竹林亭白房

らっ好「替り目」★落語

□本日落語三席。
◆昔昔亭A太郎「むすびな」(寄席チャンネル『夢 寄席』)。
新橋内幸町ホール、令和4(2022)年3月6日(「昔昔亭A太郎独演会」)。

◆金原亭杏寿「金明竹」(NHKラジオ第一『NEXT名人寄席▽ネクストメイジン』)。
栃木県野木エニスホール、令和5(2023)年10月14日収録。

◆三遊亭らっ好「替り目」(NHKラジオ第一『NEXT名人寄席▽ネクストメイジン』)。
栃木県野木エニスホール、令和5(2023)年10月14日収録。
昭和のなかばから、わりと最近まで、落げまで演じられなかった「替り目」である。『落語大百科』のなかで、著者の川戸貞吉は、「私がサゲまで演ったのを聞いたのは、四代目三遊亭円遊、十代目金原亭馬生、八代目雷門助六くらいなものである。ほかの人は志ん生をはじめほとんどの人が途中で切ってしまう」と言っているくらいだ。

ところが、ここのところ、「替り目」は多くの落語家が最後の「銚子の替り目」が出てくる落げまで演じられる風潮が強くなってきた。これは、演りようによって、別に最後まで演ってもそんなに多大に時間を費やすものでないと知られ始めたからなのではないか。

そんな風潮のなかで、今回は久しぶりに途中で切る「替り目」を聞いたまので、逆にめずらしいなと感じた。女房にさんざん悪態をついた酔っぱらい亭主が、心では女房に感謝しているとしみじみひとりごつと、買物に出たと思っていた女房がまだいることに気づく。そこで、「元帳を見られちまった」と言って落げる。この「元帳」云々というのは五代目古今亭志ん生が言い出したのだろうか。

落語家によっては、「元帳」の言葉を使わずに、「おめえ、まだ行かねえのか」と言う型もある。らっ好は「元帳」を使っていたのだが、さて、この言いかたは現代に通じるのだろうかというのも気になった。

それと、何より女房に感謝するとひとり言を言うというのは、この途中で切る型のために作られたプロットではないかと思えた。ちなみに、現在落げまで演る落語家の多くも、この感謝プロットを入れている。
しかし、これは途中で切らないのなら不要なプロットではないかと思って、ちょっと調べてみると、明治33(1900)年の初代柳家つばめの速記(『文藝倶楽部』)を見ると、もちろん最後の「替り目」まで演る型で感謝プロットは出てこない。やはりこの感謝プロット自体が、五代目古今亭志ん生の手になるものではないのかな。ちょっと調べてみたい。
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