内部には、老子が青い牛に乗って、函谷関を出るという神像が祭られています。隣接する文化公園では毎年「春節灯」祭りと[花祭り]が開催されます。「花祭り」の開催される、旧暦の2月15日、この日はは老子の誕生日であると言い伝えられています。
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