さて、小田様の本拠でもある潤井戸の白幡神社。学園通りからスーパービバホームともりまちショッピングセンターの間を抜け、潤井戸橋を渡り市津消防署を過ぎて三叉路を右に。茂原街道を横切り市津郵便局前を過ぎて左に鎮座されています。潤井戸は茂原街道の内房、外房のちょうど中間地点にあたり、駅が設けられていた地です。結構栄えており昔は銭湯もあったとのことです。当然それなりの人口を抱え、氏子さんも280戸と周辺では最も大きな神社です。社伝によれば第29代欽明天皇13年の創立で、代々の武将並びに領主の崇敬厚く、例祭には年々神輿の渡御が行われるとのことです。
欽明天皇は継体天皇の子息で、その4代後の天智天皇により大化の改新が行われ、その弟である天武帝により律令政治が完成されることになります。言ってみれば、現天皇家の直系のご先祖にあたります。まあなんと古いご由緒と・・・。
明治元年にそれまでの白幡大明神から、白幡神社に改称され、今日に至ります。
白幡神社という社名は関東にはいくつかございまして、源氏の白旗からイメージされるように、源の頼朝や、八幡太郎義家などが祭神となっていますが、こちらはなんせ清和源氏なんぞは遥か遠くの欽明天皇時代の創立でありますので、当然御祭神は異なります。
こちらの御祭神は誉田別命。すなわち八幡神社さんと同じ、神話では日本武尊の孫にあたり、明治以前に神様として崇められた唯一の天皇であらせられる、応神天皇でございます。
社殿は昭和54年に改築されており、本当に小奇麗で清冽な社殿です。ことに桜の季節は見事な景観で桜の花弁で境内は薄桃色に覆われます。
ご祭礼は10月13日ですが、今年はコロナのゆえにこじんまりと内内でとのことなのでしょう。
(その二)
市津消防署から三叉路を左に、市津公民館を抜けると通りから少し入ったところに、こじんまりと、でも何か素敵な瓦ぶきの、いかにも神社という立たずまいが。こちらは下野の村社であった浅間神社でございます。氏子さんは31戸とのこと。こちらも子安神社が境内に。祭神は浅間神社ですので、日本一の美女神様の木花佐久夜姫命(このはなさくやびめのみこと)でございます。祭神の雰囲気そのままのなにか美しい社殿と感じます。
こちらは元和2年(江戸時代初期1616年)3月に領主永井尚政転封の際、本神社創建と社伝にございますので、この付近では比較的新しい創建となりますね。