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武侯祠成都市内観光 成都観光お勧め 成都現地旅行会社

2018-10-28 07:30:38 | 旅行
武侯祠
成都市市内にある三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社です。6世紀ごろから建てられ始め、明代には隣接する主君・劉備玄徳の陵墓、漢昭烈廟と併合されました。孔明の贈り名である忠武侯にちなむ武侯祠として親しまれています。戦火のため、現存する建物は清代康熙の1672年に再建されたものです。
3.7万平方メートルの広大な境内には、南北方向の中軸線に沿って大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五つ主体建築があります。劉備殿には金泥の劉備像が安置され、側棟には関羽、張飛ら文官、武官の塑像があります。諸葛亮殿には、孔明の像や南征時に鍋や銅鑼として使ったという、諸葛亮自ら作ったといわれる青銅製の巨大な諸葛鼓などの文物が納められています。
また、大門を通ると、生い茂る緑の中に六通の石碑があり、中でも孔明を称えた唐代の809年建立の石碑はかなりの文物価値を持っており、"三絶碑"と呼ばれています。これらは唐代の著名宰相裴度が作った碑文、書法家柳公権が書いた書、名匠魯建が彫ったもので、いずれも卓越しています。
杜甫草堂
杜甫草堂は唐代の詩人-杜甫が成都に住んでいた時の住居です。759年から約4年間、杜甫は安禄山の乱を逃れるために成都に移り住み、絵のように美しい街の郊外にある浣花溪のほとりにあばらやを建てて質素な生活を送りました。彼の全作品1400首のうち、代表作を含む247首がここで生まれました。唐末期には杜甫を称えるためにあばらやの跡地に草堂が建てられましたが明代になり再建されて今日に至っています。1811年、杜甫草堂の規模とレイアウトが決められ、記念となる祠と詩人の旧居が一体となった博物館のようになっています。古めかしく素朴な雰囲気に溢れ、幽玄の美として名声を博しています。
杜甫草堂は清の嘉慶皇帝の時代に建て直された際の設計をそのままに、総面積は300ムー(1ムー=6.6アール)あります。庭園は非常に独特で、いわゆる「混合式」という中国の古典庭園様式です。博物館はそれぞれ文物観光スポット(草堂の旧跡)、庭園(梅園)、サービスゾーン(草堂寺)に分けられています。草堂旧跡内には照壁、正門、大廨、詩史堂、柴門、工部祠が一直線上に配されており、回廊は左右対称で、その両側にはその他付属建築物があります。間を水が流れ、小さな橋が連なり、竹林が茂り、荘厳かつ古風質素、静かで静寂な雰囲気を醸し出しています。
杜甫草堂の中にある記念となる祠の中心的な建築は詩史堂です。真ん中には彫刻家の劉開渠によって彫られた杜甫像が置かれ、堂内には歴代の有名人が書かれた絵馬が陳列されています。工部祠内には杜甫の肖像画が祀られています。祠の東側には「少陵草堂」という石碑を保護するためのあずまやがあり、それは杜甫の暮らしていたあばらやを象徴しています。
成都杜甫草堂の博物館には貴重な資料が3万冊以上、文物も2000件以上保存されています。宋、元、明、清の時代に杜甫の詩を彫刻したもの、影印本、写本及び近代の様々な印刷物、そして15種の言語の翻訳本があります。朝鮮、日本に伝わった120余りの漢語版も保存しています。ここは杜甫の生涯にわたり作られた詩がたくさん最もよく保存されている所といえるでしょう。成都杜甫草堂は詩聖によって世界的にも有名です。
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成都パンダ基地観光及び三星堆博物館の日帰りツアー

2018-10-27 07:35:59 | 旅行
成都パンダ基地
成都ジャイアントパンダ繁殖センターは、成都市の北部郊外(市内から約10km)の斧頭山に位置していて、広いパンダ道によって繋がっています。ここは国内でパンダなどの貴重で、かつ絶滅に瀕する野生動物を保護するために設置された主なセンターの一つです。年間を通して、ジャイアントパンダ、レッサーパンダ、鶴、コウノトリ、ガチョウ、オシドリ、クジャク、白鳥などの動物を飼育しています。緑に恵まれ、空気も新鮮なセンター内には、大自然的の野外風景と人工的な景観がバランスよく調和して、各種類の絶滅危惧種の動物が、のんびりと生活しています。
