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雷神様 その一

以前(2022年9月)ちょうど2年前になりますが、2回に分けて風の神様を本ブログでも取り上げました。
俵屋宗達に代表される、日本画では風神と雷神はセットになっており、浅草の浅草寺の「かみなり門」も正確には「風神雷神門」でございます。
わたくしは京都の国立博物館の前にございます、平清盛創建といわれる、1001体の千手観音で有名な蓮華王院(通称三十三間堂)にございます、風神雷神像が好きなのです。勿論千手観音の並ぶ裏手に並ぶ、観音の眷属像も、特に帝釈天は大好きです。

風も2021年8月に野分として取り上げた台風くらいになると、大きな災害となりますが、日本では地震・雷・火事・おやじ(人間の父親ではなく、台風などの大風を指すとも)と唱えられるように、雷は非常に怖い。エネルギーとしても瞬時の自然災害としては格別なものです。まあ、雷親父という比喩もございますので、昔の親父もそれなりに怖かったのかもしれませんが、現在は死語でございましょうか。
無論他に自然災害として怖いものを挙げるとキリは無く、火山の噴火とか竜巻などもありますが、その発生件数で言えばかなり身近でもあり、あの音と光は圧倒的に心臓に佳くない。まあ、稲光につきましては、被害さえなければ遠目には非常に美しいものではございますが。

 
本グラフは落雷の被害を月別にしたものです(気象庁HPより)。あきらかに夏の時期である7月8月に集中しています。

気象庁のホームページによれば「大気中で大量の正負の電化分離が起こり、放電する現象で、放電に際して発生する音が雷鳴で、光が電光(いなずま)。雲(雷雲)と地上の間で発生するのが、対地放電(落雷)で、雲の中や雲と雲の間で発生するのを雲放電」と定義されています。
ただ、この雲の中で電位差が生じる原因につきましては、諸説あるようでまだ、研究の対象というから面白いですね。気になる方はWikipediaなどでご確認頂ければと思いますが。

さて、この圧倒的で瞬間的なエネルギーは「かみなり」の語源となる「神鳴り」から、神々のなせるみわざとか、大いなる神の武器として扱われています。
世界の代表的な神話では、かのギリシャの大神ゼウスの武器であり、同じ系統ではローマ神話のユピテル(英語読みではジュピター)、バラモンの帝釈天インドラの武器でもあり、これらの神々は最高神でございます。更に北欧神話のかっての最高神であるトールの武器でもあります。北欧神話の最高神はその後オーディンになっていきますが。
このトールは、映画のシリーズでもおなじみの、アベンジャーズ(アメリカンコミック)に登場するマイティ・ソーのモデルでもあります。Thorを英語読みにすればソーになりますので。武器であるミョルニル(意味は打ち砕くもの)は雷の鎚(ハンマー)であり、ゼウスやジュピターの使う武器としての親和性もございます。
同様にスラブ神話での最高神もペルーンと呼ばれ、石臼に乗って(これは想像がつかないのではございますが)空を飛び、稲妻を放ち、雷鳴を轟かせるという、同様の性格を持っています。

これらの神々は自然現象のかみなり同様に、無慈悲で最強の神さまであるのは間違いありませんが、まあ神というのは基本的な性格としてそういうものかもしれません。

中には例えば太平洋の国々でのハワイのペレ、マオリ族のワイティリ、イヌイット(アラスカ)のカドルというように、雷が女神という地域もあるそうです。性格はペレに代表されるように、美しく情熱的ですが、嫉妬や怒りから人々を焼き尽くすという、気性の荒いところはいかにも雷神ではあるようです。

例によって本邦の雷にご縁のある神様についてです。まずは、古事記、日本書紀に出てくる雷神を紹介致します。これらの神話以外にも地方や、後の世に雷神となった神々もいらっしゃいます。
記紀の神産みにおける、カグツチによって命を亡くした伊邪那美の場面では、伊弉諾がカグツチの首を切り落とした際に、剣の根元に付着した血が岩に飛び散って生まれたとされる、建御雷(三神の一柱で、タケミカヅチ)が最初の雷神でございます。鹿島神宮や、春日大社の主神である、かの神の活躍は後ほど。

次に出てくる雷神は、伊弉諾が伊邪那美を追ってまいります黄泉の国で、古事記と書記では多少記述は異なりますが、伊邪那美の五体にむらがる(古事記では伊邪那美より生じたとあり、伊邪那美の子という位置づけでもあります)8柱の雷神が出て参ります。頭部に大雷神、胸に火雷神(ほのいかづちのかみ)、腹に黒雷神、陰部に咲雷神、左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神の8柱です(火雷大神)。
伊弉諾はこれらを振り切って中つ国に戻り、三貴子などを産んでいきます。

このうちの1柱である火雷神(乙訓坐火雷神社の祭神)は、後に丹塗矢となって、賀茂建角身命の子玉依日売のそばに流れ寄り、その結果賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと:上賀茂神社祭神)が生まれたと、山城国風土記逸文にあります。この山城の国一宮の両加茂神社ですが、奈良時代編纂の同風土記にあるように、元は一つの神社でした。京都(山城)は地形的に雷の多い場所でございまして、他にも雷を祭神にした神社が散見されます。
さて、この加茂神社の祭神誕生の神話を紹介致します。(この辺りは記紀とは異なる情報ですが)
天孫降臨に従って高千穂に降った加茂建角身命(かものてけつみのみこと)は、神武東征に従い、大和葛城の加茂から南山城の岡田の加茂を経て、鴨川上流の愛宕の加茂に定住し、玉依日子、玉依日女の兄弟を造ります。この日女が川遊びをしているときに、流れてきたのが丹塗りの矢で、持ち帰って懐妊し御子神を生みます。これが雷神の子で加茂別雷神で、兄の玉依日子が後の加茂の県主の祖先となったということです。
国造、県主クラスでこれほどまとまった神話を残しているのは、出雲国造とこの加茂の県主のみであり、都が藤原京から平安京に移りそこに割拠していた加茂氏の、天皇家に対する重要度のためかとも推測されます。大和、南山城を経てというのは少し難しく元々愛宕に割拠していた豪族というのが、もっぱらの学説の様です。

この伊邪那美の子の8柱のうち、火雷神、大雷神(おおいかづちのかみ)別雷神(わけいかづちのかみ)等は各地の雷電神社の祭神として、残っています。
古事記にはもう1柱の雷神が登場します。阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)であります。字の中に鉏(すき)という文字が反映するように、農業神でもありまして、これは意外にトール等の世界の雷神さんと同じ性格でもあります。無論雷が農事には不可欠の雨をもたらすことからくるのでしょう。
桜の開花が農事の始まりを告げる季節であるように、発雷も農事カレンダーとして必要な雨の時期に関係しているのでしょう。稲妻、稲光といった表現も米作農業に深く関連したものであると推測されます。因みに雷神は晩夏の季語でもございます。これから積乱雲の季節でもあり、雷の季節であることは間違いありませんので、くれぐれもご注意下さいませ。

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