九寨溝ツアー|九寨溝現地ツアー|成都現地ツアー|成都パンダツアー|成都パンダボランデイア|成都現地旅行会社

雅安碧峰峡基地ツアー九寨溝ツアーと四姑娘山と成都観光成都現地旅行会社http://www.pandatabi.com

九寨溝地震ツアー

2018-04-28 08:15:26 | 海外旅行
九寨溝は中国四川省北部アバ?チベット族、チャン族自治州九寨溝県にあり、成都市から約400㎞離れています。2003年に新たにオープンした九寨溝黄龍空港からは一時間半で行くことができます。総面積延べ620?に達する九寨溝一帯に9つのチベット族の集落があることからその名が付けられました。区域内は約52%の原生林に覆われており、パンダの大好物である笹や珍しい植物や花が多く、パンダや金糸猿、白唇鹿などの中国第一級とされる保護動物も多く生息しています。約40㎞の長さにわたっている渓谷は人跡未踏な場所が多く、その景観は自然そのままの状態を大事に保存されており、中国でもっとも美しい水を有する姿は「童話世界」と称えられています。
九寨溝は白い雲や青い空、雪山、瀑布、湖水と様々な環境が織りなす自然景観は、あたかも神によって造られた天然の大傑作といわれています。特に眼前に広がる独特の青い水が印象的で、数々の池や湖がエメラルドグリーンに輝いています。この場所は2005年5月に中国5A級の観光地に指定され、中国で唯一ユネスコの「世界自然遺産」と「世界生物圏保護区」の2つに登録されることになりました。九寨溝は類まれな珍しい自然景観に恵まれていることから「人間仙境」という名を持っています。
九寨溝の観光の特色としては翠海(エメラルド色の池)、畳瀑(重なる滝)、彩林(豊富な色彩に富んだ森)、雪峰(積雪の山)、チベット民族の風情という5つのポイントに分けられます。観光コースとして開発されたルートはⅤ字状に分かれており、岷山山脈から流れる水が滝を作り出し、湖や沼が広がっています。九寨溝は長海、剣岩、諾日朗(ノーリラン、「神様」「雄大」などの意)、樹正、扎如、黒海という六大観光区域に分かれており、主な観光スポットとして、宝鏡岩、盆景灘、蘆の海、五彩池、真珠の灘、鏡海、犀の灘、諾日朗瀑布、火花海、長海などが数えられます。
「真珠の灘」といわれている滝は、まるで一面がきらきら輝く真珠のように見え、滝の水が断崖絶壁から一斉に流れてくることから命名され、その無数の真珠のごとく飛び散る滝の迫力に圧倒されてしまいます。五花海は水底に広がる景色がとても色鮮やかでエメラルド色に染まった水底に堆積した枯れ木が炭酸カルシウムの作用により、珊瑚のような結晶に変化しました。さらに太陽の光を受けると、色鮮やかな光を反射し、「九寨溝の圧巻」、「九寨溝の一絶」とも呼ばれています。
秋になると落ち葉が水面に舞い落ち普段と違う特別な趣を見せてくれます。「犀の灘」は九寨溝で2番目の大きな「海子」(湖)であり、時間帯により水面の色彩が変化します。人々はその幻想的に変化につい心奪われてしまいます。「蘆の海」は一面の蘆が高山からの風になびき、人々に何か囁きかけるかのようです。「盆景灘」は標高が低く巨大な盆栽のようであることからこう呼ばれました。「樹正瀑布」は九寨溝第一瀑布群として7kmにわたる範囲に約40か所の池が連なっています。そしてそれぞれの池と池の間には落差があり、溢れた水が低い池の方へ階段状に流れていきます。このようにして生まれた瀑布群は世界でも珍しく観光客の目を存分に楽しませてくれます。
http://www.sctabi.com

四川観光

2018-04-28 07:58:33 | 海外旅行
達古氷河
四川省阿ハチベット族とチャン族自治州に属しているチベット族自治県で、総面積は4165平方キロ、岷山山脈とキョウライ山脈の2大山脈の末端に位置しているため、境内平均海抜は3544mです。海抜3800m~5100m山地で形成したアジアでも珍しい現代氷河ー達古氷河、 黒水県の総人口約5,7000人、チベット族総人口は92%を占めています。歴史悠久な黒水チベット族が皆歌と踊りが上手で、代表的な民族踊りは「出征舞」と「鍋荘舞」です。

黒水県蘆花鎮に位置する達古雪山の海抜3800メートルの一帯から5100メートルの一帯は達古氷河と呼ばれています。永年雪に覆われている多くの山峰が聳え立ち、雪山の北麓と南麓には厚さ60から200メートルの現代山地氷河が形成しています。特に面積が8.25平方キロある三段氷河は、この景勝地の観光スポットの目玉と見なされています。氷河のほか、滝、湖、原生林、野生のツツジ、高山草原などの景観も絶対に見逃すことができなません。特に秋になると、木々が赤や黄金色の衣(ころも)に着替え、鮮やかな風景は人々の目を奪うものとなります。