成都ジャイアントパンダ繁殖センターでは、各種のパンダの繁殖に必要な施設が揃っています。動物の飼育室、飼料室、治療室、パンダ記念館、研究用の建物が建てられ、またパンダの食糧用としての竹と灌木(かんぼく、丈の低い木本植物。)も植えています。記念館内には、各種の貴重な写真が800枚余りを展示し、四川省各地から採集した動物の標本2000種余りも展示されています。
三星堆遺跡
成都市から45キロ離れた広漢市で発掘された遺跡。
最初に発見されたのは1931年だったが、学者たちの数十年の努力によって、現在遺跡の面積は12キロ平方メートル、そのうち古城城址の面積は3平方キロメートルと判断された。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙などの文物が発掘され、世界的な話題となった。この「三星堆遺跡」の出土品を公開するために、博物館が建てられ、出土品の一部は海外でも巡回展示されている。展示場面積は4000キロ平方メートルもあり、千点以上の展示物がある。
その他高度な技術によって製作されたものが多数展示されている。これらは黄河文明とは明らかに異なっており、殷末ごろに長江上流域で発達した文明の遺産とも推定されている。館内の売店で写真集、絵葉書、青銅器像のミニチュアのレプリカが買える。
国家級の文物である青銅製人物立像は高さ約260cmで、総重量180kgに達しています。外の長い衣裳は燕尾服に似ており、両手を前へ伸ばし、何かを抱え持っていたと思われています。こんな高い青銅製人物像は商の時代で唯一な存在として、世界でも最も大きな青銅製人物像です。
数多くの青銅製仮面の中に「千里眼、順風耳」という三つの文物は一番名を知られています。それらは巨大であるほか、奇妙に突き出した眼、獣のような大きな耳と耳のつけ根まで裂いた口を具えており、世界に類を見ない驚異と不思議が感じられます。仮面の口は微笑みをたたえており、神秘と親しみを感じます。
権威の象徴と思われる儀式用の「蜀王魚凫王杖」 は全長が142センチ、直径が2.3センチ、0.5キロの黄金が使用され、世界で最も長い金製の杖とされています。
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成都旅行 成都現地旅行会社 成都現地発ツアー  成都市内観光

2018-10-21 05:17:30 | 旅行
成都は2300年あまりの歴史があり、中国西南部で開発が一番早い地区です。
紀元前四世紀、蜀国開明王朝は成都に遷都しました。成都という名前の由来は「周太王は岐山まで移して、1年で村落が成り、3年で都が成りました」からです。成都は現在まで使用されています。紀元前316年、秦国は巴蜀を併呑しました。紀元前311年、秦は城壁を修築しました。紀元前106年、漢武帝は成都に巴、蜀、广漢、[牛建]為四部を管理する益州刺史部を設置しました。
秦時代の末、漢時代の初、成都は「天府」(天然資源の豊富な地域という意味です)と称されました。秦、漢時代には、成都の経済、文化が発達しました。秦時代の成都は全国でも大都市でした。漢時代、成都の紡織は発達して、「錦官城」(錦織の職人を集めて、錦織業を管理する)を設置しました。成都の別称――「錦城」はこれからきています。そのほか、漢時代、成都の文化芸術も高いレベルに達していて、司馬相如、揚雄、王褒は当時の有名な文学者でした。
隋唐時代、成都の経済が発達し、文化も繁栄、仏教が盛んになりました。経済では「揚一益二」(揚州が一、成都が第二位)という言い方があります。成都は中国雕版印刷術の発祥地でした。唐代後期、大部分の印刷品は成都産でした。また、文学のほうでは、李白、杜甫、王勃、盧照隣、高適などの文学者は、成都に居留したことがあります。唐貞観年間、建元寺を建造され、大中年間に「昭覚寺」に改名し、「川西第一僧林」と呼ばれています。
宋元時代、成都の東、西、南、北は専門的なカイコ、薬、花の市場がありました。成都では商業発展のため、世界で一番早い紙幣――交子を発行するようになりました。北宋時代仁宗の時、益州(成都)で国営の交子業務を取り扱う機関が設置されました。
宋元以降、成都は四川、西南地区の政治、経済、軍事、文化の中心になりました。明時代、朝廷は四川で布政使司(行政単位です)を設置しました。紀元1654年、清時代順治帝は四川布政使司を四川省に変えました。「四川省」という省名が初めて使われました。
