2015年7月8日水曜日、終日すっきりしないお天気で雨~曇天~雨の繰り返し。夕方一時、青空覗く。午後9時半過ぎ現在時外気温24℃湿度95%、南西の風2m/s。
さて聴き比べの続きです。
今夜最初はこれです
Beethoven/Ferras1967/Violin Concerto
Christian Ferras; Herbert Von Karajan: Berlin Philharmonic Orchestra
ヴァイオリン:クリスチャン・フェラス
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1967年1月
録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
2枚目
Herbert Von Karajan The Complete 1970s Orchestral Recordings [Disc 79] - Beethoven: Violin Concerto In D
Anne-Sophie Mutter; Herbert Von Karajan: Berlin Philharmonic Orchestra
ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1979年9月、12月
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
録音方式:ステレオ(セッション)
この2枚の作品には約12年の隔たりがあります。1960年代末と1970年代末期のいずれも年代末期と、指揮者・管弦楽が同じと言う共通点。奏者は男性と女性(年齢は随分異なるであろうが)
この2作品、奏者と指揮者の曲に対する解釈がどのように展開するのかが興味深い。
1934年生まれのフェラス34歳時、1963年生まれのムター16歳時の演奏である。
年齢差は倍以上あり、それまでのキャリアや経験数など違いは有るだろうが、16歳時のムターがこのような演奏をしたことにまず驚嘆の一言だ。
2曲を連続試聴するとヴァイオリンの音色の違いにまず気付く。
両方共に乾燥したしなやかさは同じだが、フェラスの奏でるヴァイオリンは畝るようなしたたかさ、ムターの方は細く突き進み針穴に糸を通すようなピッチで迫る。
彼女の資質を見出したカラヤンの先見性に脱帽だが、その後の成長を繰り返す彼女の努力にも敬意を表したい。
フェラス、誠に残念な世の去り方であったが“虎は死して皮を残す”如く、遺された作品は未だ光彩を鈍らせない。
いずれもカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏、見事の言葉以外に適当な表現が見当たらない至高の演奏作品である。
この2つの作品を聴いてしまうと、これが当方の中でのデファクト・スタンダードになりそうな予感で、これから以降の聴き比べに気重さを感じてしまう。贅沢な悩みだ。
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Beethoven/Ferras1967/Violin Concerto
Christian Ferras; Herbert Von Karajan: Berlin Philharmonic Orchestra
ヴァイオリン:クリスチャン・フェラス
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1967年1月
録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
2枚目
Herbert Von Karajan The Complete 1970s Orchestral Recordings [Disc 79] - Beethoven: Violin Concerto In D
Anne-Sophie Mutter; Herbert Von Karajan: Berlin Philharmonic Orchestra
ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1979年9月、12月
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
録音方式:ステレオ(セッション)
この2枚の作品には約12年の隔たりがあります。1960年代末と1970年代末期のいずれも年代末期と、指揮者・管弦楽が同じと言う共通点。奏者は男性と女性(年齢は随分異なるであろうが)
この2作品、奏者と指揮者の曲に対する解釈がどのように展開するのかが興味深い。
1934年生まれのフェラス34歳時、1963年生まれのムター16歳時の演奏である。
年齢差は倍以上あり、それまでのキャリアや経験数など違いは有るだろうが、16歳時のムターがこのような演奏をしたことにまず驚嘆の一言だ。
2曲を連続試聴するとヴァイオリンの音色の違いにまず気付く。
両方共に乾燥したしなやかさは同じだが、フェラスの奏でるヴァイオリンは畝るようなしたたかさ、ムターの方は細く突き進み針穴に糸を通すようなピッチで迫る。
彼女の資質を見出したカラヤンの先見性に脱帽だが、その後の成長を繰り返す彼女の努力にも敬意を表したい。
フェラス、誠に残念な世の去り方であったが“虎は死して皮を残す”如く、遺された作品は未だ光彩を鈍らせない。
いずれもカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏、見事の言葉以外に適当な表現が見当たらない至高の演奏作品である。
この2つの作品を聴いてしまうと、これが当方の中でのデファクト・スタンダードになりそうな予感で、これから以降の聴き比べに気重さを感じてしまう。贅沢な悩みだ。
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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は大好物です。ムター/カラヤンはいいですね。他には、昔から馴染んでいるシェリング/イッセルシュテットや、わりと最近のズーカーマン/メータを気に入っています。
じつに味わい深い曲です。
コメントありがとうございます。
ベートーヴェン唯一のヴァイオリン・コン、とっても完成度高く、何度も聴きますよね。しばらく聴き比べを続けます、また寄って下さい。