1992年、山の奥に隠されている氷河は日本の科学者は衛星で発見されました。同年8月遠路はるばる黒水県に来て、一週間ぐらいの考察を行いまして達古氷河は世界に目を引かれました。風景区内には多様な生物が生息しております。野生の植物は611種類、野生の動物は153種類、 金糸猴やカモシカなど数種類の稀有野生動物がよく見えます。雅克雪山(海抜4443メートル)、昌徳雪山(海抜4283メートル)は歴史紅軍がいろんな困難を克服して越えた雪山です。達古氷河の観光開発には、8億元が投下されており、海抜3600メートルの一帯を起点とし、4850メートルの一帯を終点とする全長3700メートルのロープウェーも整備されることになっています。
http://www.sctabi.com

峨眉山現地ツアー

2018-04-28 07:43:17 | 海外旅行
峨眉山
1996年には文化面、環境面両方が考慮され、楽山大仏と共に「峨眉山と楽山大仏」としてユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録された。
峨眉山は道教や中国の仏教で言うところの聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(浙江省の普陀山、安徽省の九華山、山西省の五台山、四川省の峨眉山)の一つである。
峨眉山の麓から山頂までは、高度の極端な差から3つの異なる気候帯にわけることができる。山全体に及んで降雨量が多く曇った日が多いが、植物の種類は約三千種、動物は約二千種にも及ぶため、「植物?動物の王国」とも称されている。
山の上には寺院が多く、見所として特に有名な寺は「報国寺」、「伏虎寺」、「清音閣」、「万年寺」などである。現在最大の寺院は登山口近くの報国寺で、境内には峨眉山の模型や資料が展示されている。また、万年寺には高さ7.3メートル、重さ62トンの白い象に乗った銅製の普腎菩薩像があり、中国の重要文化財として指定されている。この62トンもの普腎菩薩像が、どのようにして山奥の万年寺まで運ばれたのかは、未だ現在謎のままである。一番高い峰が万仏頂(標高3098m)で、頂まで32の名刹が続いている。
峨眉山の全山には50km以上続く、石段の道が築かれている。山頂を目指す仏教信者や、山にこもって修行する僧が住むために、かつて明清時代の最盛期には100以上の寺院があったという。現在、寺院の数は数箇所に減ってしまったが、自然にとけ込み
http://www.sctabi.com

楽山大仏現地ツアー

2018-04-27 08:37:51 | 海外旅行
楽山大仏は凌雲大仏とも呼ばれ、岷江、青衣江、大渡河の合流する凌雲栖霞峰山に営造されています。楽山大仏は唐代開元元年(西暦713年)に営造を始め、貞元19年(西暦803年)に完成されたものであり、約90年かかるほどの未曾有の大工事でした。この大仏は弥勒菩薩に肖り造られたものであり、71Mも高く、世界で最も大きい石彫り式の坐像大仏として歴代の人々から仰がれてきました。
記載によると海通禅師が大仏の工事を始めたばかりの時、土地の官吏が難癖をつけに来ましたが、最後まで大仏を完成させようという決心を見せるために禅師が毅然として自分の目玉を潰して官吏に見せたという話があります。海通禅師の揺るぎない態度に感化された官民がとうとう一丸となり、大仏造りの作業に取り組んできました。海通禅師が園寂したあと、一度、工事が滞りましたが、再び工事が再開され、西暦803年に、ようやく完成を成し遂げました。この大仏はよく「山が一体の仏であり、仏が一つの山である」と称えられています。1996年12月、峨眉山風景区に納められ、ユネスコの「世界自然と文化遺産名録」に登録されることになりました。
大仏は頭部が山の頂きに当たり、両足が川を踏みしめるように静坐の姿勢を見せ、両手が膝の上に載せて、プロポーションもよくできています。おっとりとした構えを見せながら、柔和な眼差しで、前方の楽山市を見守ってきました。大仏の頭が高さ17、4M、幅10Mであり、頭に髷が1051個結ばれています。耳が長さ7Mあり、鼻や眉の長さが共に5、6Mに達しています。そして口と目の長さが3、3Mであるほか、首だけが3Mもあります。このほか、大仏の肩が24M 、指の長さが8、3M、膝から足の甲までが28M、足の甲の幅が8、5Mとなっています。足の甲だけでもに約百人が座れるほど、比類のないまでとなっています。更に大仏の両側の川に面する絶壁に高さ10Mで、両手に武器をしている武士模様の守護神が二体、刻まれているほか、千体以上の小さい仏像が岩肌に彫刻してあることから、規模の大きい仏教芸術群として話題を呼んでいます。
楽山大仏とつながりのある観光ポイントとして唐代に建立された凌雲寺(古代は大仏寺とも呼ばれた)、霊宝塔、東坡楼、東方仏都、麻浩崖墓、烏尤寺などが数えることができます。凌雲寺は大仏の「頭」の後ろにあり、歴代による修繕や補強工事が繰り返され、正面玄関に蘇東坡の新書の「凌雲禅院」という四文字が飾っています。境内の「海師堂」に、大仏の営造の功労者である海通禅師、章仇兼?、韋皋の人物像が祭られています。霊宝塔は岷江、青衣江、大渡河の合流する場所の標識であり、むかしから船の安全運航の道しるべとして利用されてきました。今、嘉州古城のシンボルとして貴重な文物にも指定されています。
東坡楼は東坡読書楼とも呼ばれ、入母屋造り様式の建物です。玄関には宋代の著名な書道家である黄庭堅の書いた「東坡楼」という三文字が飾られており、本堂には蘇東坡の坐像が安置されえています。東方仏都は1994年に観光客に一般開放され、延べ20万平方メートルに達する敷地面積の範囲にわたり国内外に名高い仏像3千体あまりが巧みに造られ、展示されています。麻浩崖墓は1800年ほど前の東漢に、当時の風習に応じて山の崖に造られた崖墓のことです。最初、山の崖に正方形の穴を削り、死者の遺体と遺物を納めるという風習なのでした。長さ200M、幅25Mになっている場所にも関わらず544の崖墓が密集しており、遠くから見れば巣箱のように見えます。規模が大きいばかりではなく様々な模様や内容を描く壁画も優れており、1988年、国の重要文化財と指定されることになりました。
http://www.sctabi.com