1928年、国民政府は成都市を成立して、成都を四川省の省会(省政府所在地)としました。1949年成都が解放されて、川西行署(省政府と県政府の間に設けられた地方行政機構)所在地となりました。1952年四川省は復活、成都も省会に復帰しました。
武侯祠
成都市市内にある三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社です。6世紀ごろから建てられ始め、明代には隣接する主君・劉備玄徳の陵墓、漢昭烈廟と併合されました。孔明の贈り名である忠武侯にちなむ武侯祠として親しまれています。戦火のため、現存する建物は清代康熙の1672年に再建されたものです。
3.7万平方メートルの広大な境内には、南北方向の中軸線に沿って大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五つ主体建築があります。劉備殿には金泥の劉備像が安置され、側棟には関羽、張飛ら文官、武官の塑像があります。諸葛亮殿には、孔明の像や南征時に鍋や銅鑼として使ったという、諸葛亮自ら作ったといわれる青銅製の巨大な諸葛鼓などの文物が納められています。
また、大門を通ると、生い茂る緑の中に六通の石碑があり、中でも孔明を称えた唐代の809年建立の石碑はかなりの文物価値を持っており、"三絶碑"と呼ばれています。これらは唐代の著名宰相裴度が作った碑文、書法家柳公権が書いた書、名匠魯建が彫ったもので、いずれも卓越しています。
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成都旅行 成都観光 成都現地ツアー 成都現地発ツアー

2018-10-16 08:10:42 | 海外旅行
 成都は四川省中部、四川盆地の西部にある岷江の中流に位置し、平原と丘陵や山地がそれぞれ面積の半分を占めています。成都は四川省の政治、文化、経済の中心地です。成都平原は土地が肥えている上に都江堰の大型の水利施設に恵まれ、古くから物産が豊かなため「天府の国」と呼ばれてきました。
 昔から「天府の国」と称されてきた成都は、物産が豊富で気候に恵まれています。名所旧跡はいたる所にあり、伝統工芸品は広く国内外に知れわたっています。民俗風情や田園風光、パンダなどの観光資源は多くの観光客を引きつけています。
 成都は亜熱帯気候に属し、湿度が高く日照も少なく、一年を通して曇りの日が多いところです。7~8月には雨が集中し、冬と春には乾燥して雨が少ないです。また雪もあまり降りません。
成都旅行スポット
 成都に来ると「絶対離れたくない。」とよく言われます。ここは完備している施設、三国の旧跡や世界自然遺産などが数多くあるほか、とても美味しい四川料理もあります。個人ツアーの方はパンダカードを作った方がよいでしょう。そのカードを持っていれば、成都市内や周辺の観光スポットをもっと楽しむことができます。武侯祠、杜甫草堂、劉氏荘園、永陵博物館は歴史上の人物をテーマとしていて、それぞれの物語があり、観光客は異なった歴史に浸ることができます。成都の北の郊外にあるパンダの繁殖基地は景色が美しく、パンダ、レッサーパンダ、オグロヅル、 コクチョウ等の絶滅にひんしている動物がここでのんびりと生活しています。
成都の交通情報
 成都は地理的位置にも恵まれており、双流国際空港は中国の6大空港の1つであります。成都駅は中国西南における最も大きな旅客駅であります。宝鶏、重慶、昆明鉄道線各方面に向けて出発しています。長江に沿って下れば東の三峡に行くことができます。西には神秘の色に包まれたチベット、九寨溝、黄竜寺などがあります。北に位置する西安へのアクセスもよいです。南には峨嵋山や楽山大仏などの観光地もあります。
成都 グルメ
 成都や重慶といった都市がある四川省は、盆地で周りは山に囲まれているので夏は蒸し暑く、冬は霧が濃く晴天の日はほとんどありません。四川料理はこのような独特の気候風土をもとにして生まれた料理で、味の特徴は、酸味が利いているほか、“麻辣”と言われる味つけがあります。
 “麻”とは舌が痺れるような山椒の味、“辣”は唐辛子の辛さを表しています。長江の上流にある四川盆地は「天府の国」といわれ、古来より豚肉、牛肉、鶏、川魚、野菜などの食材が豊富にあります。四川省の周りには海がないので乾物も多く使用されるほか、“小吃”という手軽に食べられるファーストフード的なものが多いという特徴もあります。
