□本日落語一席。
◆立川志の春「夏泥」(TBSチャンネル『落語研究会』)。
東京三宅坂国立劇場小劇場、令和3(2021)年8月25日(第638回「TBS落語研究会」)。
貧乏の男が家に入られた泥棒に逆に金をせびるという噺だが、志の春は、飯代だの質から受け出す金だのといった単位を3円とか2円とか円単位で演っていた。ふつう、古典落語としての型は30銭とか50銭とかの銭単位だと思うのだが。
ただ、今回の志の春のように現在と同じ円単位を使われても、3円や2円などの額では、現代人にとって具体的なイメージができるわけではない。そういう意味では、30銭50銭などと演るのと、そうたいしてかわらない。そう考えると、志の春が銭でなく円にした意味を想定しにくい。なぜだろう。誰かからの継承か。
◆立川志の春「夏泥」(TBSチャンネル『落語研究会』)。
東京三宅坂国立劇場小劇場、令和3(2021)年8月25日(第638回「TBS落語研究会」)。
貧乏の男が家に入られた泥棒に逆に金をせびるという噺だが、志の春は、飯代だの質から受け出す金だのといった単位を3円とか2円とか円単位で演っていた。ふつう、古典落語としての型は30銭とか50銭とかの銭単位だと思うのだが。
ただ、今回の志の春のように現在と同じ円単位を使われても、3円や2円などの額では、現代人にとって具体的なイメージができるわけではない。そういう意味では、30銭50銭などと演るのと、そうたいしてかわらない。そう考えると、志の春が銭でなく円にした意味を想定しにくい。なぜだろう。誰かからの継承か。