成都現地ツアー

2018-04-27 08:15:36 | 海外旅行
平楽古鎮は四川省成都の西南部にある??市に位置し、成都市から93㎞の距離にあります。この古鎮の敷地面積は70平方キロメートルで、中には明清時代に建築されていた建物があり、昔から「一平、二古、三夾関」と言われてきました。平楽古鎮の歴史は上古まで遡り、2000年以上の歴史を歩み続けて「平落」と呼ばれたことがありました。また、平楽古鎮は自然の緑に覆われた中に独特の歴史的、文化的な雰囲気に包まれています。古鎮の西方を流れる美しい白沫江が長年にわたり古鎮独特の田園風景を形作りました。
平楽古鎮は紀元前150年ほど前には町としての歴史を発足させており、以来地元の人々の手によって築かれた古い石畳みや古寺、古橋、大木、堰、牌坊、路地などにはいずれも歴史のロマンを含んでおり、村から聞こえてくる古い民謡が古鎮の純風美俗を美しく伝えています。地理と気候に恵まれた平楽古鎮は山いっぱいに生えている竹を活かし、宋の時代から製紙の里として発展してきました。また、宮廷へ納める貢物であるお茶の産地としても有名で康熙皇帝からは「天下第一の圃」という証を授けられています。平楽古鎮を構成する古民居は大小合わせて33本の街道によって区切られており、一階が商品の売買を行う店として機能し、二階以上が住居となっています。その建物の殆どが木造で、釘を使わずにホゾとホゾ穴が組み合わさって造られ、屋根には黒一色の瓦が敷かれています。これら古民居は魚の骨のような形をしていて、それぞれの接続部が荷物の運搬に便利な港となっています。古民居の屋根は全体が整然として高低起伏のある美観を生み出しています。現在も明清時代の風貌を彷彿させる22本の街道が残されており、そのスケールの大きさと統一された均一美で四川省西部において名高い観光スポットであり、四川省西部最大の古民居群と称されています。
平楽古鎮は宗教文化の息吹が濃厚なところでもあり、昔から数多くのお寺や祠が建立されましたが文化大革命の時代にそのほとんどが壊されてしまいました。金華山の天宮寺の岩肌に刻まッれた現存する大仏は唐の時代のものであり、その厳かな雰囲気は生き生きとした生命感さえ感じさせます。また岩肌に丁寧に造られた「空を駆け巡る馬」の遺跡は中国全土にも二枚しかないことから重要文化財に指定されています。ほかにも1860年に建てられた楽善橋は四川省で最大規模の古代における石造アーチ橋があります。平楽古鎮にはシルクロードの通り道であったとされ、その証となる巨大な栗石で築いた道が広がっています。さらに、この古鎮は74ヶ所の製紙遺跡が発見されており、その存在は高く評価されています。最後に、平楽古鎮の歴史を静かに物語っているのが唐宋時代に植えられたガジュマルの大木群であり、まるで緑の傘のように炎天から古鎮を守っています。このような古い歴史に育まれた平楽古鎮には独特の民俗行事も多く存在しています。紙の原料とされたカラムシが砕ける際には労働の歌を人々の間で歌う習慣が定着しており、平楽古鎮のユニークな文化現象として高く評価されています。ほかにも平楽古鎮の竹細工やお茶、木彫り、木の根彫り工芸など長い歴史の中で伝承され、多くの人々を魅了しています。
http://www.sctabi.com