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成都観光 成都市内観光 成都観光お勧め

2018-10-11 08:11:49 | 旅行
成都市内には大した観光地はないのですが、やはり九寨溝へ行くために立ち寄る人が多いのではないかと思います。以前はチベットへ飛行機で行くためにここに来る人も多かったと思いますが、鉄道ができてからも、とりあえず成都に来てみるバックパッカーも多いんじゃないかと思います。
 2012年に再訪しました。敦煌から昆明へ向かうのに列車の都合で。せっかく来たからにはと、まだ見ていない成都の城壁を見て回りました。
武侯祠
 三国志関係です。武侯祠とは諸葛亮を祀ってるとこです。でも敷地内には、劉備を祭ってる漢昭烈廟や劉備の墓の恵陵などもあります。君主は劉備なのに諸葛亮が主役になってます。入場料60元。三国志に興味がなければ行っても無駄かと思います。
 漢昭烈廟。金色に光ってるのが劉備。
 右側に文官が並んだ文臣廊、左側に武官が並んだ武将廊があります。
 こちらが恵陵。
 イチョウがきれい。成都の市樹らしいです。
 武侯祠。光ってるのは諸葛亮。
成都城城壁
 清代の城壁です。毛沢東の指示にて撤去されたようですが部分的に残っています。その残ってるところを回ってみました。
 城の北北西あたりにある北較場西路に残る城壁。結構修復されてます。
 城の東のほうの北順城街にある城壁。10年くらい前の情報を元に探したのですが、なかなか見つからず。もしかしてと思いマンション群の入り口から中庭を覗いてみるとありました。四方をマンションで囲われ一般人が入れないようになってました。守衛の人に「5分だけ」と頼み込んで中に入れてもらい撮影しました。
 ただの壁ではなく階段などがあり複雑な形状しており大変興味深いです。もっとゆっくり見たかったのですが、上記理由のため写真を撮ってすぐに出て行きました。
 城の南東にある青蓮下街の城壁。ここにはちゃんと「成都東門城牆遺址」と書いた石碑が立ってます。
 南のほうにあるというところにも行ってみたのですが、そこもマンションの中のようだったので諦めました。他にもいくつか残ってるところがあるみたいです。
温江城城壁
 温江区の中心にある城壁。もともと温江県でその県城でした。城南古郭と書いてあり、城壁が一部分だけ残ってます。
温江区博物館
 大したものはありませんが上記城壁の近くなのでついでにどうぞ。入場無料。
楽山
 峨眉山からバスで移動して来ました。もともと天気が悪かったですが、ここは川沿いだから霧のようになってました。なんだかテンション下がります。ちょっと観光して、その日のうちに成都に移動しました。
城壁
 川に沿って城壁があります。近くから見てないのでどんなのかわかりません。近くに行けたのに、行きませんでした。やっぱり行っとけば良かった。
 楽山大仏側から撮影。霧じゃなければ、もう少し良くみえただろうに。
楽山大仏
 入場料80元。高いですが、やはり近くで見る価値はあるかと思います。
 入場料を払わなくても、川の対岸から全景が見えるようですが、霧がひどかったので見に行くのはやめました。
峨眉山
 楽山大仏と一緒に世界遺産になってます。複合遺産らしいですが、自然より、寺関係の文化面の比重が大きそうで、あまり興味はありませんでした。登ろうか悩みましたが、とりあえず麓まで行きました。
 駅前の広場。NHKの中国鉄道の番組で見たような記憶があります。サトウキビ食べてたような。
 駅は市街地から離れてます。
 峨眉駅。なぜか峨眉山駅ではありません。
 時刻表を見ると、眉山駅と書いてます。何で?
峨眉山
 駅から市内バスを乗り継いで、山の麓まで行きました。
天気悪いけど、うっすら見えるのは峨眉山のかな?
 入山料150元、山を登るバスも片道40元と高いうえに、天気も悪いし興味もないので、やっぱり登るのはやめました。
作ったような滝。
 周辺を歩いていると、白タクみたいのに何度も話しかけられました。山の上まで乗せてくれるそうです。チケット確認ゲートも突破してくれるかも。自分はもう行く気はなかったので、ちゃんと話は聞いてませんが。
報国寺
 山のふもとにある寺。入場料8元。
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