シャルル・アズナーブル
彼の父はグルジアで生まれ、その父(シャルルの祖父)はロシアでニコライ2世の料理人をしていた(最近本人がニコライ2世ではないと否定した)。母はトルコ系アルメニア人の商人の家系である。彼らはアメリカ行きのビザを申請するためパリに滞在している時に落ち合い、1922年に結婚した。 シャルルの両親は早くから彼とその兄弟をパリに持つレストランや多くの舞台に立たせた。9歳より芸能活動を開始し、アズナブールの芸名を名乗る。 1946年に、フランスの有名な女性歌手エディット・ピアフに認められたことにより彼の経歴は飾られている。彼女のフランスおよびアメリカのツアーに同伴した。 エディット・ピアフの生涯の多くの事実と出来事は謎に包まれている。彼女はエディット・ジョヴァンナ・ガション(Édith Giovanna Gassion)としてパリの貧しい地区ベルヴィル(Belleville)に生まれた。 ピアフはベルヴィル街72の路上で生まれたという伝説があるが、出生証明書によればベルヴィルのテノン病院で誕生したというのが事実である。エディットという名はドイツ軍に処刑されたイギリス人看護婦イーディス・キャヴェル(Edith Cavell)にちなんでいる。(キャベルが処刑されたのはこの年の10月でパリでも大きな話題となっていたのだ)。(ちなみにパリジャンの俗語で雀を意味するピアフが彼女のニックネームになるのは20年後のことである)
カナダのジャスパーにエディス・キャベルの名を冠した山がある。エンゼル氷河が懸かっている。そこをトレッキングしたことがある。
落葉~アズナーブル~エディット・ピアフ~エディス・キャベル。
これは「同調」かもしれない。
若いころ、一時シャンソンが大好きな時期がありました。アズナブールもマシアスもアダモも大好きでした。ピアフのビブラートの利いた訴えるような歌い方も好きです。shinoさんがこんなに詳しい方だとは、またまた驚きです。ありがとうございました。
PS・"ピンクのあじさいさん…"も拝見させていただきました。shinoさんますます友達の輪が広がって忙しくなりますね。頑張ってください。加油!!
見たのですが、このごろ普通の映画館でもやっているところがあるようです。