□本日落語二席。
◆桃月庵こはく「団子坂奇談」(寄席チャンネル『鮮 あざやか』)。
東京神保町楽器cafe、令和4(2022)年6月22日(桃月庵こはく独演会「こはくの会2022」)。
◆六代目三遊亭圓生「遠山政談」(日本文化チャンネル桜『落語動画』)。
※スタジオ録音。
川戸貞吉『落語大百科』にも『増補 落語事典』にも項目はある。ただし、『増補 落語事典』では、三十一種類の速記本に見られる落語の演目を網羅しているが、この「遠山政談」は、青蛙書房刊『圓生全集』(昭和35年12月)にしか見られないという珍品である。
『落語大百科』『増補 落語事典』ともに記しているが、これは四代目三遊亭圓生の作らしい。また、『落語大百科』では、六代目圓生の話を紹介し、この噺は、三遊(亭)一朝が知るところの実話で、それを一朝が四代目圓生に話して、それで一席の落語になった由である。
その後、これは六代目圓生の師匠である四代目橘家圓蔵が手がけていたものを、ここから六代目圓生に流れたということのようだ。
それにしても、この珍品が六代目圓生でとまって、それから横(同時代)の広がりもなく、爾後の継承もないというのは、これを実際に聞いてみると、よくわかるような気がする。
登場人物は、すこぶる器量の良くない女で、その器量の具体的描写が誇張的に表現されているにせよ、いささか聞くに堪えないものがあり、その顚末もちょっとひどい。また、噺全体に笑える要素というのがあまりなく、かといって、聞く者の情に訴えるところもさほどない。
昭和前期でなら、まだ公に語れたかもしれない内容だが、現代ではまずむりだろう。でも、このような落語もあったのだと知っておきたいと思うところは、マニア心である。
なお、これは演目に「政談」とあるが、「政談」の場面はまったく出てこないままに終る。そういう意味では「唐茄子屋政談」と同じだということは、『落語大百科』『増補 落語事典』ともに指摘しているが、「唐茄子屋政談」の演目には本来「政談」がついていなかったので(「唐茄子屋」だった)、これとはちょっと事情が異なるのではないだろうか。
◆桃月庵こはく「団子坂奇談」(寄席チャンネル『鮮 あざやか』)。
東京神保町楽器cafe、令和4(2022)年6月22日(桃月庵こはく独演会「こはくの会2022」)。
◆六代目三遊亭圓生「遠山政談」(日本文化チャンネル桜『落語動画』)。
※スタジオ録音。
川戸貞吉『落語大百科』にも『増補 落語事典』にも項目はある。ただし、『増補 落語事典』では、三十一種類の速記本に見られる落語の演目を網羅しているが、この「遠山政談」は、青蛙書房刊『圓生全集』(昭和35年12月)にしか見られないという珍品である。
『落語大百科』『増補 落語事典』ともに記しているが、これは四代目三遊亭圓生の作らしい。また、『落語大百科』では、六代目圓生の話を紹介し、この噺は、三遊(亭)一朝が知るところの実話で、それを一朝が四代目圓生に話して、それで一席の落語になった由である。
その後、これは六代目圓生の師匠である四代目橘家圓蔵が手がけていたものを、ここから六代目圓生に流れたということのようだ。
それにしても、この珍品が六代目圓生でとまって、それから横(同時代)の広がりもなく、爾後の継承もないというのは、これを実際に聞いてみると、よくわかるような気がする。
登場人物は、すこぶる器量の良くない女で、その器量の具体的描写が誇張的に表現されているにせよ、いささか聞くに堪えないものがあり、その顚末もちょっとひどい。また、噺全体に笑える要素というのがあまりなく、かといって、聞く者の情に訴えるところもさほどない。
昭和前期でなら、まだ公に語れたかもしれない内容だが、現代ではまずむりだろう。でも、このような落語もあったのだと知っておきたいと思うところは、マニア心である。
なお、これは演目に「政談」とあるが、「政談」の場面はまったく出てこないままに終る。そういう意味では「唐茄子屋政談」と同じだということは、『落語大百科』『増補 落語事典』ともに指摘しているが、「唐茄子屋政談」の演目には本来「政談」がついていなかったので(「唐茄子屋」だった)、これとはちょっと事情が異なるのではないだろうか。